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2016年08月

8月21日

今年の、たたらの楽校夏期講座が開かれました。

会場となった根雨楽舎は早いうちからお客様がおいでになり、40人を超える聴講者で部屋はいっぱいになりました。

 

今年のテーマは、川平山

川平山というのは、江府町にあった近藤家のたたら場。

ここの関係者のかたが、川平山操業当時の様子を語られた録音テープが公開されました。

内容は、今まで多くの研究者の皆さんが報告してこられた、たたら場の様子を裏付けるものでした。

~~~~~ここからは影山猛先生の論文を基にした季節君の推測です~~~~~

 

明治中頃、江府町荒田にあった城ノ段鉄山は、森林資源が枯渇して操業を停止せざるを得ない状態でした。

そこで支配人であった金七は近藤家にたたら場の移動を提案します。

候補地として挙がったのは俣野と川平。

俣野は10か所ほど鉄穴場があり印賀と並び称されるほど良質な砂鉄が取れるところでした。

川平周辺は日野川の川砂鉄がよく取れるところで、神奈川と小字があるところは、昔はよく川砂鉄が取れたので金川といったのが語源だそうです。

 

そんなこんなで移動先を検討したのですが、近藤家が出した結論は、今の荒田からの引っ越しが容易な川平にしようとのことでした。

 

そうして明治24年から川平山は操業を開始します。

明治28年には高齢で仕事ができなくなった金七の交代として(板井原)大西山支配人であった武信謙治が川平山の支配人となります。

ところが武信謙治の息子が東京に進学したため、武信家は東京に移住してしまいました。

 

おりしも川平山ではトロンプから水車ふいごに装備が改革され、鉄もよく沸くようになり川平山は一層反映しました。めでたし、めでたし

 

というのが影山猛先生の伯耆文化研究などの書物を参考にして季節君が描いたストーリーです。

川平山は国道からも見えます。日野川をはさんで川平発電所のすぐそばにありますので

通りすがりに見てください。

皆さん、おあつーございます。

ヾ(>▽<)o


今朝の新聞にも載っていましたが、奥日野たたらの里づくりプロジェクトというのがありまして、日野町から国に 地方創生加速化交付金を申請しておられました。


季節君も、提言を作るときには参加させていただいておりましたが、このたびこの事業が採択されました。

今回の予定額は4515万円。

民間からのちいさな一歩でスタートしたのですがやっとここまで来たかという感じです。
これからは行政主導で我々が応援してゆくことになるのかな?

これでいきなり、地域が激変するとは思いませんが、大きな一歩になると思います。

奥日野がたたらの里であることをアピールし、少しずつ施設や遺跡の整備をしてゆくことになると思います。

ガイドや、遺跡の整備、食事やお土産の提供、観光コースの開発などいろいろやってゆくことになると思います。

いろいろ思いますが、とりあえず伯耆国たたら顕彰会の事業は、8月21日開催の夏休み講座と、やはり小さな活動を地道に続けてゆくのです。

夏期講習会のお知らせ

今年も夏期講習会の時期がってまいりました。


今年のテーマは川平山。


近藤家が明治末に操業した伯耆を代表するたたら場です。

この川平山を管理した手代さんのご子息が操業当時の記憶をお話になりました。
その録音をこのたび初めて公開します。

あわせて、わがチームの探検家インディー氏が川平山とその周辺のたたら場の調査記録をご紹介します。


さらに川平山の操業の様子を皆さんと座談会形式で探ってみたいと思います。


会場は根雨たたらの楽校

時間は8月21日(日)午後1:30~3:00

入場は無料です。

皆さんどうぞたくさんおいでください。
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