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2012年07月

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岐阜県垂井町から町会議員さん合計10名の視察がありました。


財政的にも豊かとはいえない小さい町、鳥取県日野町が町民自身の力で町づくりをしようとしている。このことに興味をもたれたようです。


日野町で町づくりをしている団体は数多いのですが、一番暇そうなたたら顕彰会と、連携していただいている歴史民俗資料館にお呼びが掛かりました。


日野町役場の会議室で町長さん、議長さんのお隣に座らせていただき活動状況の説明をします。多くの議員さんに見つめられているという、普段とは違ったシチュエーションと真剣なまなざしにたじたじでした。


それでも持ち時間で何とか説明を終え、そのあと歴史民族資料館の事務局長さんの説明がありました。


実際に出雲街道根雨宿を歩いていただきましょうと外へ出るとちらほらと雨模様です。


白髪で男前の議員さんが私のところにおいでになり、なんだなんだと思っていると『小説TATARA』 が欲しいのだけれど、とおっしゃいます。


さっそく手配しましたが、なんと日野町長さんが自費でプレゼントされたようでした。


これを読んで岐阜でも伯耆のたたらのことを知っていただけたらうれしいです。


 


根雨の町のあちこちの古民家を見ていただき、出店近藤の修復風景も見ていただき、高殿模型の修復風景も見ていただきました。


 


岐阜でも製鉄遺跡は存在し、山からの吹き降ろしの風を使って鉄鉱石で鉄を作ったと言う伝承があるそうです。な!なんとそれは古代の野だたらではないですか。


その遺跡はどうなっていますか?とお聞きしたところ調査はされていないのだそうです。


やはり、製鉄遺跡というのは魅力がないのか、時代が新しいからなのか、あまり大切にされていないようですね。


これから日本中の製鉄遺跡をもっと大事にしていただけるように、その大切さを訴えてゆかないといけませんねぇ。


 


 


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本日から高殿模型の修復展示が始まりました。


シャッターを開けて準備をしているといきなりのお客様はびっくりです。


近所の方ですが、「わしのおやじが都合山の山配だった。」とのお言葉。


いろいろ聞くと、元の住所は菅福だったとのことですし、「父も兄も都合山で生まれ育った」そうです。


そして、山配を辞めた後、福岡山で昭和まで細々とたたら操業をしていたとのお話にまたもびっくりでした。


そんなこんなしているうちに、メンバーが集まり、人形の大掃除や部品の点検。小物の修復打ち合わせが始まりました。



これでも相当きれいになったんですよ。いつのころからか、右と左のふいごの部品が違ってるので修復して本来の姿に統一しないといけません。



たくさんの土を取り出した後、人形の腕や首も発見しました。修復に弾みがつきます。さすがに人形作家さんの作品だけあって見事な作りです。



 


細かな部品も札を付けていったん保存します。


次のお客様は町長さん。近所の一級建築士さん、、、、、そのあともいろいろおいでになりました。


高殿本体については積もり積もったほこりを、ブロアーやほうきではたくのですがなかなかきれいになりません。


やはり、水をかけて流すしかないのかな。でも、痛まないか心配だなって喧々諤々の議論が始まりました。


そして、今後のフォーラムの打ち合わせなどもして今日は終了しました。


初日にしては、順調だと思います。


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バス停から数歩、歩くといきなり蕎麦屋さん。



ここでもきっちり誘惑に負けて、月見そばを頂きました。


そして、大きくなったお腹をさすりながら、いよいよ石見銀山公園へ。


13:00から大森の町無料ガイドが出ますので、それに同行させていただくことになりました。


まずはジオラマで大まかな全体像を把握。このジオラマだけでも相当お金が掛かるんでしょうね。



そして五百羅漢。立派です。これだけでも一見の価値があります。


 


つづいて大森の町並み散策。重要伝統的建築物郡に指定されているそうで、本当に古い町屋や武家屋敷などがしっかり保存されています。しかし、これを守るのって大変でしょうね。新しい家を建てたり、アンテナを立てたりするのも自由にならないのだろうと思いました。



世界遺産の地で新たな開発をどうするかというのはどこでも深刻な問題のようです。


よほどの地元の理解がないと難しいです。京都を始め各地で建物の高さを規制したり、重要な景観をさえぎる建築物を撤去したりしているそうです。


橋ひとつとっても、こんなに立派なめがね橋ですよ。


 


自動販売機だってほら、しっかり自己主張してるでしょ。



インターホンだって気を使っているのです。



町の空き家もこんなふうにおもてなししてます。



金融機関だって



猫だって昔のまま?



散髪屋さん。ありえね~(笑)


 


お寺の壁も見事なこて絵です。



歴史を守ろうって地元の人の気持ちがあふれています。


こんなに世界遺産ってすばらしいのですね!


いえいえ。これだけではありません。 世界遺産のメインは間歩と呼ばれる採掘現場なのですが、3時間を終了したところでそろそろ帰らないといけない時間になってしまいました。


龍源寺間歩は150分 5Kmコースです。しっかり準備して、必ずまた来ようと思いました。


石見銀山はすばらしい!!


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たたらの遺産をどう保全し、次世代に伝えてゆくのか。


私たち、たたら顕彰会のテーマでして、今年12月には世界遺産に詳しい東大の副学長=西村幸夫先生に御講演をお願いしています。


百聞は一見にしかずというわけで、世界遺産登録をしている石見銀山に実際出かけてみることにしました。


同じ山陰にあり、鉱山の遺跡にして江戸時代に最盛期を向かえ、明治頃に急速に衰退した産業遺跡。


季節君もぜひ行ってみたいところでした。


米子から山陰道に乗り、途中でパーキングエリアに立ち寄り、道の駅をひやかし。。ソフトクリームやたこ焼きなどといった誘惑にことごとく負けながら、やっと海岸線に出ました。


今年の冬に行った田儀櫻井の遺跡の前を通って少し行ったところで、カーナビ真理子さんが左折を指示します。道路標識もそうなっています。


もうしばらく行くと道路標識は直進なのにカーナビ真理子さんは右折を指示します??


後でわかったのですが、込み合う日は世界遺産センターからバスに乗る。平日は石見銀山公園前の駐車場まではいれるようです。


というわけでしたが、わたしら素人にはわからないので世界遺産センターまで行くことにしました。



世界遺産センターは立派な建物で(町全体のイメージに配慮した瓦ぶきの建物です)入館料300円でしたが、豊富な資料がビジュアルに展示してあり説得力がありました。まずここを見てから大森の町に行くのが正解かもしれません。30Kgの銀の延べ棒がありましたが重くて持ち上がりません。ガードマンがいなくても盗めないだろうなってのは予想できました。


小物で持ち運びできるようなのはないかなってこっそり思っていると、銀の貨幣を触るコーナーではしっかり係員の方がいました(笑)


そして、石見銀山公園へのバスに乗り、いよいよ大森を目指します。


 


ワンマンバスなんて乗ったことのない おぼっちゃま育ちの(←ここ大事)季節君は両替の仕方や支払いの仕方などよい社会勉強になりました。


バス代190円を払っていよいよ大森の町で降ります。


さあここにはいったい何があるのでしょうか!


つづく


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このところ、季節君は仕事が終わって、夜遅く眠い目をこすりながら勉強中なのです。


たたらというのは、製鉄遺跡、生産遺跡ですね。


こういったものをどう理解し、保存しどう利活用すればいいのか。


伯耆国たたら顕彰会もがむしゃらに2年を活動してきましたが、これからの活動については、ちったー勉強して掛からないといけません。


 


ということで、ことしの伯耆国たたら講演会は、東京大学の副学長 西村幸夫先生においでいただこうと考えています。西村先生は都市工学がご専門ですが、イコモス(国際記念物遺跡会議)の前副会長をお勤めになり、現在でも30以上の役職をしておいでです。


 


これだけの大人物をお呼びするからには、季節君の空っぽ頭も少しは鍛えておかなければならないのです。


西村先生の著書は膨大な量になりますが、とりあえず私たちに関係しそうな『私たちの世界遺産』シリーズを読破しようとあがいております。



これを読めば読むほどに、遺産の普遍的価値の確認とその保存、利活用との調和が難しいことに気づかされます。もちろん、たたらを世界遺産にというのは現状ではとっても不可能に近いです。


しかし、これからスタートという気持ちと、世界人類が遺産として価値を認め保存する!とまでは行かなくても地元の人たちがその価値を認めるくらいにはならないと、そして、たたらの遺産を保存し後世に伝えてゆこうと思うのです。


 


こうして、夜な夜な勉強しているとき、ふっとニュースが飛び込んできました。


石見銀山が世界遺産登録5周年記念事業を7月1日に行うというのです!


これは行かないわけには行きません(どっちなんだ!ややこしい)


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