根雨楽舎の運用について
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いよいよ10月となります。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
10月は私たちも、イベントや祭りなどの事業が重なり、根雨楽舎の運用が難しくなっております。
したがって開館日を以下のようにいたします。
10月5日。11日。12日。19日。25日。26日
ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。
いよいよ10月となります。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
10月は私たちも、イベントや祭りなどの事業が重なり、根雨楽舎の運用が難しくなっております。
したがって開館日を以下のようにいたします。
10月5日。11日。12日。19日。25日。26日
ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。
私たち伯耆国たたら顕彰会も、ゼロからスタートして今年で5年を迎えることとなりました。
そこで何か記念となる事業をしようと思い立ってしまいました。
立ってしまったものは仕方なく、また座るわけにもゆかないので事業を企画中です。
名付けて
平成のふいご祭り
わ~い♪\(*^▽^*)/\(*^▽^*)/\(*^▽^*)/わ~い♪
えらいことでございます。
何がえらいのかよくわかりませんが、昔、たたら場では鞴祭りという言うイベントがあったそうなので、今回はそれにあやかって平成のふいご祭りと銘打ってみました
鞴祭りとは
(鉄山必要記事より要約)
第7巻1項
昔、いつの頃のことかはわからないが、11月8日にとある鍛冶屋にお客様があった。
膳を出そうとしたときに突然、欠落者が飛び込んできた。
追われているのでかくまってほしい。
とっさの思いつきで鞴の蓋をとった。その中に逃亡者を入れ、蓋をし注連縄をして善と酒、灯明をして恭しく拝礼していた。
そこへ武装した追手がやってきて、欠落者がいるはずだと家捜しをした。
しかし見つけることはできず、鞴の中にいるはずだと確かめようとした。
しかし、鍛冶屋は『今日は神聖なふいご祭りの日です、調べるのなら明日にしてください』と言った。
追手が帰った後、鞴をあけてみると何もなくなっていた。
しかしその後、この鍛冶屋はだんだんと栄えることとなった。
そこで鍛冶屋では11月8日は鞴祭りとして仕事を休み、鞴に酒食を備えて祝うことにした。
最近(江戸時代)では、京、大坂、江戸などで鉄を扱うものは鞴祭りをするようだが、たたら場では今までどうり、鍛冶屋だけが酒を飲み仕事を休んでふいご祭りをする。
ということでありますが、私たちが行うのはこれとは違って現代風の若者にも受け入れられて、今後の事業の担い手獲得にもつなげたいイベントであります。
期日は10月3日
おおっ!イベントにふさわしい文化の日ではありませんか。
会場は日野町役場前駐車場
内容は
ミニたたら(砂鉄製錬)の操業
ステージイベント(我らがテーマソング カナクソの歌の発表ほか)
郷土料理 ジャブ汁の各地域作の無料試食会
紙芝居
地元産野菜の即売会
などを企画中です。
奥日野には多くのたたらの遺跡があります。
でも、そんな遺跡の見方が分からない。
私たちも初心者であるために多くの疑問があります。
そこで、今年の秋、文化庁支援のもとに皆さんとたたら場探検隊を結成したいと思います。
講師は製鉄遺跡調査の専門家、島根県の角田先生にお願いしました。
詳細は以下の折、各回とも先着10名となっております。
視察先は内緒です。皆さんが行かれたことのない新発見の遺跡です。
広島大学考古学研究室からの視察がありました。
古瀬博士と野島先生です。
たたらの考古学の世界では有名な先生です。
私たちも、いつかは広大の考古学研究室のみなさんの教えを請いたいと思っていましたが、ついに実現したという感です
視察に入ったのは舟場山と砂田山。
舟場山については小さな車では近付けるけれど、バスでは入れないし、歩くと時間がかかるという問題があります。
しかし、まだどこに何があったかわからない、未調査の遺跡であるというのが面白いと仰いました。
砂田山については典型的な配置がなされているたたら場であり、金屋子神社跡もはっきり残っている。
何よりこの広さはいいな~。という感じです。
私も砂田山は初めて訪れましたが、とても大きな遺跡だなって驚きました。
ちょうど天気も良く日差しが入り込んですがすがしかったのです。
でも、根雨から砂田山は遠すぎて時間がかかりますね、とおっしゃいました。
ま、わからないことがあったら教えてあげるから初心を忘れず熱意をもって踏査を続けてくださいとお言葉を頂きました。
根雨楽舎が工事のためこのところ数年、夏休み講座をしていませんでした。
この講座は、ちょっとアカデミックなところが特徴です。
な~んてね。、横文字を使っていばってみました。
今年の講座は、遺跡調査最新事情。
この春にわれわれは遺跡調査報告書を文化庁から出しました。
その掲載された遺跡数はざっと300か所。
今年に入ってからも100か所くらい調査が進んでいます。
損最新事情を説明する回となりました。
内容が難しそうなので参加人数も少なく、質問や突っ込みも入れながらの講演となりました。
たとえば、古都家のたたら場。
古都家といえば、1250年ころに京都北面の武士団の一員、古都文次郎が阿太上げにてたたらを開始したと言い伝えがあります。
今回報告のたたら場には、古都家の鉄山墓があるのですが、1694年から先の年代です。つまり、古都家は450年以上もたたらを操業し続けたことが確認されました。
ほかには阿毘縁大原での遺跡発見のニュース。小字に山伏塚とか、安綱屋敷とかの文字があります。男根の石碑が発見されています。道祖神とでも言えばいいのでしょうか。かなり古い者のようですが期限がはっきりしないようです。
俣野では山中に尼子氏創建の山寺跡が確認され、多くの石垣も確認されています。これは何を意味するのか理解に苦しんでいます。
そのほかにも、家の基礎に小舟がむき出しの場所とか、思わぬ発見が報告されました。