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2013年01月

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 奥日野では深々と雪が降り積もっています。


その夜更けに何やら怪しい人影。 ...(((〃・・)ノ


そして修復を終えた出店近藤のお屋敷。


 


この建物で今後たたらの資料を展示するわけですが、その作戦計画を立てるため、伯耆国たたら顕彰会の幹部が集まりました。


きれになった建物に感嘆の声が上がります。



二階では高級料亭のようにお食事や宿泊もできそうなたたずまいです。


 


 


中庭は雪明りにうっすらと雪景色が浮かび上がっていました。


 


今後の活動の大まかなスケジュールを決めて、3月中に根雨楽舎の展示を完成させ4月になったらいろいろとイベントをやりたいねと話がはずみます。


高殿模型の修復展示。遺跡調査。たたら操業。中国山地たたらサミットの継続事業もやりたいと思っています。


 


また、小説TATARAがいよいよ電子出版されることになりそうです。


上下巻のほかに、先日演劇した内容の外伝も加えて三巻構成にしたいねと、たくらんでいます。


 


伯耆の国たたらめぐりツアーにたたら楽検定を組み込んでバスを仕立てることも計画中であります。それにはまず、コースを設定しないといけないし、検定問題も作らなくてはいけないし、上位得点者への特典もほしいと思います。


何やら考えなくてはならないことが多くなってたいへんなことになってきました。


 


こうしてはいられません。すっくと立ち上がった季節君は、雪の降りしきる根雨の町の夜空を見上げて決心をしました。


( ̄∩ ̄#)  


2月に入ったら、さっそく鳥取県の担当課のみなさんと打ち合わせをしてこようと思います。


 


(お知らせ)JR米子駅2階に奥日野のおしどりや町並みなどを紹介した展示施設がオープンしました。


これは1月20日から2月17日までの限定期間ですのでお近くのかたはぜひおいでになってみてください。


 


 


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昨年末に都合山の製鉄遺跡を紹介する動画を発信しました。


このブログでも情報発信しますよと書いたことがありますが、この都合山の動画サイトを紹介する記事が日本海新聞に掲載されました。


そして昨日1日で100件を超えるアクセスがありました。


新聞の影響力に驚くとともに、紹介していただいたことに感謝です。


 http://www.youtube.com/watch?v=p3GuLDSSjUQ


そのときの新聞記事にも書かれていましたが、遺構の中で面白いものは、今後少しずつ紹介してゆこうと思っています。


伯耆の国には日南町で120、日野で50、江府で40、伯耆町で100など300を越える製鉄遺跡が確認されているのですが、物語性があるものや、遺構がしっかりと鑑賞に堪える形で残っていて動画にできるものはそう多くはないと思います。


のっぱらにカナクソが散乱しているだけのものや(のぐそではないですよ)、すでに道路や田畑になって破壊されている遺跡も多いのです。


見て面白いのは近世、近代の大掛かりなものですよね。古地図や資料も残っているし、石垣や金屋子の痕跡のあるもの。中にはまだ小屋が残っていたり、柱が残っていたりします。そんなものの中で了解が得られたものを紹介してゆこうと思うのです。


一方で日野川源流や舟場川源流のような古い遺跡は私にとっては興味深いのですが、山の中腹をL字型に切り開いた小さな遺跡というのは見る側にはインパクトがないかなと思います。


そんなこんなを考えながら、せっかく新聞でも取り上げていただいたのですから前回のTV取材などで写真の撮りためてあった舟場山鉄山の動画を作ってみました。


http://www.youtube.com/watch?v=ZXH2pTt1u8Y


楽曲提供は前回と同じくテレビCMの曲製作をしておられる すぎはらみきをさんの提供になります。


 


 


 


 


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みなさんは鳥取県日野県民局が出しておられる情報サイト「日野ごよみ」をご存知でしょうか。


役所の仕事とは思えぬ、柔軟な発想で展開されるお話にファンが多いサイトです。


もちろん、季節君もこのサイトが大好きなのですがこんな記事が出ています。


http://www.pref.tottori.lg.jp/item/770435.htm#moduleid302220


近所で3か所見つかった製鉄遺跡のうちの一番古いものについての記事です。


防湿構造が未熟だったころ、川から高度差のあるところにたたら場を作ります。


また、古い時代には里からはなれたところにたたら場を作ります。


山の中腹に10メートル四方くらいの平地を作り、谷にカナクソを投げ捨てた。


まさにそういった遺跡の発見当時の記録です。


 


また、このサイトでは舟場で庄屋をしておられた佐々木家の御屋敷の記事やオシドリの記事なども満載です。


皆さんもファンになってくださいね。


 


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江府町の下原重仲が江戸時代に書いた鉄山必要記事。


先日からこの本を読んでいるのですが、ケッコウ厚みのある本なので読むのに時間が掛かります。


今日は第五から読んでみました。


日本書紀によると鞴(ふいご)には鹿の皮を使ったとある、、と書いてあります。この下原さんは大変な勉強家であったようで、当時に日本書紀を読んでいたのです。


(私も先日、日本書紀を読みましたがこれがまた大変な厚みのある本で読むのが大変です。)


江戸時代、下原さんのころには、すでに鞴には鹿ではなく狐でもなくロバでもシマウマでもなく狸の皮が使われていました。(狐の皮は狸より弱いそうです。狸の皮は臭いので、当時でも高級ブランドのコートやムートンにはならなかったようです。臭くて敷物にもならないと書かれています)


山の狸は毛並みが悪く、硬いので加工しにくい。備前、備中の里の狸は皮が柔らかく、腹まで毛が生えそろっているので長持ちがして良いそうです。良い子のみなさんもふいごを作る時は備前、備中の里狸を使ってくださいね。


天秤ふいご大工は川村郡西谷村、下畑村。日野郡では武康村(武庫村の書き写し間違いだと思います)、根雨がいいと書いてあります。


 


第六では、犯罪者の処罰について書いてあって、昔は水攻め、火責め、鞭打ちで死人が出たと書かれています。


時代劇並みに恐ろしいことが実際に起こっていたのですね。


江戸時代になるとお上からのお達しで死人が出ると詳しい吟味がなされたそうです。


ですから死ぬほどのお仕置きはなくなったそうですが、それでも水攻めをするときは金池を使うとか書かれていて、実際にたたら場で犯罪者の処罰が行われていたのがわかります。


そして鉄山内での取り決めが100を越えるほど書かれていました。


 


話は変わりますが、おととし鳥取県立公文書館主催の講座で、鳥取県中部の鉄山師の古文書についての説明がありました。


大阪の陣で背走した軍勢への手配書が、古文書の中にあったことが説明されました。


鉄山秘書にも川村郡竹田に安田家という家があり古くからの鉄山師であった。その家は大阪城が落城したときに代官職であったと書かれています。


イヤー、またここで歴史の裏が取れたことになりますね。


 


古(いにしえと読む)に思いをはせているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。


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皆さんあけましておめでとうございます。


ようやくお正月気分も抜けた季節君は、少しお勉強をしようかと図書館に行きました。


米子市、日野町、日南町など、この地域の図書館にはたたら関連の書物が多くあります。


そして私の行きつけである日野町図書館の持ち出し禁止のキャビネットの前に行くと、いろんな本があって目移りがしてしまいます。


今日は昨年末から読み始めた、地元の鉄山師「下原重仲」が江戸時代の中期に書いた名著「鉄山必要記事」の続きを読むことにしました。


何といってもこの本は全8巻からなる大変ボリュームのある本です。


そして先日まで、私は古文体の書物を読んでいたのですが、なんと現代語訳の本があることを知りました。


これで辞書と首っ引きになることもなく、サクサクと読み続けることができます。


そして、さすがに日曜の朝の図書館は静かです。


平日は騒がしい人がいて気の散る事が多いのですが、今日は本に集中することができます。


と、ここで一人のおじさんが新聞を持ってやってきました。


やあ!おはよう と挨拶されます。


だれかいな?(;一_一)


近年、季節君も老眼になってしまって、眼鏡を掛け替えなければ人の顔が分かりません。


眼鏡をかけて見ると、


日野町長さんでした  (@_@;)


町長さんも日曜にまとめて、世情を勉強されるためにおいでになったようです。


ということで町長さんと同席で勉強をすることになりました。


なんか、授業を先生に見張られているようで緊張します。


 


鉄山必要記事 第3巻では大炭(精錬用工業炭)の作りかた、小炭(鍛冶用炭)の作り方などが書かれています。


立木を切るのに昔は斧を使ったが、最近では木が小さく 日野木切り という道具を使うとあります。


江戸時代中期に作られた道具で日野郡で使われるようになったから日野木切りというようです。


絵図を見ると今でいうナタですね。


そうか~、ナタはそういう風にして開発されたのかって関係ないところで感心する季節君でした。


寒いときは道具が折れるので、暖めてから木こりに使うことなどの心得が書かれています。


また、炭は後になって発火することがあるとか、炭小屋が火事になって炭が足らなくなることがあるので、用心立木山というのを設けると書いてあります。


非常事態用の立木のストックをしておくということですね。


たたらも1000年を超えるくらいの産業になると、ずいぶんと細かいところまで計算しつくされているようです。


さらに第4巻には高殿建設の仕方が細かく記載されています。


高殿が火事になっても類焼しないように、山内小屋は風下にならないところに作れとか、全てが見渡せるところに元小屋を作れとか、


鬼門の方角や、大鍛冶から炭を持ち出されないように、大鍛冶や炭小屋は山内小屋から離せとか書かれています。


山内建設には300人でやれれば上々、山奥での建設には600人かかると書かれています。


下原さんちもずいぶん大がかりなたたらをやっていたのですね。


というか、たたらというのはそれくらいすそ野の広い、多くの人を養うことのできた産業なんですね。


私が思っていたのと全然スケールの違う話にびっくりしました。


ここまで読んだところで、早くもお昼になりました。


昼から季節君は、高殿模型の修復現場に行かなくてはなりません。


まだ図書館のキャビネットの中には、近藤家文書やたたら研究の各号など魅力的な書物が多くありますが、今日はここまで。


日野町長さんはまだ熱心に御勉強中ですが、季節君は一足お先に失礼することにいたしました。


高殿模型もあと1月ほどで完成しそうですが、このお話はまた後日。


 


 


 


 


 


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