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2014年01月

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山陰中央新報にエッセーを載せていただいて2回目になりました。


今回はたたらによって金属鉄ができる仕組みについて書きました。


研究書に載っている化学反応などはできるだけ書かないようにして、わかりやすく書いたつもりです。


しかし、書いている内容が、本来難しいうえに新聞には特有の形式があります。


ある、である体にして字数を少なくして直接的に内容をまとめるとか、体言止めを多く使うとか。


季節君がブログに書くようにお気楽なわけにはゆかないのです。


あわせて、季節君がのんびりと書いた文章が格調高く修正されていたりもします。


季節君の取り巻きの人も、堅い文章で面白くないと指摘します。


新聞に面白い記事を書くって意外と難しいみたい。


松本薫さんのエッセー講座に入門したいと思う今日この頃です。


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古来からの日本の鉄作りの中心地として出雲と伯耆はありました。


戦国時代にはどちらも尼子氏の領地としての伝説があり、人や物の交流もきっと、あったはず。


そして近代、つまり江戸時代のことね。


松江藩と鳥取藩という違いはあるもの、たたらの技術や物の行き来は確かにありました。


奥日野には奥出雲の鉄山師が経営したたたら場が多くあります。


また、境港市での鉄山融通会所のおはなしは、奥日野で作られた鉄が安来方面で売買されたことに端を発していますものね。


(現在、海と暮らしの資料館で境鉄山融通会所の特別展を開催中。詳しくは日野ごよみを見よ!)





明治に入っては、両地域の鉄山師が雲拍鉄山組合を作って鉄の共同出荷をしています。


そんな出雲と伯耆のたたらを巡るお話を一度掘り下げて考えてみようではないかと思いました。



というわけで、前置きが長くなりましたが、『伯耆、出雲のたたら経営』というフォーラムを開催してみることにいたしました。



基調講演は、知る人ぞ知る!知らない人はまったく知らないであろう加地先生です。


たたらについては大変多くの論文を書いておいでで、『都合山の研究』の本を書いた方でもあります。



つづいて藤原氏(中世貴族の藤原氏とはゆかりはありません、たぶん)が、奥日野のたたら場の調査報告を行います。現在230を超える遺跡を調査されています。皆さんのお近くの遺跡についても質問できると思います。



最後にパネルディスカッションで、島根の大鉄山師の研究をしておられる鳥谷先生、たたらの考古学の角田先生を交えてお話を進めたいと思います。



そして多くのたたら関連遺跡を抱える奥出雲と奥日野が、今後遺跡をどう利用して交流してゆくべきか。その歴史顕彰とストーリ作りをしたいと考えています。



フォーラムは3月2日13:00、場所は日野町文化センター。文化庁と鳥取県と日野町などがスポンサーについてくれているので駐車場無料、入場料無料、申し込み不要の先着300名となっています。


ふとっぱらじゃ (*゚▽゚)ノ



なお、今人気の出雲街道根雨宿ガイドは昼食込みで2000円30名限定で行われます。


フォーラム後に参加費100円(お茶代)で先生方を交えての座談会も開催されます。




 



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皆さん お寒むーございます。


このところ、冬に閉じ込められて活動が目に見えなくなっておりますが、でも春に向かって水面下では着々と準備をしています。


文化庁から出す本の原稿書きに追われたり、3月2日の日野町フォーラム開催の準備をしたり、新聞原稿を書いたり、事務局は大忙しです。


そんななか、鳥取県西部総合事務所日野振興センターに行きました。


流石にお役所なのでずいぶん難しい名前になっておりますが、昨年までは日野総合事務所の名前で出ておりました。


何しに行ったのかと申しますと、たたらの特別展が開催されているとのことなのです。


ロビーには名物童子切り安綱のレプリカがいきなり置いてありました。


 


やはり、たたらというと日本刀のイメージが強いようです。


また、伯耆安綱といえば日本一の古刀ブランド。


日本中の刀剣マニアのあこがれでもあります。


というわけで、先日伯耆国たたら顕彰会が作った鋼とともに安綱の展示となったわけです。


日本刀とたたらのつながりや伯耆のたたら、刀の紹介が詳しくなされておりました


皆さんもお気軽にお出かけになってはいかがでしょうか。


ただし、ロビーの小さなコーナーですので大きな期待をして出かけてはなりません。


 


たたらに関する展示会としては、境港市の海とくらしの資料館でも特別展が開催され、私たちが資料提供をしています。


2月には伯耆町二部公民館でもたたら特別展を準備しておられるようで問い合わせがありました。


すこしづつ、、、にぎやかになってきていますね。


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14日の山陰中央新報にたたらノートが掲載されていました。


いままで、あちこちであいさつ文や短い文章は掲載していただいていました。ブログなんかも気まぐれに書いていました。


しかしよっく考えてみれば連載ものとしては私の記念すべき第1回目です。


写真もカラーで大きな枠で掲載してくださいました。


自分で読みながら恥ずかしい気持ちもあり、私の様な者をよくぞ拾ってくださったと感謝の思いで一杯であります。


(*゚ー゚*)ポッ


第1回目の文章は、地盤沈下する日野郡を何とかしようとしたら、たたらの歴史に突き当たったという唐突なスタートになりました。


入院中のことゆえ、十分な打ち合わせもできず、新聞社の皆様にはご迷惑をおかけしました。


これからは、たたら自体の説明や奥出雲に小旅行したこと、我々のイベントなどをできるだけわかりやすい文章で皆さんに紹介してゆこうと思います。


これを通じて郷土の歴史について皆さんに知っていただけたら、関心を持っていただけたら、できることなら一緒に活動をしていただけたらと思います。


昨年も新たに活動を一緒に行うメンバーも増えましたし、本日はとある団体からたたらの特別展をしたいのだけれどという提案もあったりします。


少しづつですが活動が根付いている実感があります。


今年も頑張りますので皆さんのご支援をお願いします。


m(__)m


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皆さん長らくご無沙汰をしておりました。


実のところを言うと、季節君は年末から病院で軟禁状態になっておりました。


その際を利用して、空っぽの頭も少しは治療しておこうと影山先生の論文や本などを沢山持ちこみました。


しかし、その書籍も読み終え、このところ暇です。


そこでこんどは小話でも書いてみようと試みております。


さいわいというか、このたびの山陰中央新報でのコラム原稿の依頼もあり挑戦しています。


いわゆる、軟禁状態というやつです。


偉い作家の先生などは、ホテルに軟禁状態になる、いわゆる缶詰というやつを行います。


季節君の場合はずいぶんと差がついて病院で缶詰です。


何が一番違うかと申しますと、、申し訳ありませんが食事ですね。


まあ、病院ですので、仕方のないことなんですがもう少し食生活が豊かならいいのにと思います。


いわゆるめしがまずい状態です。


 


山陰中央の原稿は650字程度のものでたたらに関するもの。


私が活動で行ったところ、行ったイベント、地域に伝わるお話しや遺構のお話などをのんびりと素直に書いてゆこうと思います。


目標を100回とすると、ここのところで15回ほど書きました。


おおっ!すでに15%ではないでしょうか。


これならやれそうです。


でも、実際には稿を重ねるたびにだんだんとネタがなくなってきて苦しむそうですので、そのうち季節君もネタ探しに取材旅行などに出かけるようになるのかもしれません。


(それはそれで楽しそうですが)


今回のブログも病院から発信していますが、そろそろ退院となりました。


遅ればせながら季節君も活動を開始いたしますので皆さんよろしくお願いいたします。


 


なお、山陰中央新報では14日からの掲載です。最初は季節君の体調も考えていただき隔週記事となりますのでよろしくお願いいたします。


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