都合山保全作業をしました
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都合山と言うところがあります。
日野町上菅から山に入ったところですが、ここで近藤家が明治にたたらを操業しました。
そして、俵国一博士が明治31年に現地調査をされ、古来の砂鉄精錬法という本になりました。
また、俵博士はドイツで論文発表をされ、レーデブア論文に引き継がれました。
そうした、たたらの操業が克明に記録された製鉄遺跡が、現在もそのまま残っています。
もちろん、現在は建物はなくなっていますが、昭和40年ころまでは集落も残っていて人が暮らしていたそうです。
そんな都合山ですが、地元のみなさんがずっと保全作業をしてこられました。
これをしないと、道は荒れ、草が生い茂って何があるのか分からなくなってしまうのです。
昨年から伯耆国たたら顕彰会がその作業を引き継いでいます。
今年も、見学者が多くなる前のこの時期に清掃作業をしました。
(今年は、エコツーリズム世界大会の視察も予定されています)
あいにくの雨の中、草刈りに集まった精鋭たち。
ぎっくり腰でリタイアしたもの。田植で参加できなかったものなどの無念を背負ってここまでたどり着いた者たちでした。(笑)
軽トラックに資材を積載し、山道に入ります。
遺跡への進入路は昨年秋、雨で崩れたのですが、応急の補修がなされていました。
現地に到着しまず現状把握。
何年も草刈りを続けているのでひどく荒れてはいないです。
一番心配だった溜め池に行くと、幾分浅くなっているものの、池の主である緋鯉は無事に遊んでいました。
そして作業開始。
季節君も刈り払い機を使って慣れない作業をします。
吼えろ!刈り払い機~!!
(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-
刈り払い機をブンブン言わせながらまわりに茂った笹の茂みを刈り払います。
砂鉄洗い場。高殿跡。元小屋。大鍛冶ときれいに刈り取ってあげます。
お昼になり、みんなが集合したころには遺跡はかなり綺麗になっていました。
都合山に入るのは初めての女性のかたに、『ここが大銅場と言って、3トンくらいの鉄の塊(ケラ)を破砕していたところですよ。』
というと、『なるほどだから壊れたカナクソがいっぱい散乱しているんですね。』
これなんか大きなカナクソですねと言いながら、あちこち探していると
、カナクソと粘土が合体した大きな破片があります。
これは創業当時、炉を壊すときに炉壁がケラにくっついたまま運ばれ、大銅場で壊されたものでしょうね。
まだまだ珍しいものが残っていますねと言いますと、珍しそうに眺めておいででした。
都合山のイメージ映像はこちら http://www.youtube.com/watch?v=p3GuLDSSjUQ