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2012年04月

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昭和15年、たたら製鉄で栄えた近藤家7代目寿一郎氏が、その富のおすそ分けにと当時の根雨町に公会堂を寄付されました。日野町歴史民俗資料館はその建物を使っています。


たたらの楽校根雨楽舎や近藤本家のすぐそばです。


建物は当時のまま残っているのですが、昨年大規模な修復が行われしばらく閉館となっていました。


 


この建物の横から宝仏山登山道が続いています。


宝仏山はここからも、朝刈りからも入山することができますが、このところブームとなっており多くのかたが登山に訪れています。


根雨駅→山陰合同銀行横→日野町歴史民俗資料館→宝仏山 というのが一般的なルートです。


この4月29日に宝仏山が山開きしました。


それにあわせて日野町歴史民俗資料館もリニューアルオープンとなったのです。


 


 


季節君は弱虫なので宝仏山登山はあっさりとあきらめ、歴史民俗資料館に行ってみました。


日野町長さんや日南町でたたらの研究をしておられる方、伯耆国たたら顕彰会の会員も多くいました。


 


展示品はずいぶんさっぱりと整理されて新しくたたらコーナーも作られていました。



鉄山秘書を残した下原重仲はあまりにも有名ですが、その数年前に下原によって書かれた書物に鉄山要口約という小さな本があります。その資料が展示されていました。



さらに、都合山の出土品コーナー


都合山の展示パネルなどもありました。


資料はこのようになっています。


パンフレット1


パンフレット2


皆さんもぜひおいでください。


なお、施設運営のため200円を入館料としてお願いしています。


 


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昨年度、鳥取県のたたらの魅力情報発信実行委員会では、たたらの情報を満載した地図を作りました。


ずいぶん情報も詰め込んで力の入った作品になっています。


鳥取県西部では各地においてあります。


日野町商工会、日南町商工会。たたらの楽校。鳥取県日野県民局など


そして、有限会社地域未来様のホームページでも情報公開されました。


なかなか手に入らないとおっしゃる方はこちらからどうぞ。


しかし、こんな風に著作権も無視して一般公開するなんてずいぶん太っ腹ですねー


http://chiikimirai.jp/?m=wp&WID=11161


こちらからお持ち帰りください


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日野町まで無事に帰ったところで、私はブルーシートの手配に走ります。


そしてシートを持ってみんなから遅れること10分。菅福小学校跡地に向かいます。


いくら模型とはいえ、建物の10分のⅠスケールでは大きすぎて、体育館ぐらいしか置けないのです。


上菅駅まで来ると、線路の向こうに体育館があり、みんなはいるのですが、進入路がわかりません。


通りかかった昔の美女にうかがうと、『下のほうに、蔵美術館の旗があったでしょ。あそこから入んなさい。』と丁寧に教えてくださいました。


Uターンしてやっと、体育館に到着!


すると皆さん思案顔???


模型が大きすぎて、体育館の門を通過しないんだって。


えーーーーー ||||(* ̄ロ ̄)ガーン||||


暮れなずむ夕日を見ながら、呆然とします。


もう時間がありません。


 


みんながかりで、横のものを縦にして入れようではないか。その後はまた後日考えよう。


ということになり再び『オペレーション YAKEKUSO』


やればできるものなのですね。


ほんとうに高殿模型を人力で縦にして入れてしまいました。



台の上にブルーシートを引いて模型を安置します。


やれやれ、やっと今日の長い1日が終わりました。


修復についてはこれから専門家の意見も聞きながらみんなでやってゆくことになります。


きっとあたしは、明日は疲労で寝込むのです、、、、il|li _| ̄|○ il|li


 


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午後は、今年の伯耆国たたら顕彰会が文化庁から委託されたの補助事業の一つ、高殿模型を倉吉の斎江家から日野町に移送する作業を行いました。


輸送のために、4トントラックを用意したのですが、風が強いので転倒しないか心配です。


ニュースではすでに県内でのトラックの転倒が相次いでいるそうなのです。


ひやひやしながら日野町から6人が出発したのが午後1時。


遮蔽物のないところでは車が風に吹かれてゆらゆらします。1時間のスリル満点!


(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ- のドライブの末に、残念ながら何事も起こらず倉吉に無事到着。


 


今回移送する高殿模型は、斎江家に和鋼記念館から搬入したときには8人の力持ちがやっとのことで持ち上げたのだそうです。今回の参加人員6人ではとても力不足は否めません。ましてや季節君は色男(←ここが大事)なので、力はからっきしです。


そこで今回はコンテナ箱をたくさん用意し、模型の中の人形や炉、土や炭などの中身はコンテナに移して積み込む。柱が傷んでいるので柱を切断し、屋根と土台を分割して積み込む作戦です。


 


到着後、挨拶もほどほどに、作業に取り掛かります。


マスクに軍手を装備し、ところどころで構造を記録する写真も取りながらぶつを取り出します。



落ちている柱の位置を記録したり、人形の具合を記録したり、金屋子さんの祠がちょっとかけているのを気にしたりしながら淡々と作業が進みます。



ちょっと屋根にひびが入っていますね。


 


和鋼博物館と鳥取県教育委員会によるとこの高殿模型はおそらく、俵国一博士の図面をもとに和鋼記念館が発注して作らせたもので日本で一番古い高殿模型。これを基にしてあちこちで同じような高殿模型が作られるようになったらしいです。和鋼博物館の前進である和鋼記念館は俵国一博士ゆかりの記念館ですからね。それだけ古いものですからすでに相当ダメージが来ています。


 


みんな黙々と作業を続けます。今日のチームワークは最高。難しい作業を短時間で終え、、、


いやいや、世の中はそんなに都合よくないようです。


 


強度を出すためにこの模型の土台は栗の木の大きな板で作られていて、そこに柱はがっちり組み込まれています。どうやら分割は難しいようです。


じゃ、みんなで持ち上げて見ましょうかということになり、無理を承知の無謀な行動に出ました(これを俗にヤケクソと呼びます)。


5メートル移動しては降ろして通路の確認、足場の確認を繰り返し、庭を横切って、ついにとうとう玄関まで運び出してしまいました。もうみんなくたくたであります。


トラックに積み込んでみると、左右が3センチ程度の隙間です。まあ、事前にしっかりと調査したから当たり前なのですが、見事にトラックの荷台に納まりました。


 


最後に、斎江家の御当主にご挨拶します。『これは、本来あるところにあるべきです。そういった意味では都合山のある日野町にあるのがいいでしょうな』とおっしゃいましたが、どこか寂しげでありました。


さあ、これから一路日野町に帰ります。腕に力が入らなくなっていて、ハンドルをにぎるのも一苦労です。


さらに苦難の道は続きます。。。。。


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夜、あまりの騒がしさに目覚めました。


天気予報でも警報が出ていたのですが、日野地方は強風警報なのです。


山がごうごうと鳴っています。


私の家も古いので心なしか揺れているように感じます。


 


自宅と職場を確認してから根雨楽舎に行くと、、、お世話になっている皆さんが心配して集まってくださっていました。


「ま、一段落したのでお茶にしましょ」というお誘いで気づきました。


皆さん早くから出て、片づけをしておられたのですね。


根雨楽舎は昔のおうちの作りなので、台所は板の間です。ここで、女中さんたちがお食事をしていらっしゃったのです。


そこに皆さんで座って、コーヒーをいただきました。


お世話していただいている、根雨神社の奥様はお菓子作りの達人です。


今日は抹茶味のケーキを作っていただいて、お茶をしました (*゚ー゚*)ポッ


 


しかし、段ボール箱にはガラスの破片。。。


木切れがあちこちに飛んでいて、昨夜の暴風のすさまじさを感じます。


とりあえず、ガラスのなくなった窓には段ボールを張り付けてあります。


表の白壁は、剥げ落ちてますが、夏に修復されると思います。


裏の戸袋がばらばらになっています


これくらいは私が何とかしないと、皆さんに申し訳なし。


私は家から釘と金づちを持ってきました。


みんなで、庭に散らばった木切れを集めてジグソーパズルのように組み立てて戸袋を完成させました。


忙しい作業だったので写真をとるひまもなく、今日の証拠写真はなしです。


やっと片付いたのがお昼前。


今日は倉吉に高殿模型を取りに行かなければならないので、これにて一度解散しました。


続きます。


 


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