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2012年06月

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根雨楽舎は、ほんとはね、日野町公舎という建物なんです。


建てられたのは明治元年、建てたのは鉄山師 近藤家の分家さんです。近藤家のお向かいにあって近藤鉄店の営業もしたことから出店近藤と呼ばれるようになったのです。


伯耆国たたら顕彰会が資料館を運営するのにふさわしい場所ということで日野町からお借りして資料の展示をしてまいりました。


2年続けて1000人を越える来館者があり少しずつ増加傾向にあります。


これをご覧になった町長さんが、それではここで思い切って後押しをしてあげましょうと、建物の復元工事を提案されました。


計画も提示され、業者も決まり、いよいよ7月から工事に入ります。


そのため、本日 根雨楽舎の片づけをいたしました。パネルは引っ剥がしてトラックに積み込み、上菅の小学校跡に収納しました。パネルがなくなってみるとずいぶんさみしいですね。



ほんとに古い家だったんだなって改めて感じます。


 


そんでもって、上菅小学校跡にあった高殿模型を根雨に持ち帰りました。


根雨では某工場跡に収納。そしてこれから時間をかけて高殿模型の修復工事に移ります。


経年劣化により土壁は崩れ、度重なる移動によりあちこちが分解しています。


今日は雨だったので少し濡れてしまいました。


これから乾かして、古い図面(俵国一のもの)や各地の資料、写真を基に 復元工事をしますからね。


 


なお、この復元工事については一般公開を予定しています。


あわせて、一部の展示パネルも用意しましたので、これからしばらくは根雨楽舎の仮公舎として開館します。開館日程はこれから検討してお知らせしますのでしばらくお待ちください。


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前回の続きです。


実は何を隠そう(何も隠すものなどないのですが)今年の12月9日に日南町でフォーラムを開きます。


このところ、日野町と日南町とでたたら関連フォーラムを交互に開いています。


その順番が日南町なのです。


で、それがどうした?


ってあなた思ったでしょう。


実はこのゲストにとんでもない大物を呼んでしまおうと、伯耆国たたら顕彰会の役員会で思ってしまったのですね。


役員が酔った勢いであったのかもしれません。


あるいは夫婦喧嘩をして八つ当たりだったのかもしれません。が、思ってしまったのはしょうがないのです。


で、相手は世界遺産登録のスペシャリスト、東京大学の副学長 西村幸夫博士です。


景観まちづくりのご専門で根雨にもおいでになったことがあるそうです。


景観まちづくりと世界遺産。まさにこれから私たちがやろうとしていることではないでしょうか!


と、大いに盛り上がったのですが、    ぢゃ。。。だれが呼びに行くの?


という問題です。。


しばしの沈黙の後、、たたら顕彰会の副会長さんが「わしが行く」と厳かにおっしゃいました。


そして、、月日が流れました。


本日の集会の後、副会長から季節君に1枚の紙が渡されました。


へ?ラブレターでしょうか。。。男同士でそんなぁ、、、、、と思いながら手紙を開いてみると、


前略


根雨が元気になっていること大変嬉しかったです。


西村先生には12月9日の件、たたら地図、鳥取の鳥瞰図などを提示してお願いしたところ、お引き受けいただけるとのことです~中略~でもあの鳥瞰図は素晴らしいと思います。根雨は良いスタッフに恵まれましたね 云々


 


とのことです。 


副会長と西村副学長の間に入ってお話を進めてくださった、某大学の先生からのお手紙でした。


これが日南町フォーラムへの西村先生からのOKであるとのことが理解できるまでに、季節君の真空管式おつむでは(おむつではない)少し時間がかかりました。


これってフォーラムにおいでいただけるってことでしょうか?と聞きましたら、副会長から「そういうことだ」との返事が返ってきました。


 


ひえー  q(≧∇≦*)(*≧∇≦)  pキャー


西村先生もスケジュールに無理がないか調整されて正式なお返事になるのでしょうが、一気に夢が膨らんだ気持ちです。


ちなみに西村先生は高野山、南アルプス、長崎、鞆の浦でも同様の公演をしておられて、いずれも本になっています。


季節君はその足で日野町図書館に向かってこのことを報告し、本の配備をお願いしたのでありました。


 


しかし、このフォーラムにはまだ仕掛けがあります。


それは次の講演者が正式にOKしてくれてからのお話。。。


なんたって、もうおひとかたも超多忙な方ですからどうなるかわかりません。


詳しくはまたのお話


 


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たたらの楽校根雨楽舎に伯耆国たたら顕彰会の幹部が集まりました。


じつは根雨楽舎が今月末を持って一時閉館となるのです。


といいますのは、建物=出店近藤が文化的な価値が高いので修復することになったのです。といいますか、明治元年に建てられた形に近いものにいっそ復元してしまおうという大作戦っです。


ずいぶん大きなお金が必要なのですが、たたら顕彰会も頑張っていることだし、このさい支援してあげましょうという日野町当局の姿勢です。


ありがたいことなのですが、展示品の撤収と再展示が必要です。


簡単な作業のように見えますが、パネルは作り付けているので移動が大変なのです。


で、今日はみんなで撤収作業の打ち合わせをしました。


パネルを移送して根雨楽舎は閉鎖しますが、その代わりに都合山の高殿模型を根雨に持ち帰り、根雨楽舎の閉鎖期間を利用して、模型の復元作業をします。


この作業は一般の方にも公開しようと考えています。


公開の日程は今後考えて、まとまったら皆さんにお知らせしますからね。


という作戦をみんなで打ち合わせしました。


やれやれ、、と思っていたら、副会長さんからとんでもないお知らせがありました。


わ~い♪\(*^▽^*)/\(*^▽^*)/\(*^▽^*)/わ~い♪


というようなお知らせです!


続く。。。。


 


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今日、季節君は鳥取県日野県民局にうかがいました。


県民局の幹部の皆さんに現在の伯耆国たたら顕彰会の活動状況をお話し、今後のご協力をお願いしました。


そして台風の中、以前からお世話になっている鳥取県教育委員会の文化財スペシャリストさん(妻木晩田の所長もしておられます)と上菅に行きました。


(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-  


お忙しい中、いろいろアドバイスいただきありがとうございます。


上菅の体育館には高殿模型が安置されています。



これの修復方法についての検討をするためです。


これって、でかいです!


実際の建物の10分の1模型です。


横幅が2メートルあります。季節君の身長より大きいのです。


都合山の高殿を明治30年。俵国一博士が調査され図面を残しておられます。その図面をもとに和鋼記念館が青戸鉄太郎に依頼して作らせたものです。


当時は和鋼記念館のシンボル的な展示物であったのですが、これを倉吉の斎江記念に贈呈したという由緒正しきものです。日本にある高殿模型の原型にして最古のものであると思われています。


流石に人形作家の作品です。村下や炭坂といった人の模型はすばらしく出来がいいです。


 


6月末に根雨楽舎が建物修理のため閉館するのを機に、この模型を根雨に持ち帰り修理展示しようと思います。おそらくその模型修理風景も日曜は見学できるようになりますのでお楽しみに。


なお、このブログと連動して日野ごよみでも掲載される予定です。


 


 


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