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2016年03月

日野町では、我々がやってきたたたらの顕彰活動を評価してやろうという動きがあります。
そして、昨年は都合山のたたら遺跡を買い取り保存してくださることになりました。
さて、そこでです。この後それをどう利活用するかという問題に行き着くわけです。

(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン


そしてその問題を解決すべく奥日野たたら文化活用検討委員会が招集されました。

w(゚o゚)w オオー!


鳥取県教育委員会や鳥取県、日野町、日野町教育委員会、奥日野ガイドクラブ、上菅自治会、日野町観光協会など十数名の委員によって、この後のたたらの活用について提言を作ることになりました。

これまで3回の委員会が開かれ、都合山の現地確認も行われ、いよいよ最終の第4回目が開かれました。

委員の皆さんはとても優秀な方々で、鋭くも的確かつ無駄のない意見が交わされます。
そんな中にあって、季節君のみが歯車がかみ合わず、右往左往していました。
いつものことです。

最終提言として、たたらの歴史文化の利活用に根雨の歴史的建造物も含めて観光資源とみなし、今後は計画的に整備を進めて利活用しようねという提言になりました。
それには、遺跡の整備に加えトイレの設置やガイドの育成なども盛り込まれる予定です。

いよいよ提言をまとめて日野町長さんに答申することとなりました。

鉄の歴史村からのプレゼント

公益財団法人鉄の歴史村地域振興事業団からプレゼントがありました。

白い封筒を開けてみるとDVDが2枚入っていました。
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島根県で開かれた鉄の歴史村フォーラムの報告書です。
何が書いてあるんだろ?

1枚目は『菅谷たたら山内の人々と景観』
2枚目は『菅谷たたら山内の構造と機能』
となっています。

鳥谷先生、,角田先生他数名の先生方の講演内容などが記載されていました。
ざっと読んでみたのですが、季節君の頭では右から左にスルーしてしまって理解不能でした。


もう一度ゆっくり読み直さないといけないと思います。

いま、保存工事がやっと終わった菅谷山内に注目が集まっています。

頑張って読んで、島根県のたたらの歴史についてもっと理解を深めたいと思います。

ありがとうございました。


たたらフォーラム その4

池本美緒先生の近藤家文書についてのご講演があります。

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今回は、体系的に近藤家の財務諸表の種類や内容について言及され、また中元や歳暮の詳細な書きつけがあったり、角炉について。近藤家のたたら場の時系列的な移動状況についての調査など(これはかなり大変な作業だったろうと思います)

今回の池本先生の講演はとってもおもしろかったです。

 

最後にパネルディスカッション。
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角田先生が用意周到に進行表を作られ各先生の意見を引き出しておられます。

したがって内容も、とても濃いものとなり、要点も漏らさず話しきった感じでした。

そうとうに頑張ってコーディネートしていただいているのがとてもありがたかったです。
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鳥谷先生、加地先生の豊富な知識も我々観客を引き込んでゆきました。いつもこのお二方の知識の深さには驚かされてしまいます。
この先生方のお力添えによって伯耆国たたら顕彰会は成長しているのだと思います。



それから雲伯鉄山合資会社についてちょっとお話がありました。これは四家による雲伯鉄山組合とは別組織のようですのでお取り扱い注意だと思いました。


今回島根県からの観客もおられ、行政関係の方も多く聴講においでになり、予想以上の盛り上がりを見せた今回のフォーラムに、季節君はじめ伯耆国たたら顕彰会関係者は手ごたえを感じた1日でありました。

 (*^ー゚)b グッジョブ!!

 

 

そして主催者あいさつ。

演台の前に立って、マイクのスイッチを入れると電源が来ていません。

きっと、スタッフのいたずらだわと思いながら、思いっきり大きな地声であいさつをしてさし上げました。

ここ奥日野ではもう一つの『坂の上の雲』の物語があるというのがたたら顕彰会のキャッチフレーズです。

明治に開国した日本は西洋列強に肩を並べようと富国強兵へと突き進みます。

西洋列強を司馬遼太郎は坂の上の雲に見立てたのですが、ここ奥日野ではその坂の上の雲に負けまいと、たたらによる鉄生産をフル稼働させます。
そして近代日本の軍備や産業革命を後押ししたのでした。

この近代日本を支えた奥日野のたたら製鉄というテーマで今回のフォーラムは開催されます。

というようなことをとつとつとお話ししました。

 

その後の町長さんの挨拶のときにはちゃんとマイクに電源が入ってるし。。。

 ヾ(ーー )ォィ

 

とにかく、開会セレモニーは無事終わり、渡辺ともみ先生の基調講演が始まります。

ヨーロッパで400年かけて技術革新を遂げた製鉄技術を日本は50年間の間に成し遂げた。

明治13に日本で始まった釜石製鉄は失敗が続き、たたら製鉄に頼らざるを得ない時代が続いた。
軍部は坩堝炉や塩基性炉を開発するが、リン分の少ない鉄材料が必要となりたたらによる木炭銑鉄を必要とした。などのお話がありました。


なかなかレベルの高いお話で、大学の授業を受けているような錯覚に陥りました。
皆さんはちゃんとついてこれましたでしょうか。


基調講演に続いて2時限目は、池本先生の近藤家文書についての解説が始まります。

ヾ(>▽<)oきゃはははっ!

たたらフォーラム2016本番です  その2

いつも思うのですが、フォーラム前の打ち合わせというのは一番面白い時間だと思います。

フォーラムのテーマに合わせて各先生方が研究されてこられたことを話し合います。
本には書けなかったことなどを本音で話し合います。
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どこそこの古文書について自分はこう考えるけれど、皆さんはどう思いますか。とか

最近こういった遺跡を掘ってみたけれど意外なものが出てきたとか。

まだ発表されていないものや不確定なものが出てきて面白いのです。

 

今回も小花(冬吉)さんより黒田(正輝)さんのほうが、出世しなかったけれど研究の成果はあげていたよねとか、

舟場山のたたら場について絵図面は残っていないですかねとか、、、

ざっくばらんに偉い先生方と世間話をさせていただきました。

 

お弁当を食べながら話をするのですが、今回はお弁当が美味しかったのか、季節君は、あっという間に食べてしまいました。

 ヾ(ーー )ォィ

 

そして開会の時間。

おそるおそる会場に入ると、あふれんばかりの人で立ち見も出ていました。

ざっと見て、5万人くらいはいたでしょうか。

いや120人ほどでした。


いよいよ開会です

つづく。。。。

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