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2013年10月

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いよいよエコツーリズム国際大会の小旅行が明日行われます。


受け入れをするために伯耆国たたら顕彰会と奥日野ガイド倶楽部は今日一日準備に追われました。


まず、商工会前の駐車場に高殿を立てます。


とはいっても、鉄筋にトタンを張った現代風=即行組み立て、ただちに撤収型、はたまたどこへでも移動型の高殿です。


昨年も建てたので、今年は少しくらい慣れてもよさそうなものですが、やっぱし今年も学習能力のない我々は四苦八苦しながら何とか建てることができました。


ここで明日は竪型炉による たたら操業があります。



商工会館の2階は同日開催のたたら学習会の会場です。そちらに上がってみると、たたら学習会の会場にはすでに机も並べられ資料も準備できています。


ただ、鉄穴流しの実験用セットがあり、これで部屋の中で鉄穴流しをするのかと思えばちょっと不安であります。どうか,会館を水浸しにしないでね。



そして、5分で昼食を終え、たたらの楽校根雨楽舎へ向かいます。


午後には中海テレビの取材が待っています。


いつものカメラクルーがおいでになり、さっそくインタビューの打ち合わせ。


き、き、緊張のあまり季節君はお漏らしをしそうになり、トイレに飛び込んでしまいました。


o(≧~≦)o うぐぐ


なんたって、伯耆国たたら顕彰会を代表してインタビューを受けるんですから、いつもの能天気な季節君ではいけないのです。


そしていよいよ本番。


カメラの前でいろいろ質問にお答えしていると、自信のなさから季節君の目線はうつむき加減。


これではいけない!と思いながらも、、、だんだんと視線が下がってゆく季節君です。


カメラ目線と言うのは気の弱い人には意外と難しいものなのですね。


カメラのレンズに目を合わせると命を吸い取られる、とか言いますがやはりカメラの中には魔物が住んでいるのかもしれません。


皆さんご注意を。(意味わからんし)



さてこれから、明日の小旅行(エクスカーション)の荷物を準備して明日に備えます。


 


明日の小旅行には季節君は添乗員を仰せつかっているのでした。


よ~し、あしたはがんばるぞ!


(*゚▽゚)ノ


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いよいよ、資料館オープンの日がやってまいりました。


たたらの楽校がオープンして以来、展示物の充実が悲願でありました。


大宮楽舎では吉たたらのジオラマを製作されました。



根雨楽舎でも何か展示を、、と思っていた矢先に倉吉の斎江家から都合山高殿模型寄贈のお話が参りました。


そして、文化庁の補助による模型の修復。さらに倉吉の人形作家さんによる人形の寄贈がありました。


今年に入ってからは日野町が展示館を建設してくれると言うとんでもなくありがたいお話までありました。



そしてついにすべて完成です。


本日めでたく資料館の開館セレモニーが挙行されました。


マスコミからも読売新聞や山陰中央新報社、共同通信、日野振興局情報部(仮称)のみなさんがおいでになり、華々しくフラッシュのたかれる中、テープカットをいたしました。



町長さん、議長さん、鳥取県日野振興局の所長さん、斎江さんなどのご挨拶もあり、季節君の施設説明会もありました。



メールでは都合山を発掘された島根の角田先生からも祝電が参っていました。この資料館の正式名称は日野町歴史民族資料館分館ですが、われわれの間での愛称は都合山たたら資料館。影の呼び名は角田記念館とも呼ばれているとかいないとか。



本日は台風の影響か雨模様で残念でしたが、感激のあまり季節君の頬をぬらしていたのは雨ばかりではなかったような気もする今日この頃であります。


 



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さていよいよです。


大詰めなのです。


都合山たたら資料館の開館に向け、資料の展示をするのです。


都合山たたら資料館とは、私たちがつけた俗称で正式名称は『日野町歴史民俗資料館分館』といいます。




本日は日曜ながら、皆さん朝早くから集まり、高殿模型の移動の準備をします。



まづ、模型を運ばなくてはなりません。


今回は、模型を入れる専用の建物なので、当初から運搬や収納の計算がしてあります。


車が玄関まで入りますし、建物の間口も広く、引き戸の袖も外せるような特殊な作りがしてあります。


模型の人形などは取り外し、模型を大型車に積み込み、壊れないようにゆっくりと運びました。役員さんも多く参加してくださって、順調に運搬できました。



そして次に地下模型の運搬。


地下模型は専用に作られた巨大な額縁に収納し、やはりトラックで運びます。



この2点の構造物が今回の展示館の目玉になります。


さらに解説パネルを展示し、ほぼ完成。


意外と順調に展示ができたように思います。


ここまでの準備に2年かかりましたがね。


で、みんなでtea break


この白くて小さな餡子玉は私の大好物です。





資料館の中はこんな感じになっています。



本当に小さな資料館ですが、私たちにとっては夢のお城です。


まさか、ここまで事業が広がりを見せるとは思ってもみませんでした。


いよいよ明日。10月15日。午前11時オープンです。


わ~い♪\(*^▽^*)/\(*^▽^*)/\(*^▽^*)/わ~い♪


 


皆さんおいでください。頑張ってガイドの練習もしておきますからね。


v(*'-^*)-☆ ok!!


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人向山の調査を終え、そろそろ日暮れ。


やれやれと思っていると、山道をやってくる車がいた。


細い道なのですれ違えない。


インディー氏が運転手と話をしていた。


興奮しているようでだんだん声が大きくなる


やばいのかな?


「○☆?×○$!!」



こちらにやってくると、


「この先にもカナクソがあるらしい、ついでに調査するぞォ」



。。。。。。。。


うむを言わさぬ強引な口調である。


ま、彼に たたらのことで逆らっても無駄なんだけれどね。



ということで、車に乗り込み50メートル。


乗り込んだと思ったら、あっという間に、いや、まだあっともいわぬ間に到着である。



このあたりのはずなんだが、、、


小川周辺を探してみる。


草むらを探してみる。


対岸も探してみる。


ないな。。。


困った時は、小川である。


川に入ると、あったあった。カナクソが流れている。


上流だな。



川沿いを歩いて上がると、見ようによってはちょっとエッチな岩。



へっへっへ、、、眺めていると、おや?


カナクソである。


その向うの小川に向かって大量のカナクソが捨てられている。



棚から牡丹餅と言うかなんというか、、


そういえば『たなからぼたもち』というお土産があったななどと思いながら付近を捜索。


ガサガサと草むらを探していたら、こんなところに転がり出た。



ひょっとしたら、本床付近はすでに道になってしまったかもしれない。


とも思いつつ、ふたたび道から草むらに飛び込む。


草が深くて地形が分からないんだよね。


小川まで戻り、川をさかのぼる。


すると、、川の右岸に細い水路がありそこにカナクソが点在している。


その上は、こんな池。



最近に人の手が加えられているがカナクソが多くあるところから、たぶん昔は金池だっただろうと思う。


また季節君は大発見である。


ふふん(*^―゚)b グッジョブ!!


小川まで戻ると、、その上流にもまだカナクソが。


上流にまた新たなたたら場があるようだ。


一体季節君はどこまで行けばいいのだろう。


秋の山はつるべ落としである。


迷子にならないうちに本日の調査は終了とする。


人向山周辺もたたらの遺跡の多いところのようだ。


 


やっぱし、遺跡調査はおもしろい!


(*'-'*)エヘヘ




 



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根雨楽舎で役員の方と打ち合わせしていたら、奥日野のインディーさんが遺跡調査に向かわれるとのこと、居ても立ってもいられず同行させていただくことにしました。


遺跡調査の現場って新しい発見が次々あって、とってもスリリング。


おもしろいですよー♪♪


のんびり、とてもいい環境の中をあるくので健康にもいいのです。


インディーさんなんか、先日の健康診断で数字がよくて褒められたそうです。


糖尿病、肥満、成人病には遺跡調査が効果的。


なお、深みにはまりすぎに注意のため、用法容量はお守りください。



そんなこんなで、本日向かうのは、人向山


人向山は黒坂の大鉄山師 緒方家の操業した鉄山で、後に近藤家が操業しています。


そしてその後、近藤家の職員は都合山に移転したと資料に残っています。


ぜひ見てみたい遺跡です。


上菅駅を少し行ったところで、左に折れ山道に進入し、途中で小川を観察します。


小川にはカナクソが堆積するのでたたら場探索の貴重な情報になります。


探すと、あったあった、、なんてものではなくあたり一面がカナクソ。


炉壁も沈んでいます。



川岸はカナクソを巻き込んで大きな一枚の岩のようになっています。



炉が近くにあり、溶け出したノロが流れ出て川岸で堆積したのだろうと思っていました。


しかし、これが川岸のあちこちに見られるのです。


そんなにノロが流れ出すはずもなく理解に苦しみます。


おそらく上流で流したカナクソが堆積し固まって一枚岩のようになったのだろうと推測しますが、果たしてカナクソがそのように固まるのか不思議です。


わからんぞって思いながらも、人向山付近に到着。



付近を散策しているとそれらしい地形がありました。


入っていきなりは大きな平地です(前回の調査では金池となっていますが、後で大きな違いがわかってしまいます。)



その奥は鉄山墓。立派なものですが宝暦4年。半屋勘兵衛立之と書かれています。


緒方家ですね。



さらに多くの平地。


水路が走り、鉄穴流しに使われたようです


山は削り取られて複雑な地形をしています。


鉄穴流しによって削られた地形でした。



小道をたどってゆくとその深くえぐられた水路を越えて小道は対岸の急斜面へと続いています。


(手前に見えるのが水路の溝で対岸の山が本床のある山です)



正面突破です!対岸急斜面を季節君は登ろうとするのですが、地表はカナクソに覆われていてがらがらと滑り落ちてしまいます。


ヽ(`⌒´メ)ノ


その山頂への3面はどこもカナクソで埋まり人を遠ざけているようでした。


苦心の末に季節君は山頂を踏破しそこで見たものは!!!!抜け駆けして先に登り熱心に写真をとっているインディー氏でした(笑)。


山頂の本床からの眺めになります。



丘の上は平たくなっていてここが本床なのは一目瞭然です。


湿気を嫌って山の上に床を作る。


旧来の山内の様子です。


ここで作られたケラ塊はどこに落とされてどこで割ったのか。


私たちには金池や銅場の位置を確定することはできませんでしたが、都合山の配置から見ても金池は本床近くなのは間違いありません。



前回の生産遺跡調査で、金池と記載されていた入口の場所は本床から遠すぎます。


そこは中央に樋(とい)の石垣が築かれ平地は左右に分かれています。



都合山に行かれた方はもうお分かりだと思います。


ここは砂鉄洗い場なのでした。


大きな金池を有するたたら場を『人向山型』と名づけていますが、本当の人向山には金池があったかどうかすらわからない状態でした。


さらにたたら場中央にある山は壁山とされていますが、水路を挟んでいて本床から遠いので壁山にはならないようです。


前回の調査はあまりに広域での調査で大雑把になってしまったようでしたが、日野郡の多くのたたら場を時間をかけてじっくり見てくると少しずつ見えてくるものがあるように思います。



さらにこの後面白い展開になります。


チャンネルはそのままで!  ちがうか。





 



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