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2017年05月

金屋子神由来記

季節君は地元の文化財審議員もしているのでありますが、文化財審議委員会で面白い話を聞きました。

たたら最古のノウハウ本である鉄山必要記事を書いた江戸時代の鉄山師、下原重仲という人がいます。


鉄山必要記事は原本はないものの、写本が東大と筑波大学にあると聞いています。

ここからが肝心な地元に伝わるお話し~
下原が晩年を過ごした森家から、葛籠が発見され、中は古文書が多く入っていたそうです。
その中の一冊は「鉄山要口訳」と言い、日野町の金庫に眠っています。
実はそのほかにも見つかった文書があったらしいのです。

多くは、ネズミが齧っていたので、しかたねーな  (。ノ_・。) と廃棄したそうなのですが、(←もったいない ) 程度の良いものが残されていました。
それがこのほど明らかになったわけです。
森家のご厚意により日野町が管理しています。

絶対見せられないほど貴重なものなのですが、そこを何とかとお願いして、表紙の写真だけ撮らせていただきました。
これからは保存のため部外には公開せず、研究機関と相談して調査研究されるようです。
まずは1冊目
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不明のたたら場写真

たたらの楽校にお客様がありました。
ご先祖様が、たたら場のお支配人をしておいでだったとの家伝があります。

そしてアルバムを持ってきてくださいました。
ちょうど、当日がたたら顕彰会の会合だったこともあり、たたら顕彰会の研究スタッフに全員集合が掛かります。

加地先生が作られた手代の名簿一覧にいよりますと、このかたは呼子山の手代であった可能性があります。
しかし、写真は本当に呼子山鉄山なのか。
呼子山は工事により地形も変わっていますし、現存するものが少ないので確定できません。

そこで、資料をあさり、呼子山の地図を比べることにしました。
呼子山?


建物の陰になっていますが高殿の屋根が見えます。
大胴場の屋根も見えます。
手前のしっかりした建物が本小屋かな。
配置からすると、手前側から右に向かって山内集落かと思われます。

yobuko
山の位置関係からみると、こうなりそうですが、なんだか配置が違う感じもします。
呼子山の支配人ではないのかな。
ではどこ?
謎が深まります。

このほかにも最近、新しい資料がどんどん入ってきていて、どこまで公開できるのか悩ましいところです。

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