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2012年03月

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4月1日から根雨楽舎を開館いたします。


その打ち合わせ会を31日土曜に開く予定です。詳しくはそこで打ち合わせますが、開館は4月1日以降の土日、祝日になります。


当面の入館料は無料です。


ただし、今年は建物自体の復元工事が予定されています。


夏から冬(7~12月)にかけての半年くらいが工期となりますので、この間はまた閉館となります。


工事について詳しくはまだわかっていません。


おいでになる方は大急ぎで工事前の様子を見においでください。


ダッシュ!-=≡ヘ(* - -)ノ


 


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第3回目のたたら魅力情報発信実行委員会の会合がありました。


今回で実行委員会は最後となります。


来年度からはまた新たな活動が生まれることになっています。


 


ということで今日は、本年度の活動報告と総括、そして来年度事業の説明がありました。


わずか1年に満たない活動でしたが、委員の皆さんのお力添えにより多くの活動ができました。


公文書館巡回講座、夏休み講座、バスツアーなどの活動支援やフォーラムの開催、製鉄遺跡の調査などがありました。


この活動を通して多くの研究機関の方とお知り合いになりました。


そして今でもその方たちとの情報交換が続き、論文や資料などを提供していただいております。ありがたいことでございます。


 


この委員会の活動の最後にデータの集積をしてたたらガイドマップの作成をいたしました。



たたらの説明と日野郡内に残る遺跡やたたら関連の遺構の紹介、あわせて観光ガイドも乗せると盛りだくさんの内容。そのためA2横長にびっしり細かい字で書き込まれたガイドというより読み物のような形となりました。


すでに関連機関には配布が始まっています。たたらの楽校や日野郡内の公的機関では配布済みのようです。


 


わずか1年ではありましたが、委員の皆さんにはずいぶんとお力添えをいただいたと思います。まだまだやらなければいけないことも多いのですが、充実した1年でありました。


実行委員会の皆様、大変お世話になりました。ありがとうございました。


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ご当主から沢山のご馳走をしていただき、満足したころ、次の部屋へと通されます。


ここは囲炉裏のあるところで、ゆっくり温まりながらお酒を頂きます。


囲炉裏で酒を温めながら、こんどは鮎か山女魚を釣ってきますから囲炉裏でいただきましょうね。とお話しします。


昔から伝わるらしい猪口を沢山入れた箱を廻して皆さんそれぞれに酒器を選びます。


すると一人が、ああ!これはこれは!と叫びました。


何だろうと思って聞くと『この猪口には池酒店と描いてある。これは、当家のご先祖の作られたもの』とおっしゃいました。


この方のご先祖は造り酒屋で、当時販売促進用に御得意先に配ったものだそうです。


よく見ると猪口の底に金文字で池酒店と描かれていました。


旧家どうしにはいろんな歴史があるのですね。


この猪口でお酒を口に含んでいる先輩は心なしか目が潤んでいたような。


さぞかし美味しいお酒だったのでしょうね。その猪口は記念に差し上げますと包んでいただいて大喜びの先輩でした。


 


お片づけは皆でやりましたが、あまりに邸宅が広いので、行ったり来たりも大変なのでした。


本日は、楽しい思いをさせていただき大変ありがとうございました。


 


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このところ、暖かくなってきて、フキノトウも芽を出しています。


そこで伯耆国たたら顕彰会のメンバーもそろそろ、動き出そうとむずむずしています。


きょうは、たたら顕彰会メンバーの持つ古民家で宴会をすることにしました。


この邸宅は私も小さいころから知っていて、ながーく続く武家屋敷のような白塀に囲まれたお家を不思議に思ったものでした。


まさか、こんな出会いがあって、こんなふうにお招きにあずかるとは思ってもみませんでした。


 


夕暮れにお邪魔するとすでにメンバーが集まっている様子。玄関から奥の間に通されます。


縁側をどんどん奥に進むのですが、廊下は雨戸が閉められています。今風だと間違いなくガラス戸なのですがこれが木戸になっているところが時代を感じさせます。


このお屋敷は慶応年間に建てられて、小さい修復はされながら大事に残されているそうです。


 


奥の院は4.5畳と6畳間が開け放たれていて、床の間や筍七つの床柱など書院もきちんと作られています。


天井は漆塗り。欄間の見事な浮かし彫りには大正の伯耆国貝田の職人の銘がありました。


このお宅は、地元名士のお宅で先代は政治家をしておられました。


西園寺公望がおいでになったとき残して行かれた書が置かれています。


本来は季節君などが接待を受けられるはずもない銘家なのであります。


 


今現在は新しいお宅を建てられているのですが、こうしてご先祖が建てられた旧邸宅も記念に残しておられるのだそうです。


うらやましい限りではございませんか。


暖かくなったら雨戸をあけて、庭を眺めながら、陰陽師の安倍清明のようにほろほろと一杯やりたいものですね。


失礼のないようにカメラは持ち込まなかったのですが、やっぱし、写真に残しておきたい風景でありました。


 


ご当主から沢山のご馳走をしていただき、満足したころ、次の部屋へと通されます。


つづく


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鳥取県中部に由良台場というところがあります。江戸時代末期に鳥取藩が海防のために砲台を作ったところです。


しかし、鳥取藩が作ったとは名ばかり、すべての出費は地元が行っております。


中部には武信という鋳物師にして豪商がおり、武信家は大量の大砲を作ったそうですが代金は支払われず、倒産してしまったそうです。


日野町の近藤家に武信謙治という人がいました。近藤家の技師長として鉄の成分分析などを手がけ、クロームの耐熱煉瓦を作った際にはクローム鉱山の支配人をしています。また、安来に錬鉄工場を作った際にも技術者として出向いています。


このかたは近藤家の実弟らしいので、ひょっとしたら近藤家から中部の武信家に養子に入ったのではないでしょうか。だとすれば近藤家の鉄は武信家にも輸送された可能性が高く、大砲の材料にもなったかもしれません。


考え始めると居ても立ってもいられなくなり、季節君は由良に行くことになりました。


由良と言ったら、いまソフトバンクのCMで取り上げている鳥取のハワイのすぐそばです。


名探偵コナンの青山剛昌ふるさと館に車を置いてお台場公園を走り抜けます。ずいぶん広い公園であります。サッカーグランドを駆け抜け、テニスコートを駆け抜け、、、走ります。。普段運動不足の季節君は、ひーひー 


 il|li _| ̄|○ il|li


もうそろそろ足が上がらなくなったところで大きな大砲が見えました。


ここですね。


りっぱに大砲が複製され説明書きもちゃんとあります。



うーーん。これだけの鉄を使って大砲を作ったとしたら当時は大変なことだったでしょう。


ちなみに角炉を使ったとあります。詳しく調べてみないとわかりませんが、おそらく材料の鉄はたたらで作った銑鉄であり、それを角炉で溶かして鋳造したのでしょうね。


江戸時代末期に ぶっぱなしても★ 壊れない大砲を作ることができたのは国内でもほんの数箇所しかなかったそうです。ここで作られた大砲が全国に行ったのだそうで、そういった技術が鳥取にはあったのですね。


うーーん素晴らしいぞって思いながら帰ってきましたが、後で調べたらその大砲のもっと先まで歩いてゆくと本当の砲台場の史跡が保存されて国の指定なのだそうです。台場公園の広さは半端ではありません!


しまった。 (>_<)あちゃ~!!


もう一度行かなければならないかもしれないと思う季節君でありました。


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