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2012年11月

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とっとりNOWという情報誌があります。


せんじつ取材依頼があり、根雨の町をご案内いたしました。


そのときの取材が、本になっています。


とっとりNOW12月号の巻頭グラビアです。


 


写真を見ると、とっても素敵な町で、ぜひ訪れてみたくなること請け合いです。


これってどこだろう?と思ったら、根雨のまちでした(爆)


次のページには本陣の門やそば道場たたらや、高殿模型、おしどりと記事が続きます。


さらに金持神社、明智峠。


日南町では美術館。菅沢ダム、石霞渓、福栄神社、井谷旅館と美しい写真が満載です。


私たちの町って、こんなに美しい町だったかしらと目を疑います。


ぜひ皆さんお買い求めください。


300円ととってもリーズナブルな価格になっています。


 


とここまで書いたところで電話が鳴ります


☎ルルルルル♪♪


 


中海テレビジョンから取材の依頼でした。


12月8日9日と行われる中国山地たたらサミットIn奥日野 の取材です。


サミットの開催に先駆けて宣伝をしていただけるようです。


こうして皆さんに盛り立てていただいて、ぜひサミットを成功させたいものです。


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翌日、修復現場に私が粘土で作った炉を持ってゆくと、それをご覧になった皆さんは微妙な反応です。



大きさが不満そうです。私はちゃんと図面どおりに作ったのにと思いますが、、、


そうこうするうちに、お客様がありました。


倉吉で人形作家をしておられる方です。


今回は、炉を作ってみました。とおっしゃいます。


あらら?私たちの苦労が倉吉まで聞こえたのかしら?と思ってしまうほどのタイミングのよさです。


この方が作られた炉の模型をみせていただくと、見事なできばえです。



さすがに見せるところが違います。


しかし、惜しいことにちょっとだけサイズが違うし、実際高殿模型に入れるには土台の形がマッチしないので、資料をお渡しして、もう一度作っていただくことになりました。


非常に力強い助っ人が現れてくれたのが心強いですが。。。


季節君は、自分が創った炉を見ながら、恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいでした。まあ、私が入るくらいの穴だったらかなり大きくないといけませんがね。


半年がかりでやっとここまで着ましたが、作業はまだまだです。


しかし、完成してゆくところが目に見えるようになって、作業にも弾みがつきます。


 


ただ、これから大きな問題があります。


それはとっても大きな問題です


これからこの模型の展示施設を建てなければならないのです  ∑(゚◇゚;) ゲッ。


今までも、考えなかったわけではないのですが、ものが大きすぎて、普通の建物では入口すら通らないのです。


これがまた一大事です。


そこで、小さいながらも専属の小屋を建てようと思います。


そしてサミットではこの展示施設建設のための、御寄附を募集しようかと思っています。


もちろん全額は集まらないので、足りないところは、顕彰会のメンバーがあの手、この手で働いて何とかしようと思います。


皆さん見かけたら、知らん振りしないでくださいね ヽ(*'-^)-☆パチン


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昔、東京帝国大学の俵国一博士が伯耆の国、都合山のたたら場を調査されたというお話はこの業界では有名なので、皆さんご存知ですよね。


その資料をもとに安来、和鋼記念館で、都合山の10分の一模型を作りました。


建物の10分の一とはずいぶん思い切ったものです。


和鋼博物館に現在ある模型も同サイズで作られていますがずいぶんと大きなものです。


 


時代からしてまだ俵先生がご存命のときですし、和鋼記念館自体が俵先生の肝いりで建てられたものですから、この模型を俵先生が監修して作られた可能性は高いのです。


暖簾だとか、金屋子の神棚だとか、実物を見た人でないと知らないところも作られています。


その模型は和鋼記念館が和鋼博物館になった頃、新しいものに作り変えられました。その初代の模型がどこに行ったのか行方不明だったのですが、今年の春に倉吉の旧家で見つかりたたら顕彰会に寄贈されました。


現在、文化庁の助成を受けてわれわれの手で修復中です。


まず、丁寧に掃除をし、壊れた粘土などの瓦礫を取り除きました。粘土はみかん箱で5杯くらい出たと思います。


屋根をブラシがけでクリーニングしました。


しかしここで、瓦礫を取り除いてみると、あまりに状態が悪くこのままでは修復しきれない。もっと大規模に徹底的に基礎から作らないとだめであろうということに気づきました。


 


瓦礫の中から、人形の頭とか、暖簾の切れ端とか、資料になりそうな破片を集めます。


そして高殿の中から、中心にあった炉と天秤ふいごを取り外しました。幸いこの部分は1つの板の上に作りつけられていたので、この心臓部ともいえる部分を運び出すことに成功したのです。



そして人形はそれぞれ修復して、保存してあります。


 


高殿本体は、上屋を分離し、柱などを補強しました。



ずいぶんと虫食いになっていたので合成樹脂で補強し、着色しました。ここまでで3ヶ月くらい掛かりましたかね。


 


また、小部屋も修復をしました。落ちた壁を直すために柱を入れ、壁板を張り、壁土を塗り、堀コタツを作り直し、天板を張り、床板も修復、暖簾をつけて出来上がりです。


 


高殿本体の土台部分は床板をはがし、本当に基礎の板から狂いを直して組み立てました。



そして、先日から上屋を基礎に戻し、固定。柱も位置を確かめて固定。床板も固定。


現在壁を作る工事中です。それぞれの作業をするたびに材料から苦心して集めて掛かると言う状態が続いています。


ときには左官さんの仕事をし、ときには大工仕事もしながらの修復です。


 


そして、炉の部分なのですが、一度修復をされているみたいで、合成樹脂で作られています。これを、粘土で作り直したら?という意見が出ていまして、現在準備中です。


たたら場から本当に炉を作った粘土を掘り出してきました。そして図書館で俵博士の図面をコピーしてきました、それをもとに10分の一サイズの図面を作りました。


粘土は、本物をたたら場から取ってきました。ごみを取り除き、水を入れて丁寧にこねます。


すると、ぼろぼろしていたものが少しずつ固まり始めます。


しかし、けっこうつらい作業です。欲張らずに少しずつこねることにしました。


バケツ一杯をようやくこねてこねて準備完了。明日は間違いなく腰痛が発生しますね。


図面を切り取り、粘土を延ばして張り合わせてみます。そしてはみ出たところをカット。


慎重にくみ上げてゆくと、なんだかギクシャクして箱型になりません。


あちこちを削ってむりやり整形してみると、サイズが少し小さくなってしまいました。


仕方なくやり直しです。


木とちがってビス止めもできないし、力を入れるとグニャリとなってしまうので意外と難しいのです。


それでもなんとか形にはなりましたが、思っていた以上に難しい作業でした。


これを、皆さんに見ていただいてご意見を伺うことにしました。


このときは、私は大変な事態が起こっていることを知るよしもありませんでした。


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昔、東京帝国大学の俵国一博士が伯耆の国、都合山のたたら場を調査されたというお話はこの業界では有名なので、皆さんご存知ですよね。


その資料をもとに安来、和鋼記念館で、都合山の10分の一模型を作りました。


建物の10分の一とはずいぶん思い切ったものです。


和鋼博物館に現在ある模型も同サイズで作られていますがずいぶんと大きなものです。


 


時代からしてまだ俵先生がご存命のときですし、和鋼記念館自体が俵先生の肝いりで建てられたものですから、この模型を俵先生が監修して作られた可能性は高いのです。


暖簾だとか、金屋子の神棚だとか、実物を見た人でないと知らないところも作られています。


その模型は和鋼記念館が和鋼博物館になった頃、新しいものに作り変えられました。その初代の模型がどこに行ったのか行方不明だったのですが、今年の春に倉吉の旧家で見つかりたたら顕彰会に寄贈されました。


現在、文化庁の助成を受けてわれわれの手で修復中です。


まず、丁寧に掃除をし、壊れた粘土などの瓦礫を取り除きました。粘土はみかん箱で5杯くらい出たと思います。


屋根をブラシがけでクリーニングしました。


しかしここで、瓦礫を取り除いてみると、あまりに状態が悪くこのままでは修復しきれない。もっと大規模に徹底的に基礎から作らないとだめであろうということに気づきました。


 


瓦礫の中から、人形の頭とか、暖簾の切れ端とか、資料になりそうな破片を集めます。


そして高殿の中から、中心にあった炉と天秤ふいごを取り外しました。幸いこの部分は1つの板の上に作りつけられていたので、この心臓部ともいえる部分を運び出すことに成功したのです。



そして人形はそれぞれ修復して、保存してあります。


 


高殿本体は、上屋を分離し、柱などを補強しました。



ずいぶんと虫食いになっていたので合成樹脂で補強し、着色しました。ここまでで3ヶ月くらい掛かりましたかね。


 


また、小部屋も修復をしました。落ちた壁を直すために柱を入れ、壁板を張り、壁土を塗り、堀コタツを作り直し、天板を張り、床板も修復、暖簾をつけて出来上がりです。


 


高殿本体の土台部分は床板をはがし、本当に基礎の板から狂いを直して組み立てました。


そして、先日から上屋を基礎に戻し、固定。柱も位置を確かめて固定。床板も固定。


現在壁を作る工事中です。それぞれの作業をするたびに材料から苦心して集めて掛かると言う状態が続いています。


ときには左官さんの仕事をし、ときには大工仕事もしながらの修復です。


 


そして、炉の部分なのですが、一度修復をされているみたいで、合成樹脂で作られています。これを、粘土で作り直したら?という意見が出ていまして、現在準備中です。


たたら場から本当に炉を作った粘土を掘り出してきました。そして図書館で俵博士の図面をコピーしてきました、それをもとに10分の一サイズの図面を作りました。


粘土は、本物をたたら場から取ってきました。ごみを取り除き、水を入れて丁寧にこねます。


すると、ぼろぼろしていたものが少しずつ固まり始めます。


しかし、けっこうつらい作業です。欲張らずに少しずつこねることにしました。


バケツ一杯をようやくこねてこねて準備完了。明日は間違いなく腰痛が発生しますね。


図面を切り取り、粘土を延ばして張り合わせてみます。そしてはみ出たところをカット。


慎重にくみ上げてゆくと、なんだかギクシャクして箱型になりません。


あちこちを削ってむりやり整形してみると、サイズが少し小さくなってしまいました。


仕方なくやり直しです。


木とちがってビス止めもできないし、力を入れるとグニャリとなってしまうので意外と難しいのです。


それでもなんとか形にはなりましたが、思っていた以上に難しい作業でした。


これを、皆さんに見ていただいてご意見を伺うことにしました。


このときは、私は大変な事態が起こっていることを知るよしもありませんでした。


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先日発見した、調査記録のない新たなたたら場。


季節君としては、自力で見つけた数少ない遺跡なのです。


ということで、先輩から『自分で見つけた遺跡くらい自分で調査せんかい!』


 と私に花を向けていただきました。


私にも調査報告書を書かせてくれるようです。


 


そこで、本日、鳥取県のかたと一緒に再調査となりました。


今度はカメラもバッテリーフル充電で行きます。


車を降りて山道を歩き、いよいよ沢に侵入します。


確かここでよかったんだよね。??


カナクソの出ない沢に心配しながら急斜面を上がります。



しばらく急斜面を這うように登ると20メートルほどの平地。なだらな部分を削り取って平地を作っています。


平地の縁には石が並べてあり、これが石垣に進化してゆくんだろうなって思われます。


沢からは30メートルほど上っており、湿気の心配もないところです。こうしたところに炉を作り、カナクソは急斜面に捨てることによって簡単に始末できた。


というのが古代のたたら場であったと考古学の文献にあります。


まさにそのとおり。


そしてまだ大規模に土木作業ができなかったため、小さな平坦地がいくつかに分かれていて作られています。


 


この広さでは本格的な高殿は作れませんね。


かなり古い遺跡であるのは間違いなさそうです。


おそらく中世以前。欲を言えば古代!


なんて思いながら、地形をスケッチをします。


これだけでは資料が少ないので、さらに手がかりを探します。


平面は8段ありました。


なんと、その南端には、粘土を掘り出した穴がありました。


粘土の採掘跡まで見つかるのはめったにありません。



2メートル四方のくぼみで壁面には粘土が露出しています。鍬で掘ったような?細い跡が見えます。


粘土を取り上げてこねてみると、鉄山秘書にあったように粘り気があり握るとしっかり固まります。


うーーん。ここまで見つけてしまうとは季節君の恐ろしい執念であります。



また、平地の隅には大小の平らな石が2つ重ねてありました。いかにも祭ってある感じです。金屋子さんのつもりでしょうか。


しかし、カナクソがあまりにも少ないので、どっかにカナクソ捨て場があるはずです。


前回も発見できなかったので、急斜面の部分をあちこち探していると、やややっ!!


足元がぐりぐりします。


地面を覆っている草を払いのけると、一面カナクソが埋まっていました。



そして、焼けた粘土や、カナクソを抱いた粘土の塊がありました。


これだけ、物証がそろえば、もはや言い逃れはできません。


私がたたら場でございました、と白状しなさい!


本日の調査はこれにて一件落着!


はっはっは。 (^O^)


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