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2013年02月

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今日は鳥取県商工会連合会の事例発表大会がありました。


季節君は日野町商工会の役員なので出席しなさいとお達しがありました。


商工会が、かかわった事業所の業務展開に関する報告会なのですが、元気な企業がいっぱいあるなって驚きました。


介護サービスで展開する企業とか、精密部品の海外生産との仲立ちをする企業とかあって、若い人は元気でいいなって思いました。


わたしも、たたら顕彰会より自分の事業にもっと力を入れて頑張らないといけないなって思ってしまいましたね。


そんなことを考えながら、3月2日の講演のストーリーをどうしようか考えながら、運転手さんに送ってもらっての倉吉からの帰り道。


峠は雨になっていて暖かいです。今年の冬はあまり積雪も多くなく春になりそうですね。


bbbbbbbb、、、、、


やっと商工会に帰ってきたら真っ暗な事務所に電気が点っていました。


事務職のおねえさんが一人待っていてくれました。


3月2日のたたら顕彰会の講演についてお問い合わせが来てますが、、というお話でした。


私が、きちんと説明していないので情報が交錯しているのかなと思います。


たいへん申し訳ありませんが、3月2日は季節君の担当です。


退職校長会ですので、一般の方は参加できません。


13日も県職員さんの講演会なので一般の方は参加できません。


5月の明道公民館の講演は、日野町のベートーベン氏の講演ですが一般にも公開されるのではないかと思います。


説明足らずで申し訳ありませんが、どうぞご理解をお願いいたします <(_ _)>


 


 


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そろそろ、寒かった冬も終わりに近づき、春の気配がしてきました。


庭の梅やちんちょうげも蕾が膨らんでいます。


伯耆国たたら顕彰会も少しずつ春に向かっての活動計画が動いています。


根雨楽舎の展示計画も動いていて、3月後半の工事、4月はじめのオープニングの予定です。


オープニング記念事業でどんなイベントをしようか思案中です。


 


高殿模型もほぼ完成し、人形の到着を待つばかりとなりました。


また、高殿模型の展示についても計画が進行中です。


まもなく3月になるので忙しくなります。


 


そんな中で、伯耆の国のたたらの歴史に関する講演の依頼が来ています。


3月2日には米子市で鳥取県退職校長会主催による1時間30分ほどの講演をします。


3月13日には鳥取県総合事務所長会議があり、県内各地の総合事務所長さん、県民局長さんがお集まりになり、1時間ほどのお話をすることになっています。


5月13日には米子市明道公民館の講座で講演をさせていただくことになっています。


そのほか、12月には鳥取でパネルディスカッションもあります


 


この3年間でたたらに関するいろいろなことがわかってきました。その内容を伯耆国たたら顕彰会の役員が交代で講演やガイドをすることになりますが、参加者の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。


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本年度の目玉事業です高殿模型の修復事業。


倉吉にうかがってから1年かかりました。


本日の作業で、地面を作ってとりあえず完成です。


これから1週間かけて地面を乾かすと、他の場所と同じ色になります。


気合を入れて作ったので、ちょっときれいすぎる感じもしますがこんな感じでどうでしょう。



 



このあとは、炭や小道具、を配置します。


そして、人形が届いたら配置を決めて終了になります。


みんな1年間よく頑張りました。


始め見たときはどうなる事かと思いましたが、こんなにもきれいになりました。


そして、展示施設ができれば移動して御化粧して、説明パネルなんかも作ってみようと思っています。


御披露目のときには皆さんおいで下さいね。


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日曜は都合山、高殿模型の修復作業の日です。


2月10日の日曜も、いそいそと修復工場に行きました。


このところ、少しずつ完成に近づく模型を見るのが楽しくなってきました。


前日になると、夜も布団の中で、修復作業のイメージトレーニングをすることがあります。


粘土は接着剤を入れて練り直す。壁塗りには鏝をこっちから入れて隅まで丁寧にとか、、


 


本日は雨も降らなかったので、季節君ご愛用の自転車でのんびり工場まで行き、シャッターを開けます。


工場のメイン電源を入れると、照明と同時に模型の炉にも火がともります。


炉の中にはLEDが入っているので、とても奇麗に炎が燃え上がり人目を引きます。


この炉と天秤鞴が入ってから、がぜんと見栄えがするようになったのでした。


次々と役員のみんながやってきて作業を開始します。


 


今日は、入口の壁を上塗りします。


レシピの説明をしますね。


事前に粘土を乾燥させておき、細かく砕きます。


この時、大気中に舞い上がる粉じんを吸い込まないようにマスクを忘れないでね。


周辺に粉が飛び散らないように、金属桶の中で金づちで粉々にしてあげるといいでしょう。


そして篩にかけて小さなゴミまで取り除きます。


ここでふわふわの顆粒状になるといいでしょう。


そして出来上がった粉に水を入れます。日野川支流のきれいな渓水を使います。


耳たぶくらいに堅めに練ってくださいね。


そこに接着剤を入れるのですが、洗面器半分の粘土を練るのに100CCくらい入れて丁寧に練り上げます。


接着剤を入れると一気にゆるくなってどろりとした感触になります。


これを小さな鏝で壁に塗ってゆくのです。


 


壁が上塗りできたら、村下の部屋を完成させます。小さな炉を入れ粘土で固めます。床には筵を敷いてあげました。


そして三和土の地面を作って部屋を固定します。


今日はここまで。


粘土が乾かないと、壊れそうで危ないのです。


 


次回は地面を塗っていよいよ完成が近付きます。


炉からノロが出ているように発光ボードで細工がなされているので、地面に廃滓溝をつけなくてはなりません。古い写真ではU字に溝が掘られているようです。


現存する菅谷高殿では、すでに埋め戻されていてわからなかった部分ですが、操業時の写真を発見したので復元できそうです。


いよいよ完成間近となりました。


まじか! 


。。。。。。。。っておやじギャグですいません。(;^◇^;)ゝ イヤァ


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『明治時代、呉海軍工廠では銑鉄をるつぼに入れて加工して使ったそうですが、伯耆では玉鋼を出荷したということになっています。その兼ね合いをどう見るか。銑鉄も鋼も出荷したのか。それとも、当時、玉鋼と呼ばれていたのは実は銑鉄なのか。』


前回の記事に書いてある疑問点を調査すべく日野町図書館に行きました。


じつは、一晩考えて神奈川大学の渡辺ともみ博士の著書にヒントがあると思ったのね。


 ★★★★★★★★★★★★


思い起こせば、渡辺先生との出会いは突然でした。


2年前に鳥取県立公文書館の公開講座で、元山形大学教授葛西先生の御講演がありました。


そのとき、出店近藤での懇談会に渡辺先生と加地先生がおいでになり、一緒にいろいろと鉄についてのお話をいたしました。


渡辺先生は金属学がご専門ですので、たたらにつついても私たちとは違った視点をお持ちでした。


何度か渡辺先生の著書を読んだことがあるので、たしかあの本に帝国海軍の鉄事情が書いてあったぞと思いだしたのでした。


早朝から図書館に行きしらべてみると、


おおっ! o(*^▽^*)o ありました。


明治16年に伯耆国日野郡笠木産(笠木と言えば、近藤家の谷仲山か?)、同国鑪面山産、出雲吉田村、上佐村産の鋼を使って黒鉛坩堝を用い鋳鋼製錬を開始したとあります。


外国産の低燐銑鉄は優れているが高価で戦時には入手しにくいため、外国銑鉄30%国産 鋼、包丁鉄70%をるつぼの材料として使用するようになりました。


ちなみに明治19年呉海軍工廠の請書には玉鋼という文字が記載されているとあり、このころから玉鋼という言葉が使われるようです。


というわけで、呉海軍工廠で使われた坩堝の材料は外国産銑鉄、山陰の包丁鉄、玉鋼(軍部に出す以前は頃鋼と呼んでいた、ちなみに刃物にする高級鋼は造鋼)ということです。


 


結論は意外にもどちらも混合して使われていたということになりました。


う~ん。また一つ賢くなったぞ(笑)


こうして季節君がこの3年間にお会いしたかたは400人を超えます。こんな私のような門外漢の人間がみなさんに教えられて少しずつ理解が進んでゆくのですね。


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