大宮踏査大作戦 立石の巻
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おいしいお茶とおまんじゅうを1個いただいた後、踏査を続けます。
o(*^▽^*)oごちそうさまでした ♪
近くの向谷たたら の跡に行きカナクソがあるのを確認した後、槙木の原というところに入りました。
ここには山内(製鉄の村)のあった伝承があるそうで、時間がないので入口まで案内していただきました。
かなり広い集落跡と祠も昔はあったそうです。
こんど来る時は山内跡まで入って、村の跡を確かめてみたいです。
次は桃木谷尻遺跡。
前回の生産遺跡調査ではたたら場か鍛冶場かわからないと記載されています。
それは壁山がないし近くにたたら場が多いので他で製鉄したかもしれないとの考えのようです。
しかし!!です。
同行された方がしっかり発見をされました。
そう、またしても羽口を発見されたのです。
ここでもふいごを使った製鉄がおこなわれていたのはまず間違いないと思います。
幅30メートル、長さ80メートルで3段になった平地。さらに祠の跡もありただの鍛冶場にしては広すぎますね。
このあとすぐ隣のウロノ下遺跡に行きましたが、ここはすでに圃場整備して田んぼになっています。痕跡はまったくないのですが、則面に残ったカナクソが田んぼに落ちて困るのだそうです。
谷道に入ると水路の跡があり、昭和中ごろまで木で作った水路が道路の上に渡してあったそうです。
さらに帰りがけに近くの民家の庭ではこんなものを見つけました。流石に日南町ですね。
山には1トンくらいの出来損ないのケラかカナクソと思われるものがあちこちに放置されています。
日本での製鉄は炉を1回1回壊し、炭のできる場所を求めて移動します。ですから製鉄炉がどんどん作られます。
また、太平記によると伯耆の国では大同の時代(西暦800年)には刀づくりが行われていたといいます。ですから1000年くらいは鉄を作り続けたのでしょうか。
鳥取藩では政策的に鉄山氏が増えるのを容認しましたから30を超える鉄山氏が競って鉄づくりをした歴史があります。近藤家に至っては一家で12の鉄山を同時に創業したりしています。
そういったことから日野郡では数限りなく製鉄遺跡が見つかります。
現在では200余り、鳥取県全体で500の製鉄遺跡が確認されていますが、今回も数か所の新たな確認がありました。調査を続ければもっと増えるでしょうね。
今後も調査を続け、きちんとした本にして出版したいと思っています。