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2013年06月

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本日の日本海新聞にも掲載されていましたが、松本薫さんが新しい本を出されました。


松本薫さんと言えば、小説『TATARA』で鳥取県出版文化賞をとられた作家さんです。そこは説明しなくても、もういいですよね。


今回の作品は 『ビバ!彫刻』という本です。


松本さんにはたたら顕彰会もずいぶんお世話になったので、今回はそのお礼もかねてPRします。


米子で彫刻シンポジュームが開かれた、そのときの様子を書いたものなのですが、そういえばそんなこともあったかな?という程度の記憶しかありません。


ましてや、季節君は米子で暮らしていないので良くわかりません。


 


米子は彫刻が多くおいてある町だなってくらいの印象しかありませんでした。


 


さっそく読んでみます。


あまり芸術というものに縁のない季節君ですが、この本自体は大変読みやすくさらさらと読み進むことができます。


流石にこの筆力は松本さんの実力であります。


 


読んでゆくうちに、米子の彫刻シンポジュームってこんなに苦労して実行されたんだなと驚いてしまいます。


わたしたち伯耆国たたら顕彰会も民間から、一文無しから立ち上げたのですからその苦労は良くわかります。


まだ半分しか読んでいないのですが、これからは米子の彫刻を見る目が違ってきそうです。


 


さいごに裏表紙で松本薫さんが飛び跳ねている写真。。。。


細田さんが撮っているんですが、どう見ても国語の先生の写真ではないですね。


まあ、いつもトンデル作家の松本薫さんだからこういうのもありでしょうが、、ましてやイモトカオルの従姉妹さんですからこれも血筋なんでしょうが、書かれる作品とのイメージの違いに皆さん腰抜かしそうですよ。(笑)


 


小説TATARAの写真の美人作家のイメージが吹き飛んでしまいました


「(´へ`;ウーム


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今年10月、エコツーリズム世界大会と言うのが鳥取県で開かれます。


季節君も、一度この会議に出席したのですが、そもそもエコツーリズムと言うのがよくわからない?ということで季節君は早々にこの委員会を破門されてしまいました。


エコツーリズムというのは、環境や自然、歴史などを体験する小旅行のことと考えていいようです。


 


ということで季節君の無知には全く関わりなく世の中は動いてゆき、本日エコツーリズム世界大会のモニターツアーが日野郡で開催されました。


 


午前中は日南町のたたら関連エリアを回ります。


吉鑪とか、呼子山とか、木下家、大宮楽舎とかを見学しました。


日南町では大宮まちづくり協議会のみなさんが、頑張って活躍されました。


そして午後は日野町。


 


都合山とか舟場山とか、根雨ぶらり散策とか、金持神社とか、朝狩山とか行きたいところはいっぱいあるのですが、今回は時間の制限もあり根雨楽舎、近藤家周辺が視察スポットとなりました。


 


季節君は根雨楽舎の担当です。


根雨楽舎では劇団サンフィールドや町民ミュージカルのスタッフが大活躍してくださいました。ステージ衣装で応援に来てくれた役者さんをパチリ!


 


根雨楽舎での資料の解説やコーヒーブレイクをサポートしたのですが、、、いつものごとく季節君はサポートにならずただのお邪魔虫でありました。


 


それでも、参加者のみなさんは喜んでおられて、日野は古い街並みが大事にされているとか、ここにこんな大きな歴史が眠っているとは驚きだったとか感想を聞きました。


お客様の反応を見て、また頑張らなくてはとファイトがわきましたね。


本日おいでのお客様、また時間を見つけておいでくださいね。


(*^-゚)vィェィ♪


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伯耆国たたら顕彰会では都合山遺跡の草刈作業をしましたが、じつは都合山には正規のたたら街道を使った進入路(上菅→花口)と近江からのショートカットがあります。


今回は上菅から都合山への進入路の草刈作業をしました。


朝9時に日本一小さな蔵美術館に集合。


結構若い方がたくさんいらっしゃいます。


鳥取大学からの応援参加でした。


こうして地域おこしに地元の大学生が協力してくださるって言うのはとてもありがたいです。


いくつかのチームに分かれて作業開始。


下から草を刈ってゆくチーム。大きな倒木ばかりを集中的に排除するチームなど。


季節君は倒木排除の5人編成のチームになりました。



山仕事のベテランの方がチェーンソーで大きな木を切り離し、季節君たちが運搬します。


ひとしきり活躍し作業が終わった後、皆さんまだ都合山に入ったことがないとおっしゃるので、季節君がガイドをしながら都合山を見ていただきました。


地元大学とはいえ、学生さんは京阪神などからおいでなので、初めて聞くたたらの話に興味津々でした。


そしてお昼になり、公民館で昼食。


いつまでたっても全員そろわないなって心配した頃、最後のチームが作業を終え到着。


もしお時間があったら根雨楽舎にもおいでくださいねってお話して別れました。


若い人たちと一緒に作業できて、なんだか今日はとってもいい仕事をしたようです。


(*^ー゚)b グッジョブ!!


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たたらでは、鉄の原料に砂鉄を使いました。


その砂鉄も、最初は川に堆積したもの(川砂鉄)、海岸に打ち上げられたもの(海砂鉄)を使っていたようですが、近世くらいになるとさかんに山を崩して砂鉄をとるようになります。


これが鉄穴流しと言われる方法です。


これについては鉄山秘書にも詳しく書かれています。図面も書かれています。


要は、真砂山(劣化花崗岩)を崩し、水流で土砂を流しながら比重により重い砂鉄を人為的に堆積させ、砂鉄を採取する方法です。


鉄山秘書にはまず朝初めに山の上に上がり石を落としておくこと。(山を崩すときに岩が落ちてくると危ないですからね)


とか、山の上に堤を築いて水路をひき、水流で土砂を流す方法とか書かれています。


恐ろしいことに、落盤で人が生き埋めになるのでその回避方法とか、もし生き埋めになったら水は流さないようにとか(土砂が締まってしまいます)、埋まった人は穴という穴から血を噴出すとか書いてあって恐ろしいです。


 


で、気分を変えて砂鉄の選別方法です。


長い樋を作って落差をつけながら流すのですが、実物が横田には残っています。


ということで羽内谷鉄穴流し場に行ってみました。



こういったものが残っているのが島根です。


歴史をとても大事にしていらっしゃいます。


奥日野では鉄穴場とか鉄穴流し跡とかはありますが、ここまでしっかりとは残っていないのです。残念ですね。


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エコツーリズム世界大会の準備をしています。


関連ツアーとしてたたらのポイントめぐりツアーを準備しているのですが、日南町の各地を車で走ってみました。


呼子山は、近藤家の絵図が残っていて山内の配置も正確にわかっています。小舟などの地下構造も露出していますし、金屋子やカナクソ捨て場もあります。残念なのは元小屋などがあった場所が整地されてわからなくなっていることですね。


そのあと、吉鑪に行きました。


吉鑪は大正10年まで近藤家が操業していたところなので、近藤家の文書に配置図が残っています。また一部写真もあるので、かなり完成図の精度が高いです。


そういったわけで、地元で想像図が作られ看板になっています。




しかし、配置図も年代によって少しずつ違っていますし、たとえば水車の構造や鍛冶場の位置などはまだ研究の余地があると思っています。


近藤家文書によれば、福岡山の大鍛冶が完成し、スチームハンマーで飛躍的に生産性があがってから、吉鑪周辺のたたら場で生産した鉄は福岡山で集中的に処理されたそうです。そのためにたたらが終焉した後もしばらく福岡山の鍛冶場は産鉄の処理に利用されたそうです。ということで吉鑪の鍛冶場は大正9年の図面にはなくなっていました。


 


そんなことを役員で相談しながら阿毘縁に行きました。大宮と阿毘縁の中間あたりはたたら場の所在が確認されていません。古いたたら場は必ずあるはずの場所です。刀鍛冶発祥の地と伝承のある大原などもあります。大原周辺も歩いてみましたが結局道に迷ってしまいました。どなたかこのあたりに詳しい方、連れて行ってくれませんか?


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