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2011年02月

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今年の冬は厳しかったですね。
年末年始にはお天気の神様が急にお怒りになり、どーだ!まいったか!というような急な積雪で雪に埋まった車が1000台を超え烏取県内は大渋滞。県職員や国土交通省はもちろん、消防や自衛隊や自治体やケーサツが総動員され、それでも動けなくなって埋まっている車を見かねた地元の人からおにぎりなどの暖かい差し入れがあったりして鳥取県民の人間性が評判になりました。
さらに海沿いの松の防風林は折れてしまって壊滅状態でした。今でもボランティアの人をはじめとして多くの人が伐採してますがあまりに量が多すぎて大変な惨状です。

そして、日南町では先日の最低気温が氷点下17度でした。記録的な低温であちこちで機械が壊れたりしたそうです。わたしも、濡れた靴で歩いていたら鉄板の上で一瞬のうちに靴が凍って張り付き歩けなくなったりしました
( ̄▽ ̄;)!!ガーン

そんなこんなで大変な冬でしたが、やっとこのところのよい天気。もうそろそろ冬用タイヤを交換してもいいかな?と思い手持ちのクルマを1台だけタイヤ交換しました。
やれやれ、、、一仕事終えて車で走ってみるとなんだかうるさい?????タイヤを良く見るとパターンが違っています。静粛タイヤであったため前向きと後ろ向きを間違えてしまいました。。
また、、、タイヤ交換のやり直しです。。失敗してしまいました。今年の冬はやっぱし大変です。いや、冬のモンダイではなく私の問題でした(笑)

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さっそく2階の会場に行き受付をします。
名簿に伯耆国たたら顕彰会と名前が入っていたのがうれしかったです。(#^.^#)
お世話になります。
そしてスタッフの皆さんにお願いして取材のため、はやめに会場に入れていただきます。
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大きな会場ですが、いったいどれくらいの方がおいでになるんでしょう?
壁際には 日刀保のパネル写真や器具、砂鉄などが展示してあり興味深く拝見いたしました。
しかし、流石に島根県は腰が据わっているというか、歴史が醸造されているというか、底力を感じます。
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そうこうしていると、われわれのメンバーも三々五々集まり、他にも知った方が多くおいでになっていました。
そして開幕。会場は500名近い方で一杯になりました。

シンポジウムはかなり難しいお話もあり聞くほうもメモを取るのに大変でした。
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わたしもやるときはやるんだからね!って感じでオーラを漂わせながら勉強しました。隣に座っていた松本薫さんには伝わったでしょうか (*^.^*)エヘッ 
しかし、松本さんは鉄の原子核のお話がおもしろかったとか。。。。やっぱり私には付いてゆけません il||li _| ̄|○ il||li
角田研究員のお話は、都合山や砥波のたたら場のお話でしたのでわかりやすかったです。

さらに小学校6年生がたたらの操業を経験するというお話は、とてもいい取り組みだし私たちもやってみたいことではあります。日野町ではたたらの文化の再調査と伝承が始まったばかりで、小学校の子どもたちはたたらの文化をまだ知りませんからね。で、やはりうらやましいのは木原村下が子どもたちにアドバイスされている様子。木原さんの優しさがあふれていました。木原さんってお話ししても気さくでやさしくて人格的にもすばらしい人だと思います。でも、仕事の上では妥協がないらしく、その方面ではとても厳しい人だと周りの方から聞いています。


今回のシンポジウムは奥出雲のたたら文化に対するエネルギーに圧倒されました。

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松江のくにびきメッセ国際会議場で『たたらシンポジウム』が開催されました。
この会の後援には日野町、日南町および日野町教育委員会、日南町教育委員会が入っています。そしてわたしたち伯耆国たたら顕彰会にもお誘いがあり、役員みんなでお邪魔することにしました。
実は、わたしたち伯耆国たたら顕彰会はその結成前の調査研究の段階で、奥出雲には幾度となく伺って、いろいろご教授を受けました。櫻井家におじゃましたり(うちの会のメンバーが親戚なのです)吉田村に行って活動のレクチャーを受けたり、絲原家のイベントに参加したりしました。
なんたって島根県は日刀保のたたらは操業されているし、吉田村には高殿が保存されてるし、あちこちでたたらの体験イベントがあったり、御三家もおいでですし、展示館も多くあります。日立金属だってあります。私たちは学ぶべきものは多かったのでした。
奥出雲と奥日野はいまさら言うまでもなく、昔からたたら製鉄では深いつながりがありました。そのつながりが今でもなお続いていて、たたらの楽校にも早いうちに島根県の皆さんにはおいでいただいています。
で、ぜひともこの際、なんとしてでも松江に行きましょう!という話になりました。
集まれる人は車に分乗し、集まれない人は三々五々這ってでも走ってでもおいでってことで松江に行きました。
私の同行したメンバーは6人ではやめに松江に入り、おうどんでも食べようかってことでうどん屋に行きました。松江ならおそばでしょうって声も聞こえてきそうですが、私の知ってるお蕎麦屋さんは会場から遠いし、みんなはおうどんが好きだっていうからしかたないじゃないですか。で、『たまき』で美味しいうどんを頂きました。ここのお店は店員さんの感じがよくって私は利用します。
そしてちょっとはやめの12:30に会場入りしました。
。。。。続きます。。。。

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ふと見上げればよい天気。このところの激しい雪も収まって、近藤家もきれいに雪化粧をしていました。で、まだ使い慣れない一眼レフで写真を1枚撮って見ました。
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もちろん季節君の愛車もきっちり写っています。私が行くところ、かならずこのフェラーリ、、じゃなかったブリジストン=サイクルが影のようについてくるのです。

そういえば、今読んでいる本に、江戸時代はいくさの時に妨げになるようにわざと橋をかけさせなかったり道を整備させなかったりしたそうです。そのため、たたら製鉄では炭や砂鉄、鉄製品を運ぶのにずいぶん苦労したそうです。おまけに割高な駅馬を使うように強制されたり、山陰の川は流れが速く川舟はうまく営業できなかったりと採算面でも大変だったようです。
今の時代は産業を振興させるために交通整備を図るのは当然となっています。交通の便を良くすれば産業も振興し地域が潤う。古今東西の事情を見ればよくわかります。交通の要所が発展するのです! キッパリ
でも江戸時代は、まだ内紛があった時代。日本がひとつにならず、地方の諸藩がそれぞれに自治権を持って国を作っていた時代なのでした。だから、交通事情ひとつでも簡単に整備できなかったんですね~。


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今日は、たたらの学校 根雨楽舎の前の水路でTVの撮影がありました
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芋車といって、小さな水車のようなものにサトイモを入れて、水力でまわすとサトイモがこの水車の中でごろごろと回りながら、あ、いやーんって感じで皮がはがれてゆくのです。そして見た目にもきれいな白肌のお芋になるのでした。
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最近ではまり見かけなくなりましたがこれが珍しいと言うので取材となったわけです。

さらに、水舟と言うのもあります。湧き水を貯水槽にためて水道の代わりに使うのです。
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きっと江戸時代にはあちこちにこういうものがあったのでしょうね。いまでも、この水舟は機能していて、夏にはビールを冷やしたりするのに最適です。夏祭りの夜には根雨の町で踊りがおこなわれます。地元の自治会や職場のひとが浴衣姿で練り歩き志向を凝らした踊りをします。季節君も例年参加するのですが、この水舟までやって来ると知り合いの人がいてバケツに入ってよく冷えたビールを出してくれたりします。昔ずいぶんお世話になったかたなのですが今でもお世話になりっぱなしです。そしてうぐうぐとビールを飲み干し、片手がコップでふさがって踊れなくなってしまった季節君は単なる酔いタンボーと呼ばれる羽目になります。こんなとき、私はゆっくり 生きてるな~ってしみじみ感じます。こんな根雨の町の人情味のあふれたところ、時間がゆっくり流れるところが私は大好きです。

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