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2013年07月

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カナクソって皆さんご存知ですよね。


砂鉄に含まれる約40%の不純物が炉の中で熱せられて溶け出し固まったのがカナクソです。


 


ですから、たたら場には不要となったカナクソが大量に捨てられているのが一般的です。


製鉄遺跡調査にはこのカナクソの存在が重要なのですが、季節君が最近になって分かってきたのは、カナクソにもいろいろあるということです。


 


これが普通にあるカナクソです。


 


 


そして炉から出た不純物(ノロ)は低いくぼみに溜められます。それを壊してしまったのがこんなかたちのカナクソ。20センチくらいで厚みもあります。


 


湯溜まりに溜めたものがあまり大きくなりすぎて、壊せなくなって廃棄されたものもあちこちで散見されますが、大きいものは1メートル以上あります。こんなのはカナクソの親分ですね。(日南湖畔)


 


さらに、たたら場直下には炉の粘土と合体したままのカナクソもあります。この場合は炉を壊すときに炉壁にくっついていたカナクソですね。こんなのが出るところは本床まじかであったことが明らかです。 まじか!


 (;^◇^;)ゝ イヤァ


 


ところで、先日日野町では記録的な集中豪雨がありました。高速道路も使えなくなり、三連休最終日であったこともあり大渋滞が発生しました。


もちろん、日野川も増水したのですが、支流の板井原川や舟場川も氾濫しました。


その支流を見てみると多くのカナクソが打ち上げられていました。


数百年という長い年月をかけて山中のたたら場跡から町まで流れてきたのです。


カナクソは転がってくるうちに角が削られまん丸になっていました。


言い換えれば、この形のカナクソが発見できればその川のはるかに上流にたたら場跡があることになります。


 


また、このカナクソは山里の集落のはずれにある鍛冶場跡から発見されたものです。


炭の破片に混じって小さなカナクソが堆積していました。


たたらで作られるケラは不純物の混じった不均一な状態です。それを鍛冶場で鍛錬して製品化する工程で、不純物がはじきだされます。


こういった小さなカナクソの破片が集中しているところは鍛冶場の可能性が高いことがわかります。こういった鍛冶滓には鉄分を含んで磁石にくっつくものもあります。


 


一口にカナクソと言っても生まれや育ちが違うのです。


これからたたら場調査をするときはカナクソの形状にも注意が必要だなって思います。


 


また、根雨楽舎では、自作のカナクソを使って金運のかけらというアクセサリーも販売しています。よろしくお願いします


(注意)カナクソはそこが遺跡であった証拠になります。ですから今後の遺跡保存のためにもむやみに持ち帰らないでほしいのです。


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永田和宏先生という方があります。


東京藝術大学教授。東京工業大学名誉教授。日本鉄鋼協会理事。ものづくり教育たたら理事長など多くの肩書きをお持ちです


おおっ!!!。


あの東京芸大、東工大といえば日本を代表する学問の府です。


その方が先日、突然、降って沸いたように、棚から牡丹餅のように


たたらの楽校を訪問くださいました。


 


これは一大事と重要会議を飛び出して季節君は先生にお会いするために根雨楽舎に行きました。(季節君が後で大目玉を食らったのは言うまでもありません。)


近藤家御当主とインディーと3人でいろいろお話しました。


 


先生は、近藤家の角炉製鉄に興味をお持ちで、論文を書いておられました。


粘土による長方形炉は操業するたびに取り壊されるので効率が悪いわけで、それがたたら製鉄のネックでもありました。


そこで近藤家は小花冬吉 黒田正暉らに指導を受けながら角炉による砂鉄精錬を試みます。


耐熱煉瓦で炉を造ると繰り返し操業できるからです。


 


これについては私たちも勉強不足で、何らかの試みがあったくらいにしか思っていませんでした。


しかし永田先生は、近藤家による角炉精錬は事業としての操業にまで達していたとお考えです。このことについては私たちももっと勉強してみなければいけません。


先生から論文を送っていただいたり、私たちの手元にある資料をお送りしたりと情報交換は続いています。


新屋にあるたたら場には角炉があったことは知られていますし、江府町でも角炉があった場所を特定することができました。


影山先生の資料集にも近藤家の角炉による鉄産出量が記載されています。


また日南町たたら研究会の山本さんが書かれた本にも角炉について記載されています。


まだまだ伯耆のたたらについては私たちの知らないことだらけです。(>_<)


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妻木晩田遺跡と聞いてお分かりになるかた。


それはかなり古代史に興味をお持ちの方とお見受けいたします。


じつは、その妻木晩田遺跡が保存決定から15周年を迎えることになりました。


今朝の新聞記事に出ていたのです。


http://www.pref.tottori.lg.jp/item/836571.htm#itemid836571


実は弥生時代の遺跡としては、吉野ヶ里遺跡や登呂遺跡をはるかにしのぐ国内最大の遺跡です。


そのむかしは山陰が日本の中心であったのかも?と思えなくもない??地元びいきな季節君です。


 


あす、そのむきばんだで遺跡保存から15周年の記念式典があるのだそうです。


このところ、天気は良くないですが、歴史マニアの方は、お出かけになってみてはいかがでしょうか。


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今日は沢山のたたら場をめぐってもうお腹いっぱいです。


そろそろ、帰りましょうか?


と思うと、、インディーは曇天の空を見上げて『次はどこにしようか?今日は2人力だから難しいところにしよう』


とさっさと車に乗り込みます。


とほほ (;一_一)


 


次の場所は道路沿いの段々畑。



すでに耕作は放棄されていて笹やぶになっています。


右側には何もなく、左の山道からカナクソが出ました。


堅く踏みしめられた地面にカナクソ。しかし側面やその上の平地には草が生い茂っていて地面すら見えません。


熊手でガンガン草と戦っていたら、あらら。。。。熊手が折れてしまいました。恐るべし荒地の夏草。


季節君の心まで折れてしまいそうです。


見取り図や緯度経度を測定し次の場所へ。


 


次の場所はもっと情報があいまいです。


沢の右岸の畑周辺では何も出ず、左の山道を調査します。


季節君の得意とする沢登なんですが、沢は深く落ち込んでいて草が生い茂っています。


こんなところに入ったらマムシの集団登校に出会うこと必至です。


くわばらくわばら O(≧~≦)o 


 


杉山に入ったところでインディー氏が『カナクソ発見!』  ぎゃー!!


 


カナクソだと思ったのは野獣の野糞であったそうで、しっかりわしづかみにしてしまったそうです。


(獣はトイレに行かないので、基本的に野○です (笑))


夏山の調査には危険がいっぱい!


車への帰り道、舗装道路のそばで小さなカナクソが落ちていました。


来年の春、草がない時にまた調査だー!と思っちゃいました。


 


帰りに鳥取県生産遺跡調査に記載のある 大畑たたら に寄り道し、図面を作って現状を確認して本日の調査は終了としました。


 


今日1日。面白かったけれどくたくたの1日でした。


ま、とりあえず (*^―゚)b グッジョブ!!


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次のたたら場は、昔、家の裏にカナクソが沢山あって漬物石にしたというおはなし。


家の裏の竹やぶ付近だというのだが。。。。


インディーが家の人に聞きこみに行った。


カナクソは鉄の再抽出をするために大分運び出してしまったらしい。


ここまではよくある話。


家の裏を見せていただくと地表にわずかにカナクソが埋まっている。


たたら場の付近には必ず川がある。


ここも例外ではなく小さな沢があった。


その沢を見るとカナクソが点々とある。


まるで私においでおいでと誘っているようだった。


それにつられて、自然と足は山奥に向かう。


カナクソがあった!、、、またあった!ずいぶん山奥までカナクソが点在する。


勢い込んで歩いてどんどん山奥に登ってゆくと、いつからか全くたたらの気配がなくなってしまった。


それでも、どこかで新発見があるんじゃないかと、またしてもどんどん山奥に入ってゆく。


気がつくと沢も枯れている。


しまった。。。。この時、季節君はあまりにも遠くに来てしまったことに気付いた。


「インディー!!」


大声で叫んでみるが、声はむなしくこだまする。


げ!やばいし 


(ノд・。) グスン


 


焦って谷を降りようとしたら落差の大きな崖を落ちてしまった。


うわーーー!!!


映画だと、ここで滝つぼに落ちるんだよね。


でも季節君は腰までの流れに尻もちをつきました。


おしり、濡れちゃったし。


(ノ_・。)


 


インディーに携帯電話するとすぐに来てくれることになりました。


 


大きなカナクソ(ノロ)が沢山落ちている周辺が本床なんでしょうね。これは20×21センチ




肥料袋と比べると大きなカナクソなのが分かります。


右岸にわずかに平地がありますが沢に浸食されています。平地は笹やぶになっていてカナクソや床の形状は発見できませんでした。


ずいぶん山の中だし、小さなたたら床のようだし、カナクソも大きなものがわずかに残っているだけ。かなり古い遺跡だろうなって推測しました。


そして沢を下ります。


インディーもきっちり違うたたら場を見つけていました。水路に小さなカナクソが一杯落ちてるし、その上の急斜面にもカナクソや焼けた粘土片が落ちています。


そして家の裏の笹やぶ。


ここでは3か所のたたら場跡があると思います。


たたら場の名前は家の人と小字名を相談し『佐木谷 家ノ奥谷たたら』


なんとも当たり前の名前となりそうです。


お尻もすっかり乾いたし、おうちの人にジュースをごちそうになり次の調査に向かいます


つづく


 


 


 


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