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2012年12月

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新年度事業について、各方面の担当者の方に集まっていただき、お話しました。


今年は、衆議院選挙があったので、国の予算組みが遅くなります。


したがって、それに連動してわれわれの活動計画も昨年よりは計画策定がやや遅れそうです。


そのあたりのスケジュール調整や、県の考え方などの説明を受け、そのあと具体的なわれわれの希望を述べます。


あれもやりたい、これもやりたいと思いますが、一度に全部やるとしんどいのでよくばらずに、ほどほどにしないといけません。


根雨楽舎の展示と運用の計画、高殿模型の展示計画などは、新年早々に行わなければなりません。


遺跡調査と報告書の作成は本年度事業の継続なので文化庁の予算になりますね。今年に引き続き日南町と日野町を調査します。


 


それから、たたらのお勉強のためのフォーラムもやりたいし、自分たちの勉強もしなくてはなりません。


 


遺跡めぐりツアーなども企画したいし、、


って言ったら、課長さんの目がきらりと光りました。遺跡めぐりツアーと連動して午後には講演会をやったり、そのあとでたたら学検定をやったりと たたらマイスター認定みたいなことをやったら?と言われました。


おおっ!即採用です。これも年2回くらいはできそうです。


 


さらに古文書研究について。実は最近、遺跡調査に伴ってあちこちで眠っている古文書の存在がわかってきました。これも、調査を具体化したいですねぇ。


 


さらにミニたたら操業とか各県のたたら顕彰団体訪問とかもしたいです。


 


たたらに関する資料、文献の収集もしたいしーって話していたら、熱がこもってだんだん声が大きくなってゆく自分がわかります。


結局、欲張らないようにといいながら、新年度も、てんこ盛りの事業計画になりそうな予感です(笑)。


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二階への階段を上がると3部屋あります。



 


屋敷を裏庭から見るとこんな感じ。


 


これもまた見ごたえがあります


横には近藤本家のお屋敷や蔵も見えるので贅沢な景色を作っています。


 


塀がきれいに修復されたので、庭も大きな石が見ごたえあります。


庭については、現代の名工が日野町から出ていますので、そのかたが今後修復を担当されるようです。


 


裏庭はきれいに整地されています。


ここがどう使われるのかは今は言うことが出来ません。


季節君はしゃべってしまいたいのですが、今は言えないのです。


脅されても、くすぐられても言えません。


でも、言いたい(笑)


 


たたらの楽校 根雨楽舎の資料や機材の配置はこれからです。


それについて、今日、日野町の執行部と話し合いもいたしました。


協力するからがんばってこの町を元気にしなさいとげきを飛ばされました(笑)。


本格的にたたらの楽校根雨楽舎がオープンするのは春になります。


そしたら皆さん実物の建物を見に来てくださいね。


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 ながらく工事中だった出店近藤のお屋敷の復元工事が完了し、今日、お披露目がありました。


皆さんご存知だと思いますが、大鉄山師 近藤家の一族さんのお屋敷が根雨に四軒残っています。そのうちで、江戸末期に工事が始まり明治元年に完成した出店近藤家のお屋敷です。


文化庁からの視察があったりするほどの由緒ある建物です。


その出店近藤ですが、建設当時は奥行き100メートルといわれたものの、今は蔵や離れやバストイレはなくなってかなり狭くなっています。


 


さらに経年による痛みもあったので思い切って平成の大改修がおこなわれたのでした。


 


季節君もお披露目のお呼びに預かり、雪の舞い散る中を出かけました。


久しぶりのデートで彼女に会うようなわくわくそわそわした感じです。


先日まで隠されていたブルーシートはすでにはずされ、久しぶりの建物が見えます。


おおっ!すばらしい


♪\(*^▽^*)/


 


外観はこんな感じです。


サッシやトタン壁はきれいにはずされています。


まだ作り立てなので、木材も新しく、しっくりきませんが、時間の経過とともに景色になじんでゆくのでしょう。


そして玄関周辺。


 


吹き抜けの天井です。照明も入りました。



土間には、かまどがあります。かまどだけでは不便なのでキッチンも併設されているのが親切です。ちょっと???ですけれどね。


 


このあたりが、たたら顕彰会根雨楽舎の展示スペースになります。


 


ふすま床はできるだけ触らないように、残されました。



そして二階への階段。足の不自由な方のために新たに作り、高さを低くして手すりも設けました。


さて2階はどうなっているのでしょうか、、、


つづく


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先日のブログに、鉄山要口訳のことを書きました。


そしたら、近藤御本家からその現代語訳が届きました。


地元の歴史研究家の方が、現代語訳を試みられたのですね。


残念ながら初めの、たたら場での処遇や罰則部分のみでありました。


後半部分が面白そうなのに。。。。後半部分が手に入らないか気になるところです。


 


そもそも、この本の重要性に気付かれたのは天辰博士。


根雨の歴史民俗資料館に置かれていたのをご覧になり、貴重な文書なので大事に保存するようアドバイスしてくださったのだそうです。


天辰博士は古来の砂鉄精錬法(俵国一著)の再発刊にも尽力された方です。


また、ドイツに渡り、俵先生の論文発表を追跡され、レーデブア論文を発見されました。


この論文を訳し私にも送っていただき、資料として拝見いたしました。


この論文には都合山のことも詳しく掲載されています。


それをもとに、さらに角田先生に依頼されて都合山を発掘調査する直接のきっかけになりました。


つまり天辰博士は俵国一先生の研究をされたのですね。


 


先日の中国山地たたらサミットにもおいでいただけるかも?と期待しましたが、今回は川崎製鉄の財団が代わりにおいでになりました。よろしくお伝え願いましたが、いつかたたらの御講演もお願いしたい先生のお一人です。


ということで、天辰博士や角田先生が研究された都合山と俵先生のご功績について簡単なビデオを作ってみました。


http://youtu.be/p3GuLDSSjUQ


 


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むかし俵国一博士の調査研究に基づき、安来に和鋼記念館が建てられました。


そしてそのとき展示物の目玉として都合山の高殿模型が作られました。


記念館の名付け親は俵先生ですので、この模型もごらんになっているはずです。


 


その後、和鋼記念館は和鋼博物館となり、古くなった高殿模型は倉吉にある個人博物館の展示物と交換がなされました。このあたりのいきさつは和鋼博物館の学芸員さんと、倉吉の鋳物氏13代ご当主に教えていただきました。


もうずいぶん昔の話です。


 


そしてこの春、模型は13代御当主から伯耆国たたら顕彰会に寄贈されました。


しかし、寄る年波には勝てず、壁は崩れ、炉や人形も散々な状態でした。


 


そこで今年の春から、みんなでわいわいがやがやとこの模型の修復作業をしています。


この作業は鳥取県教育委員会や文化庁が支援をしてくれることになりました。


 


ひと夏かけて上屋の修復がほぼ終わり、現在はみんなで交代しながら基礎の地面を作っています。


 


炉の周辺はひょんなきっかけから倉吉の人形作家さんが協力してくれることになりました。


壁土は近所の工務店が古民家を解体したときのものを、寄付してくれました。


 


粘土はたたら場の近所に住んでいる人が本物を持ってきてくれました。


総監督は建具屋の若社長です。


こうして多くの機関や人々の協力で少しずつ事業が進んでゆくのですね。


 


今日は小鉄町に砂鉄を入れました。


 


私たちのところに来たときにはすでに入り口には梁しかありませんでしたが、和鋼博物館から提供していただいた古い写真には、ここに小部屋と壁があります。


入り口付近の段差部分に村下の部屋があったのです。


炉を入れたら人形も入れ、壁や小部屋を取り付けます。そして三和土の地面を完成させたら屋根の付属品を取り付け完成ですかね。


 


和鋼博物館の模型に比べたらずいぶんおんぼろですが私たちには大変貴重な財産となります。


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