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2012年05月

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日曜の朝起きて、ゆっくりとコーヒーを入れる。今日はモカのブレンド。豆の香りが部屋一杯に広がる。こうしたくつろいだ朝は久しぶりだ。


そして朝刊をテーブルに広げ、ゆっくりと目を通す。。。


ん!なんじゃこりゃー


 


季節君は口に含んだコーヒーを噴き出してしまいました。


新聞記者君はあちこちに取材していたらしく、ずいぶん思い切った大見出しの記事になっています。読んでいるこちらのほうが不安になるくらいの書き方がしてあります。


そっかー。少しずつ世間様も気にしてくれるようになってんだ。


 


そこで今日は日曜を返上して(いつも返上してますが)図書館に行きたたらの勉強をしてみることにします。


たたらの本をさがします。このあたりにあったはずなのですが??無くなっています。貸し出し中のようです。


では鳥取県産業遺跡調査資料を拝見いたします。。。。


これもありません。


おかしいな??


あちこち探していると『奥日野の歴史はたたらの歴史』コーナーができていて、そこにまとめて収納してありました。


まだまだまだまだ勉強不足の季節君は、そこでいろいろと読んでいました。松江藩でたたらの鉄師が限定されたわけなど興味深い記述を発見しました。


 


そして夕方になり、季節君は根雨楽舎に行きます。


このところの新聞やTV効果があってか、次々とお客様がお見えです。


そして閉館した後、役員で集まって総会の議案の検討会を開きました。


さらに今年の事業計画など、かなりの時間をかけて皆さんの意見の集約を図って総会準備をしました。


総会は6月2日ですから、会員の皆さんはおいでくださいね。


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5月26日 ちろりんツアーが決行されました。けっこうなことです。


いきなりのおやじギャグです。  ヾ(_ _。)ハンセイ… 


米子から観光バスで日野路へと向かいます(たたら顕彰会からの添乗員が付きます)。


そして、日野町上菅の都合山遺跡の見学(たたら顕彰会 遺跡担当者のガイド)。


ここは、明治に近藤家によって創業され、東京大学の俵国一博士によって調査され、最近では島根の角田先生によって発掘もなされた、そして山内がほほすべて残っている遺跡です(建物は撤去されていてありません)


さらに、たたらの楽校大宮楽舎やたたらゆかりの神社めぐりをします。


 


そして最後に根雨楽舎と根雨の町歴史ガイドをするという欲張りな行程になっております。



根雨楽舎では近藤家8代目さんが張り切ってガイドされました。


お客様も御当主の説明とあって、緊張の面持ちで聞いておられました。


そりゃー、御当主の説明なら説得力もあります。


片隅で季節君も取材してましたが、御当主の説明は明確にして面白い!ずいぶんおじょうずです。


予定時間が終わっても、皆さん次々と熱心に質問しておいででした。


 


さらに根雨の町歴史散歩。


朝の日本海TV『スパイス』でも紹介されていましたが、根雨の町は出雲街道根雨宿として有名です。町のあちこちを顕彰会の担当者がガイドしてゆったりとした時間をすごしました。


とりあえず、今回は5月20日26日で予定終了です。


また次の機会がありましたら紹介させていただきます。


また、各方面のガイドについては随時受け付けておりますのでご相談ください。


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お手紙が参りました。


またしても鳥取県退職校長会のかたからです。


流石に校長先生のお集まりなのでとても丁寧で格式が高いのです。


今回は調査広報部長さんからのお手紙でした。


内容は、たたらの歴史についての講演がとても面白かったので、会報として会員に配布したい。ついては原稿を書いてほしいというものでした。



丁寧に原稿用紙も同封されていましたが、私の『ミミズが悪いものを食べたので、腹痛で這い回りました、、、』というような字では申し訳ないので、パソコンで打つことにしました。


もちろんワードで書くのですが、最近パソコンを買い替えたので、またバージョンアップしてました。これが進歩というものでしょうが、私はソフトが更新されるたびに使い方を覚えるのが大変です。


そんなことを思いながら、四苦八苦、夜なべをして原稿を完成させたのでした。


こうして、皆さんにご贔屓に預かりながら少しずつ伯耆のたたらの歴史話が広がってゆけばいいと思います。


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たたら顕彰会宛のお手紙が参りました。


開封してみると、やや!古文書のような時代物のお手紙です。


(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-


巻紙に恐ろしいほどの達筆ですらすらと文面が書かれておりました。


こういう、美しい文章を見ると季節君のような、ふらちな人間は『ははー、まいりました』と20歩ほど下がってたじろいでしまいますね。


しかし、いつまでもそうしているわけにもいかないので、恐る恐る近づいてもういちど文面を見つめます。



最初は『前略』ですね


そして、そのあとは先日は大変すばらしい、、、、と続いています。


どうやら、土曜に行った講演会のお礼文のようです。


さらに兵庫県の千種鉄にまつわる本が同封されていました。


この前書きを読むと、千種でもかつて盛んにたたら製鉄が行われていたものの、その歴史が風化してしまうのを残念に思った地元のかたが本としてその歴史を残そうとしておられるようです。


まことに同感であります。


鳥取県に限らず、兵庫県に限らず、特に中国山地沿いではあちこちにたたらの歴史があります。その歴史がわからなくなる前にもう一度調査研究して資料を残しておくということは大変重要なことです。


というわけで、これからこの御本を読んで千種について勉強してみようと思います。


そして、できればたたら顕彰会資料館に『たたら文庫』を作って、全国のたたらの文献を集めてみたいと思います。


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日本海新聞社さんから連絡がありました。


担当者が代わられたのだそうですが、新しい方もたたら顕彰会のことが気になるので、取材させていただきますとのことです。


そして、お昼過ぎにつっかけ履きのまま、チャリンコをとばして会議室に飛び込みますと、すでに記者さんはおいでになっていました。


『やぁ、高殿模型の時は、いい記事をありがとうございました』とご挨拶すると


、『今までの取り組みは、前任から詳しく聞いていますので、今回は今後の取り組みについてお尋ねいたします』


とのことでありました。


今年の事業予定や、それから先に事業展開するためにコンセプトなどをお話ししました。


次年度以降の事業については、『やってみなけりゃわかんない』というのが正直なところです。


だって、今現在の取り組みも、2年前に会を結成した時には想像すらできなかったほど盛り上がっていますし。だから今のうちから2年後を縛ってしまいたくないのです。


これから先の活動しだいによってはもっと上方修正するかもしれませんものね。


 


ま、とりあえず2年後もちゃんと活動を続けていることが、第1目標ですね。


そういえば、2年前に初めて新聞社さんの取材を受けた時にはネクタイにスーツ姿でカチンカチンになって、しどろもどろでお話しした記憶があります。のどがカラカラでした。


あれから、、ずいぶん遠くまで来た気がします。


 


ところで、こんな雑談で、どんな記事になるんだろう? 


「(´へ`;ウーム


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