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2014年05月

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たたら遺跡調査報告書その1が出版されました。


そして文化庁からは調査の続行を告げる密命が出て、調査が始まりました。


 


先日、江府町俣野というところで、集落跡が見つかりました。


そこには廃寺跡もあり、お寺の由緒によると、尼子氏が建てたお寺だそうです。


さらにその周辺にはカナクソが散乱しているという情報が入ってきました。


まだ真偽のほどはわかりませんが、尼子氏の直轄地であったたたら場というのが各地に残っていますので、その一つの可能性もあります。


近いうちに調査してみたいと思います。


 


本日は調査に日南町に行っていたインディー氏が面白い遺跡を見つけたそうです。


近藤家の古文書をもとに聞き込みを行っていたところ、うちにもあるでと言ってくれた人があるそうです。


伺ってみると、高殿の上に家を建てられたようで、敷地内に地下構造が見えるそうです。


なんと、近藤家の先祖に当たる元祖近藤家の創業地でもあるそうなので、由緒を調べると面白そうです。


 


ほかにもこのところ、面白い情報が集まっているそうで、わくわくします


(*^ー゚)b


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臨時ニュースでございます。


遺跡調査でこのところ腕を挙げているインディー氏ですが、新しい遺跡を発見したそうです。


今回のは、阿毘縁の安綱伝説のある大原です。


県境からわずかに鳥取県側で、山伏が刀を作ったという伝説の地をついに見つけてしまったそうなのです。


<(T◇T)>うぉぉぉぉぉ!!!


そこには山伏塚と思われる墓石もあるそうです。


さらに安綱屋敷跡と伝承のある敷地もあります。


付近はすでに整地されて農地に転用されているそうなのですが、カナクソ(鉄を作るときに出る滓のこと)があたりに散乱(産卵ではない!)しているそうです。


大原安綱に関しては、山陰中央新聞に連載中のコラムで紹介しています。


奇しくも20日には鬼切伝説を掲載します。


鬼切は童子切に並ぶ伝説の宝刀ですよね。


 


~ここからは季節君の勝手な仮説です~


近江には製鉄遺跡が多くありますが、坂上田村麻呂が蝦夷の侵略に失敗した際に天皇家が(蝦夷に負けた)近江での刀づくりを禁止したそうです(西暦800年ころ)。


大和軍が直刀を使ったのに対して、蝦夷は反りの入った蕨手刀を用いていたそうな。


離散した刀鍛冶集団は当時の鋼作りで有名であった阿毘縁にやってきた。


山伏が阿毘縁で作った刀は反りが入っていたらしい(地元伝説)


太平記には大同の時代(西暦804年ころ)と書かれている。


そして大原で刀を作り始めた刀鍛冶集団は大原鍛冶と呼ばれるようになり、暖簾分けして各地に広がっていった。


それが備前一文字の大原であったり、日野町の大原、伯耆町や倉吉の大原ではないか。


その中でも特に腕のよい安綱は米子市日下で童子切りを作ったのではないか。


安綱の末裔には、坂上田村麻呂に刀を作ったという言い伝えもあるというから、この話とも合致する。


あまりに突拍子もないお話を書きましたが、皆さんはこの歴史の謎をどう解釈されますか。


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次に向かったのは、金屋子神社。


途中で亀嵩の駅を通過。


そして亀嵩神社を通過。


ご存知、松本清張の『砂の器』の舞台です。


そういえばすマップの中井さんが映画に出ていましたよね。



たぶんこっちでいいはずだけれど、、、ずいぶん細い道を走り、ちょっと不安になったころに金屋子神社に到着しました。



今日ではここが一番大きな製鉄の神様だと思います。



まず参道に並べられた巨大な鉄滓の数々に圧倒されます。


田んぼから出土とか書いてあるので、金池底にたまった再結合滓ではないでしょうか?


 



そして参拝します。


まず手を洗って、口を濯いで清めます。


左手、右手、口をゆすいで柄杓を洗うという、よく聞く手順ですよね。


これでなんか、心が引き締まるすがすがしい思いがします。


言っておきますが、今日の季節君は邪念なんかこれっぽっちもありませんからね。


ここを参拝し、お賽銭をして、たたら顕彰会の活躍を誓います。



そいういえば、この奥に金屋子神社の旧社跡があったはずなのですが、参拝に来た若いお姉さん方に心を奪われ、見に行くのを忘れていました。(やはり季節君は邪念の塊)



資料館では金屋子さんの由来を詳しく勉強し、終了となりました。


これでやっと、念願の金屋子神社参拝ができてほっとした一日でありました。


 



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GWのことですので、季節君も世間の民族大移動に乗じて、どこかに行きたいと思っていました。


そこで、かねてから行きたいと思っていた奥出雲たたらと刀剣館と金屋子神社に行くことにしました。


以前も近くまで行ったことはあるのですが、師匠のインディー氏が『わしは行ったことがあるけー、やめじゃ』と言って取り合ってくれなかったのです。



そこで、この連休を利用してゆくことにしました。と言っても根雨から半日あれば行って来れるのです。


阿毘縁を越えて横田に行くと、確かこのあたりのはず。。。


カーナビの真理子さんが意地悪をして詳しい道を教えてくれません。


いつまでも同じところをぐるぐる回っているので、真理子さんの策略にまんまとはまってしまったようです。


(ノ_・。)


地図と感を頼りになんとか刀剣間に到着。


ヤマタノオロチのモニュメントが聳えていました



入ろうとするとこんどは携帯が鳴ります。


インディー氏からの電話『いまから遺跡調査に行くから共をせよ』


親分の嫌がらせもなんとか振り切り、刀剣館へと参ります。


地下構造模型の実物大は本当に迫力があります。


高さ4メートルもあるのです。


私もミニチュアを作ったことがあるので、この模型がいかに金が掛かっているかがよくわかります。


この施設の展示の目玉ですが、十分に迫力がありました。


実際にこれだけ巨大なものが地価に構築されているのですよ。


地下でなく立体にしてみるとその巨大さが良くわかりました。



奥出雲は、日本美術刀剣保存協会がたたら創業をして鋼を作っているところですので、日本刀には切っても切れない土地柄。


展示されている日本刀の数々にも目を見張ります。


このところ、季節君はたたらが実在した時代の小説を読むようにしているので、刀には目が行くのです。


本差はもちろん知っていますが、脇差というのが思った以上に大きいのにびっくりしました。


1尺以上2尺以下というのですから、60センチでも脇差なのですね。


侍はこんなに大きな刃物を普段から2本も持ち歩いていたのですね。


信じられないです。



それから、意外と知られていない、30センチくらいの小さ刀を目にしました。脇差がこれくらいかと思っていたのです。




ケラの実物も見ました。(断面が金属鉄なので鉧に間違いないです)


銑鉄が意外ときれいにぎんぴかなのにも驚きました。


きょうは、机上の勉強だけでなく本物も多く見ることができて満足です。


 


しかし、これだけの施設を運営するとなると大変でしょうね。


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GW中ですが、たたらの楽校から電話がかかってきました。



新聞社の方が取材においでなので、応じて欲しいとのこと。


いつものごとく、愛車に飛び乗り(自転車のことね)さっそうと楽舎に到着しました。



取材内容は、今回出版した たたらの遺跡調査報告書について。


この本は、私たちが予想した以上に反響が大きく、出版したわれわれも驚いています。



天下のNHKでも報道されましたし、新日本海、山陰中央、毎日、読売など新聞各社でも取り上げられました。


鳥取県庁でも、知事室にお邪魔しました。


鳥取県教育委員会では今回の報告書を元に文化財登録を視野に入れて活動するようにとのご支持も受けております。


そして文化庁からの さらに長期の、さらに広域での調査指令が出ております。


イエッサー (*゚▽゚)ノ



がんばらなくてはとインディー氏ともども、季節君もふんどしの紐を締めなおしているのであります。


取材のたびにインディー氏は季節君も調査に参加しております(←ここだいじ)と気を使って発言してくれていますので、これからの調査にも微力ながら協力したいと思っています。



 


そうこうしていると、江府町の方からのお便り。。。。尼子氏の統治でたたらをしていたという由来の遺跡があるとか。1500年代のこととなります。鉄山墓どころか廃寺跡もあるとか聞きました。かなり規模も大きく年代も長期にわたるたたら場であったようです。詳しく調査しますので今後の報告にご期待ください。


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