都合山保存のための調査
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都合山といえば、俵国一博士が明治31年に調査されたたたら場として有名です。そして角田先生が発掘調査をされました。近藤家には都合山に関する文書も残っています。都合山の高殿模型も作られています。
そういった数々の資料が残る都合山の遺跡が、奇跡的にも無傷で残っているので、破壊されないうちに保存しようと日野町がこの遺跡の買取をしました。
(*゚▽゚)ノふとっぱらです
ここまでは、たびたびブログにも掲載してきましたので皆さんはご存知だと思います。
さて問題はこれからです。
どういった風に保存をしましょうか。
今日は、角田先生、鳥取県教育委員会、日野町教育委員会、日野町地籍担当者、日野町教育長、季節君@本人 という豪華布陣で都合山に入りました。
いきなり遺跡入り口の橋のたもとで見所発見。
両岸に石垣があったり、階段があったりするのです。
写真にとってもよくわからないと言う方のために、草刈もしていただききれいになったところでふたたび撮影。
こういったところを生かしつつ、どんな橋をつければいいのでしょうと教育長さんも思案顔でした。
さらに遺跡に入って行き、本小屋の基礎になっている石垣に生えている樹木。この木が倒れれば遺跡を壊してしまいます。
そういった危ない木を調査し、伐採するための計画を作りました。
場所によってはすでに木が倒れて遺跡を壊してしまっているところもありました。
しかし、あまり気を切りすぎると雑草が茂るので限定的に伐採することになりました。
鍛冶場、本床、水車小屋、銅場、ため池、金屋子を丁寧に見て回ります。水路も見て歩くとあちこちに張り巡らされていました。
この木は本床(炉)に食い込んでいます。
角田先生の説明を聞きながらぐるりと回ってみました(住宅部分には入らず、工場部分だけね)
こんないも広かったんだなーって、しっかり残った遺跡に感心しました。
今後この遺跡がどう活用されてゆくのか必見です。