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2011年02月

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小説TATARAの感想文を送っていただいた方へ感謝の印。日野谷の農産物プレゼントのための審査会を開きました。今井書店の社長様。歴史研究家の影山先生にも推薦していただきながら、みんなで熱心に読み込みました。夜遅くまでわいわいがやがやとにぎやかに、話が弾みます。しかし、この感想文を書かれた方たちはすごく立派な文章を書いておられます。こんなにすばらしい方たちが小説TATARAを読んでくださっているんだと思うと感激しちゃいます。
私の特に心を引かれた部分を抜粋します。

長文の部 最優秀賞 y。s様。
。。。この物語は、鳥取県日野郡日野町根雨の「たたら」経営の近藤家をモデルとし、幕末から大正に至るまでの近藤家の当主像が原型であるものの、あくまでもフィクションの由。しかし、随所に史実を巧みに織り成しての迫真性のあるストーリーの展開、黒井田家三代の当主を支え、たたら社会で健気に生きたりんの生きざま、「残照」で終わるりん64歳の生涯、まさに感動の物語である。。。。(中略)
1500年という永い歴史をもつといわれるTATARA製鉄の故郷の遺跡は、どのような現状にあるのか。先に世界遺産登録された石見銀山遺跡に優るとも劣らぬ貴重な文化遺産ではないだろうか・・・。


優秀賞には M.K様。  H.K様


短文の部 最優秀賞 I.I様
主人公「りん」の一生を激動する明治期、たたらを舞台に黒井田家の人々、嫁ぎ先の主人吉岡とその義母と養子直矢、黒井田家に共に奉公した女性たち、日野で働く職人たちとの人間関係を通して見事なまでに描いた感動の書です。特に「りん」の他人を思いやるやさしい心、自分の事を犠牲にしてまでも相手を優先して事に当たる姿勢、そして常に何事にも前向きに行動する明るい性格など。理想的な女性像として描かれていることは現代人のわれわれとしても大いに学ぶ点だと思いました。それから奥日野のたたらの知識を得られたことは本当に有難い限りです。


優秀賞には Z.M様。M.F様。M.S様。F様。N様。

詳しくはホームページで掲載されます。
遠方の方が多いので、わざわざおいでいただいての表彰式は行わず、該当者の方に直接お知らせして特産品をお送りすることになりました。

なお、紹介しておりませんが佳作の皆様にも、お知らせして特産の農産物をお送りしますので楽しみに待っていてください。
さらにさらに、、フォーラムなどでアンケートにお答えいただいた皆様から抽選で25名の方に 奥日野地方での特産 味噌を送りします。

みなさん。ありがとうございました。

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山陰地方はまたまた強い冬型の天気となってしまいました。雪に閉ざされた中にあって読書をしています。これからフォーラムや講演会が続くため、皆さんのお話についてゆくために、少しは空っぽの頭に何か入れておかないといけないなーと私なりに考えてのことです。
近いところでは、米子法人会 日野支部主催で、『たたら製鉄から見る経営センス』というのが3月5日。日野町山村開発センターで行われます。後援は 日南町。日野町。江府町。伯耆町 及び各町の教育委員会です。


今回は今までの本の読み返しのほかに あらたに、『たたら製鉄業史の研究』という本を読んでいます。

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やはり、近藤家文書や日野郡史、鉄山必要記事、影山猛先生など地元関連の資料が多く使われています。ただ、この本を読んで新たに気づいたのは明治中ごろには中国山地での和鉄産出量が全国生産量の90%に達していたということ。いつの時代でも島根県での産出量に鳥取県での産出量はわずかながら及ばなかったこと。島根御三家と近藤家は古文書や資料がしっかり残っていていまだに分析中なのに石見地方などでは資料が散逸してしまっていること。
日野郡では近年、たたらの歴史を語られなくなっています。いま、このたたら製鉄の歴史を大事にしておかないと日野郡での歴史資料も散逸してしまう恐れを感じました。

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鳥取県主催で交流事業等事例発表および講演会というのが開かれました。
事例として4団体の発表があり、伯耆国たたら顕彰会も発表するようにとの通達がありました。
でもって、わが団体も小説出版を機軸とした『たたらの里づくり』推進事業報告というのをやりました。
各機関から大勢の方がやっておいででしたし、テレビ局や新聞社などのマスコミ関係者の方もおいででした。見覚えのある方も大勢いらしています。皆さんメモを取りながら熱心に聴いていてくださいました。
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無事4団体の発表が終わり、記念公演になりました。私も公演を聴いていると、後ろから肩をたたく人がいます。振り返ると某経済団体の会長さんでした。『ちょっと、会わせたい人がいるんだけれど出てこれますか?』と言われ、席をはずしました。
1件目は米子法人会の役員のかたでした。こんど米子法人会日野郡支部での講演会をお受けしているのでその打ち合わせでした。
2件目は元鳥取県日野総合事務所長さんでした。『おひさしぶりです、お元気でしたか』と挨拶を交わし、応接室で名刺交換すると今は別団体で役員をしておいでです。『今のあなたたちの取り組みが面白いと思ってみています。これからは、私もつかず離れず程度に応援してゆきます』とおっしゃってくださり、いろいろアドバイスや情報を提供してくださいました。もっとべったり応援してくれてもいいんですけれど、と思いましたがこの微妙な距離と言うのが大事なんでしょうね。このかたは韓国通でも有名なかたです。以前お手製のキムチをご馳走になったりしたこともあります。そして今まさに鳥取県がアシアナ航空の直通便を応援していたり、境港から直通の旅客船も出ていたりして日韓交流の窓口になっています。これからわれわれたたらの里としても朝鮮半島のたたらと民間で交流してゆく計画です。そんなところでもアドバイスをいただけることになりました。
また、今までにできた島根県のたたら関連の皆さんとの人脈も大事にしなさいと教えを受けました。
なんか、どんどん交流の輪が広がってゆきます。大いに収穫のあった本日の会でした。

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 次の記事で目に入ったのが南総里見八犬伝。またまた昔話になりますが、天下のNHKで里見八犬伝の人形劇をしてましたよね。あたし、あれの大ファンでした。怪獣ものの特撮よりよっぽど好きでした。毎日、はらはらしながら見ていたことがあります。あれって、鳥取県でのお話がモデルだったのですね。知りませんでした。

そういえば、話はキッパリ変わりますが、鞍馬天狗のモデルは黒坂の泉龍寺に幽閉されていた因幡二十士だったって知ってます?泉龍寺には昔、その志士たちが使った短筒の鉄砲がありました。鳥取県の泉龍寺を紹介するHPもありますから歴史的背景を調べてみてください。幕末の頃、実際に暗殺があったり、敵討ちで殺害されたりということが本当にあったんですね。今の世の中からは信じられないんですが、すぐ近くでもそんな大変なことが起こっていたのです。そうそう、あそこのご住職はわたしの高校の後輩なんですけれど大変立派なかたですよ。

さらに淀屋再興の記事。立役者は倉吉の人だったんですね。江戸時代は幕府の政策でお米は大阪での取引だったため、米問屋の淀屋が大きくなって淀屋橋なんて橋をかけたりして大繁盛したというお話は知ってました。鉄も大阪での取引であったため、山陰の鉄山師は運搬や価格維持に苦労したんですよね。でも近藤家は大阪で鉄問屋をすることに挑戦し、大成功したわけですよ。

記事は続いてさらにさらに『赤猪岩神社』 南部町方面でもさかんにたたら製鉄は行われていたので、この真っ赤に焼けた岩が落ちてきてオオクニヌシを殺めた。という神話はたたら製鉄をイメージしたものではないかという説が地元にはあります。

そして、この雑誌のトリは根雨でありました。おしどりと金持神社、たたらの楽校は根雨の町の3点セットになりつつありますね。こういう取り扱い方をしていただけるととてもうれしい限りです(感謝)。コラージさんこれからもがんばっていい記事をかいてくださいね。

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webマガジン=コラージから雑誌掲載のご案内を頂きました。

→コラージ

最近のインターネット環境を使った情報伝達システムって恐ろしいほど早く、広く、安価に広がってゆきますよね。このインターネットの情報伝達システムってすごいのです。

で、今回お世話になるのはWEBマガジンです。
ネット検索してみるとWEBマガジンでは驚くほどの件数がヒットします。本屋さんの紙面雑誌は有料ですがWEBマガジンってのは無料があたりまえ!ほんとに無料で成り立つのでしょうか。少しくらいおひねりとかお賽銭とかはしなくてもいいんでしょうか?まあ、スポンサーさんの広告料がある程度はいれば、紙面の雑誌のように印刷料、製本費、配達料、販売手数料、紙代などはまったく掛からないわけですから、やってゆけるのかも?とも思います。どちらにせよまだ実験段階で果敢に挑戦していらっしゃるんでしょうね。ライバルの少ないうちに先行した者が気がついたらとんでもないほどでかくなっている世界です。
マイクロソフトってなんだ?なんだと言ってるうちに今では世界経済のトップに立っているのですから、賢い人はどんどん挑戦しなくてはなりません。われわれが発行した松本薫さんの小説『TATARA』もネット書籍にしようかというお話も頂いています。本にするのには相当なコストがかかるのですが、WEB送信なら経費がかからずやっていけるのかな?でも今はまだなかなか売れないだろうな。なんて コンクリートのように頭の固い私は考えてしまうのでした。こんな私は間違いなく世界経済にはおいてゆかれますね(>_<。)HelpMe!!

えーーっと、なんのことでしたっけ。そうそうコラージの記事です。
ご覧になってください。前号と2月号は鳥取県特集です。!!!なんとすごいです。
たまのお休みのときなど、わが家でどこかドライブに行こうと話し合いますがいつも行き先が決まらずご破算になってしまいます。しかし、これほど近くに魅力的なところがあったとはおどろきです。それはコラージさんが魅力的に書いてくださっているのもありますが、それでも近くに住んでいながら知らないことも多いのでした。

『倉吉の紬』この記事を読んでなんだか懐かしくって私は放心状態になってしまいました。季節君は遠くの空を見上げて思い出します。そうそう、あれはもうずーーーと昔のこと。わたしがまだ鼻たれ小僧だったころ。母の里に行くと二階の屋根裏部屋といった感じの薄暗い部屋に機織機(はたおりき)が置いてありました。木組みの大きな仕掛けに糸が渡してあり、近づいただけでしかられました。おばあちゃんは私をなめるようにかわいがり、けしてしかることなどなかったのですが、このときだけは困ったように私を遠ざけました。おばあちゃんが織りかけの機織(はたおり)だったのでしょうね。今ではもうその屋敷もなく、もちろん機織もありません。大好きだったおばあちゃんも、もう居なくなっています。そんな忘れていた遠い思い出がよみがえってきました。おばあちゃんの部屋の横には馬屋があって牛が住んでいました。冬にはなぜか暖かい部屋でした。牛は子どもの私を見ると大きな声で『もオーーー』と叫びました。それが怖くて私は牛が大嫌いでした。牛がつけているツノだって大きかったです。だから怖くて嫌いでした。その頃は中学生くらいの子どもが牛を散歩に連れて行ったりしていました。今の世の中では子犬にひもをつけて散歩しますが、昔は牛にひもをつけて町中を散歩していたんですよ。しんじられます?

突然ですが 長くなるので次号に続きます

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