アーカイブ

2011年12月

カテゴリ:

日野町に船場というところがあります。 もちろん中国山地沿いですのでこの集落でも盛んにたたら製鉄が行われたという記録があります。 舟場の古民家を訪れました。大きな土間に吹き抜け、囲炉裏もあり自在鍵もある立派なお屋敷でありました。そのお屋敷の土間に大きなカナクソが置いてあります。 なんでこんなところに?


お話を伺うと、『ずいぶん昔にお寺の近くで見つけたよ』ということでした。 お寺では以前、ご住職に『このあたりでカナクソが出るよ』といわれたことがあります。


おお!そういえば『お寺近くの畑を整地していたら、地下から大きな穴がたくさん出た』というお話を伺ったことを思い出しました。


さらにお寺には鉄山墓があります。


このすべてが指差す方向にあるものは。


そう、舟場のお寺のそばには鉄山があったということなのです。 この鉄山は今まで調査されたことがありません。


やったし。また新たな製鉄遺跡の発見のようです。


カテゴリ:

職場に佐川急便さんがやってきました。 小脇に荷物を抱えて。。。。 とても魅力的な光景です。 恋人がサンタクロ~ス♪♪ 私の場合は現物を持ってきてくれる宅配便のお兄さんのほうがよっぽど魅力的なのでした。


宛名を見るとJFE21世紀財団。おやっ?


荷物を受け取りはんこを押して、さっそく開封します。 しかしフィルムでコーティングされた小包は意外にも強固な抵抗をみせ開封に手間取りました。 「てこずらせやがって。。。。」 なかにはDVDと書籍がたくさん。


(写真はその一部) DVDは前回にも頂いて、公的機関に配布いたしましたので今回はたたら顕彰会関係の方に回覧して勉強していただきながら感想をまとめようと思います。 そして書籍の中にはたたら絵巻を本にしたものがありとてもよい装丁がしてありました。こんな本を作ったらずいぶん高くつくんだろな、、下世話な季節君でありました。 そしてほかにもDVDの取り扱い説明とか、海外子女の作文集とかいろいろなものが一杯入っていました。 これも図書館においていただこうかな。なんて思いながらプレゼントの山を見てにやけてばかりの季節君でした。 JFE21世紀財団の皆様。ありがとうございました。


カテゴリ:
愛車(自転車)に乗り、さらに車に乗り換えて現地へ向かいます。
たぶんこの辺りにいるはず。。。いました。数名のおじさまたちが地図を片手にうろうろしています。山の中で不思議な光景です。
「どうなりましたか?」とお聞きすると、数箇所の調査を終わりすでにカナクソも発見したようです。そしてここが最後のポイント。しかし、30年前の写真とは田んぼの形は圃場整備で、あぜ道の形は道路整備で大きく形を変えています。地元の方にも協力いただき現地の特定はできましたが、道路工事によって遺跡と推定したところはなくなっているようでした。
しかし「ほかにも大きな穴が出たところならあるよ。」というお話が聞き取りできました。
今までの経験から大きな穴が出ると言うことは本床の大舟、小舟かな?とピーンときます。
現場に連れて行っていただくと、このあたりには「たたらどこ橋」という橋もあるし、近くに別の本床の記述もあるので、このあたりでたたらが繰り返し打たれたのだとわかります。
どうやら記録を整理すると2箇所の本床が時期を変えて存在したということになりそうです。
さらにさらに、200メートルほど離れた山の中に墓石がたくさんあるのを見たことがあるとおっしゃいます。そこにも連れて行っていただきました。
そこは道路からガードレールを飛び越え、藪こぎをしながら竹やぶに入り、迷路のような竹やぶをさまよい、降り出した雨にぐっしょりになったころに到着です。
到着と言うか、さまよっていたら「そこだよォ!」と言われました。足元を見ると石のかけらが落ちています。拾い上げようとすると地面にしっかり埋まっています。これが墓石でありました。文字が刻んでるのですが暗がりなのと文字の彫りが浅いのとで解読できませんでした。
見回すとこのあたりにあちこち同様の石が埋まっているのです。丸い墓石と思われるものもありますし、かなり立派な角もまだしっかりしているものもあります。これが鉄山墓だとしたら不釣合いなくらい立派なのですが、どうでしょうか。道もなく人も入り込まないくらい、地元の人も知らないくらいの墓なので最近のものではなさそうですし、位置から言っても先ほどのたたら場の山内の鉄山墓と言うのはうなずけます。
うーーん、再調査が必要かなとも思うけれど山の中の崩れた墓地というのは一人ではきたくないなって思うのでありました。
(後日の文書等資料による追跡調査の結果、山配の墓であるとわかりました。山配とは炭を調達した山子のかしらです。炭の調達はたたらにとって生命線であり、当時の山配はかなりの地位でした。ですから立派な墓石だったのですね。ということは年号を調べれば、操業された年代が特定できますね。やっぱり、もう一度行くのかな~)

カテゴリ:

伯耆国たたら顕彰会では日野町根雨と日南町大宮にたたらの資料館「たたらの楽校」を作って運営しています。冬の間は根雨楽舎は3月末までお休みです。 根雨楽舎は日野町公舎を利用しています。大鉄山師としてその名が有名な大近藤のお向かいになります。この建物は出店近藤といって明治元年に建てられた建物です。 もちろん150年もたっているので何度か修復されています。 しかし、材木が傷んでいることや鳥取県西部地震のためあちこちが傾いています。 そこで、日野町が思い切って修復計画を策定中です。


ということで、公舎の利用を常日頃しておられる団体を集めての修復説明会が行われました。季節君もたたらの楽校担当者としておいでなさいとお声がかかりました。 寒くなってきましたのでストーブを囲んで車座になり町長様以下、担当課長様もおいでになり膝詰めで話し合いになりました。 古い写真をお持ちになり、できるだけこの形で修復と言うか復元というか、そういった工事をしますと言われました。


( *ノ∀`*)ノありがたや~~


水路に近いため、地下の防水工事をするので基礎が高くなるようです。玄関周りは利便性のため一度はサッシになりましたが、再び木戸に戻そうかともお考えです。 150年を絶え、地震に絶えた古民家なので大事に保存したいとお考えで大いに賛成いたしました。 今日の会議は有意義だったなーと心温まる思いでありました。


しかし、季節君はそんなに余韻に浸っている暇はありません。今の今も同時進行でたたらの現地調査が行われており、季節君もおいでなさいとお声がかかっているのでありました。 ダッシュ!-=≡ヘ(* - -)ノ


つづく


カテゴリ:

いよいよ年末となり鳥取県文化功労賞の発表時期がやってまいりました。


私はこのときを気にしていたのです。


というのは、われらがたたら顕彰会の重鎮『影山 猛』先生がノミネートされたとお聞きしたからでありました。


私は高校生のときから恩師として仰いでおりました。


そして一時期、季節君が高校で教鞭をとったときも校長としておいででありました。


さらに伯耆国たたら顕彰会を作ったときも、郷土のたたら研究の第1人者としてご指導を仰ぎました。


文字通り季節君にとって影山先生は大恩人であります。


この先生がついに鳥取県文化功労賞をお取りになったのでありました。


http://db.pref.tottori.jp/pressrelease.nsf/5725f7416e09e6da492573cb001f7512/9F0DBC5F777D12724925795700371DEF?OpenDocument


これはめでたいです。


今年は年末になってわがたたら顕彰会には朗報が続き怖いくらいであります。


地域文化賞。出版文化賞。文化功労賞の三冠となりました。


もうこれ以上ないので来年は落ちて行くばかりだと思われます。


ですから、いまのうちにご祝儀をたくさんくださいね。 (;^◇^;)ゝ イヤァ


このページのトップヘ

見出し画像
×