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2014年07月

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今日は、7月末の土曜日。


根雨楽舎では、1か月のスケジュール調整をする日です。


この日においでになったお客様は、10人のガイドがより取り見取り、ナイスガイの季節君から、ちょっとやそっとではめげないおばさまたちまでがお相手をします。


o(>▽<)o ウキャキャウキャキャ


今月はお盆が入っていますが、週末土日のみの開館とし、もし視察のご希望があれば随時対応したいと思います。


なお。8月31日には夏期講座を開催する予定で準備中です。


今年春にインディー氏が、遺跡調査報告書を出版しましたが、その発刊記念講演会をささやかながら開きたいと思います。


入場は30名くらい。


インディー氏が遺跡調査の概要を話します。


調査同行者の季節君もひょっとしたら、裏話や失敗談などもばらしてしまいたいとは思っています。


(o゚◇゚)ノあぃ


できるだけざっくばらんな(←古い表現だね~)会にしたいと思っています。


そんな、打ち合わせをしながら、インディー氏は今日も山に調査に入ってゆきました。


(かなり、コアな情報をつかんだようです)


現在、インディー氏は下原重仲の遺跡を確認できるか4か所を調査中です。


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この方にお話を伺うと、4箇所のたたら場を知っているとのお話。


座り込んでコーヒーをご馳走になりながら小一時間ほどお話を伺いました。


(こちらがお邪魔した側なのにすいません)


下原重仲さんについては諸説が錯綜し詳しいことはわからないようです。


そしてこの近くにあり、侵入しやすいたたら場をもう1箇所調査することになりました。


キャップはまだ情報収集をしていますが、季節君は事前に下調べをして来いとの命を受け単身山に入ります。


熊とか蝮とか、雪男とか出たらどうしましょう(雪女ならちょっと嬉しい o(>▽<)o  )


 


近くにある蔵の裏側、山手の小道を進んでゆきます。


草は深く薄暗い山道、、引き返そうかな。。。。


カナクソを見落とさないように地面をなめるように慎重にすすみます。


あ、あった~♪


o(>▽<)o ウキャキャウキャキャ


そして、歩いてゆくと、そこいらじゅうにかなくそがあります。


その先に1辺10メートルの三角形の平地があり、カナクソが散乱しています。鍛冶屋かな?小川の際にあるし、なんかの作業場でしょうね。


たたら場にしてはちょっと狭いようです。


 (この斜面には大型のカナクソが多く埋まっていました)


さらに30メートルほど歩いて小川に突き当たるとそこにはもうカナクソはありません。


また引き返しながら小道右手の斜面を下り低地に降りてみると、20センチ大の大きなカナクソがごろごろ。


小道の左手は3メートルほど高くなり田んぼになっています。


田んぼの側面は石垣になっておりカナクソが見つかりません。


この上の田んぼがたたら場のようなのですが、そこからカナクソを捨てたのなら側面の石垣付近にカナクソが落ちていないのが説明つきません。


石垣の下に堆積した土を掻いてみると、少しカナクソが混じります。


この上の田から落ちた土によって、石垣際のカナクソが埋まっているのではないかと予想しました。


しかし、石垣を2メートルも積んで作ったたたら場なら江戸時代以降であろうと思うし、もっとカナクソが多くあってもいいはずだと思いました。


ここは、なかなか理解に苦しむ初心者には難しいたたら場ですね。


田んぼの中にトレンチ(調査用の溝)を設け、ざっくり掘り下げるとおそらく地下構造が出てきて、本床の位置がすっきりと特定できるんでしょうね。


~素人が発掘してはいけないのが、文化財調査のルールです。~


遺跡調査担当インディー氏の苦しむの毎日の一端が見えました。


今日の調査地点は、民家に近いこともあってすでに土地の再利用が行われており、たたら場の構造の分かりにくい調査でありました。


 


ちなみに、、、後でカメラのキャップとシャープペンがなくなっているのに気づき、一生懸命草を掻き分けて探しました。


遺跡調査をするたびにいろいろなくしてしまう季節君ではあります。


今回、キャップもペンも無事発見できたのは、ひとえに季節君の日ごろの心がけの良さでしょう。


(;^◇^;)ゝ イヤァ


 


 


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もう賢明なる皆さんはご存知だと思います。


日本で最古といわれる、たたらの秘伝書『鉄山秘書』(またの名を鉄山必要記事)を執筆した下原重仲さん。


下原さんの生誕地は伯耆国日野郡深山口ですね。


今回はわが伯耆国たたら顕彰会の遺跡調査担当のインディー氏とともにこの深山口に行ってみました。


俣野の本線道路から深山口方面に右折し、この辺りの墓石を見ると、下原や森といった重仲親戚筋の名前があります。


流石じゃ(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-


すこし行くと第一村人発見。


田の畦を草刈して手入れしておられる方に遭遇し、お話を伺います。


『このあたりにカナクソが落ちているところはご存じないですか?』とお聞きすると、思ってもいない質問だったのでしょう。


????


目が点になっています。


日野、日南ではたたら調査がかなり知られてきて、すぐにいろいろ教えてくださるのですが、江府町ではまだ私たちは新米です。


それでも、たたらの跡を探していることを説明すると、自分はこのあたりのものではないので良く分からないがといいながらも教えてくださいました。


教えられたとおり橋を渡って、右に下がる小道を行くと、、、


 


足元がガラガラします。


もちろんカナクソです。


調べてみると、この小さな小道50メートルにわたってカナクソが産卵しています。違った散乱しています。


(;^◇^;)ゝ イヤァ


 


かなりの量です。


道路の埋め立てに使ったのかな?と思えるくらいの量です。


その下の小川にはまったくカナクソなし。上から投棄したとすればこれは不自然です。


本床(炉のあったところ)はここではないのかな?と思いつつ更に詳しく観察。


小道左側は一段高くなっていて平地となり田んぼです。


その壁面にもカナクソがかなりの量埋まっているのを確認。


つまり、田んぼの部分が高殿(工場)で、そこから出たカナクソ(廃棄物)を小川に向かって投げ捨てた。


その間にあった小道には今でもカナクソが大量に堆積しているが、小川は急峻で流れが激しく、大水が出るたびにカナクソを押し流したのであろうと想像しました。


写真撮影をしながらカナクソを拡大してみると、坂道の上側では大きなカナクソ、鉄分の残るカナクソ、赤く焼けてガラス状になった粘土塊(粘土を高温で熱し続けるとこのようになります、つまり炉壁)などが多く見られます。



(壁面に埋まっているカナクソに磁石がくっついている)


坂道を下ると大きなカナクソは見られなくなります。


そして一段下がった10メートル四方くらいの平地が草むらになっています。


この草を掻き分けて土をサンプルに掻き出してみると、炭片が多く見られます。



つまりここが鍛冶場であろうと考えられます。


そこから20メートルほど下ると、カナクソは見られなくなりました。


下原姓の民家からも近いところから、重仲のたたら場であった可能性も大いに考えられます。


そんなこんなをしていると、近くのおうちに車がかえってきました。


 


実はこれが事態を進展させる大きな出会いとなったのでした。


(いいところで続きます)。。。。


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山陰中央新報社に連載記事を書いています。


皆さんの中には、すでにご覧になった方もあろうかと思います。


隔週の火曜日に書いているのですが、今年の正月以来、ぼちぼちと新聞社に原稿を送っています。


4-5日前に14回目の原稿の校正が送られてきました。


次回は、たたらの終焉と題して大正時代のたたらの置かれた厳しい状況について書いています。


問題は添付する写真なのです。


いつも写真に困ります。


私があちこちで撮影した写真、場合によっては写真だけを撮りに行くこともあります。


それでも、伯耆のたたらについて少しでも読者のみなさんが関心を持ってくださったらと思って書いています。


なにせ今まで伯耆のたたらにつて情報発信をする人が少なかったのですから、少しずつです。


これからは伯耆のたたらだけではなく、あちこちに視察に行く模様も掲載してゆきます。


もうすでに原稿は30回目まで完成しています。


暇を見て書きためているのです。


これが没にならないためにも、新聞掲載が続いてゆくとありがたいです。


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先日のガイドのお礼にと、鳥大医学部名物のお菓子を頂きました


こんなのがあったのですね。


はじめて見ました。


医大ではお薬ばかりただいていますが、たまにはこんなのも食べると元気になれそうです。



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