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2010年09月

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京の都で、平家に討たれそうになった皇子を密かに逃がし、7年間のあいだ日野に幽閉されてしまった長谷部信連のお話をしてきました。
その名残で根雨の町には祗園橋、祇園神社、延暦寺などがあります
ではなぜそんな有力な武将が日野に流されたのでしょう。

昔から伯耆の国は製鉄が有名でした。今で言うならシリコンバレーのようなものです。
竹やりや銅器では鉄器にかなわなかったのです。そこで、中央政府では伯耆の鉄を手に入れようと上級官僚を派遣します。藤原氏一族のひとびとがやってきたようです。
やってきたのは今の金持地区。当事は砂鉄の出るところで鉄は作られます。そういったところを金地(かねじ)といい、それが金持になったと伝えられています。
やってきた中央の官僚は大きな力を持っていましたし、中央政府に忠誠を誓っていたので長谷部信連をあずけたのでした。

その中央官僚の藤原氏が現地で金持党と名乗りました。
金持ち神社売店のちょっと上流側に大きな駐車場があります。そこに金持氏の石碑が建てられています
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りっぱです。こんなのを立ててもらえるとは当時の人は思ってなかったでしょうね。
そしてその近くには金持ち神社のいわれなどが説明してあります。
私などが ない頭でいい加減なことをかくより読んでいただいたほうが間違いないです。
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そして売店。札所と書かれています。
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ここには1万円札をすいて作った扇子など、ミリオンヒット商品もあります。
最近はお客さんが絶えることなくやってこられます。年中無休で営業しています。
私が伺ったときも、看板娘ならぬ金持娘さんが接客してくださいました。
なんともうれしいです。金持ちになれなくてももう後悔はありません(うそです)。

そしていよいよ金持ち神社へと向かいます。
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なにやら風雲急を告げる怪しげな感じです。私の下心が見透かされたのでしょうか。
季節君の運命やいかに
つづく

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根雨の町中には縦横無尽に水路が走っています。
昔は芋を洗ったりしてましたが今は見かけません。
しかし、水は板井原川や山水を引いているのでとても綺麗です。
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これはたたらの楽校根雨の玄関です。
この水路を今日は地元で清掃作業しました。
毎年魚が出てくるんですが、今年も大漁でした。これが楽しみで川掃除をしてる人もいたりするのかな?
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写真はアマゴです(赤点があり40センチくらいになるとサツキマスと呼びます)。小川ではこんなに大きくなるのはめずらしいです。
さらに驚くことに、秋になるとちゃんと親は産卵し春には稚魚が側溝を泳いでいるってことです。
そしてもっと驚くのがこんなのもすんでいるんです。
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40センチと60センチのオオサンショウウオが2匹、、、いわゆるハンザキというやつです。一度噛み付いたら半分に裂いてしまわないと放さないというところが語源になっています。古代生物の生き残りです。なんとなくたたら製鉄でできるノロの化身のようでもあります。でも、採ってはいけないのでこの水路の住人になっていて毎年でてきます。
これからは ノロと愛称をつけますのでそう呼んでやってください(笑)

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根雨神社のことを祇園神社といいます。
根雨の町を望む高台にこの神社はあります。
夏でも涼しい林の中を石段を登ってゆくとやしろがあります。その社の後ろには大きな四角い岩があり、しめ縄が飾って有ります。今は夏草が生い茂って藪になっていますが確かにあります。
写真にとって、HPに公開するとばちが当たりそうなのでやめときます。
こうみえても(どう見えてんだか?)季節君は臆病者なのです。
写真に神様が写っていたら大変ですもの。
この岩ノ前で雨乞いをしたら甘露のような雨が降り始め、根潤うから根雨の町の名前が付いたことは以前お話しました。
社はこんなかんじです。
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小さい丘の上に建ってるので大きなものは建てられなかったようです。でも作りこんであって材料もすごく上質なものが使われているそうです。
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こういうのって宮大工が特殊な技術で作るんですってね。

ここで根雨の町の初詣風景を紹介します。
私は12月31日の夜、11:50分に家族を連れて家を出てお宮に参ります。
雪の降る中を石段を静々と登ってゆくと、12:00新年です。太鼓の音が鳴り響きお正月の初詣が始まるのです。水引にお賽銭を包み、今年はいい年でありますように、そんでもって商売繁盛で、家族は元気で、娘は大学に合格して、、、あまり沢山お願いすると神様もお困りになりそうなので、気を使ってこんくらいにしておきます。
お神酒を頂いて、お宮をぐるっと一周して小さい祠にもお賽銭をして家まで帰ります。
このあいだにおしゃべりをすると福が逃げると昔からの言い伝えで黙ってうちの玄関まで帰ります。知り合いが居てもこの日は無視していいんです。時間も節約できてずいぶん助かります。
家の玄関をくぐると子供たちが大きな声で おめでとうございます!といいます。これは 私にはお年玉の催促に聞こえるのでありました。
私が子供のころも母に手を引かれて同じように初詣のお参りをしました。
この行事は子供たちのお年玉の催促のためにもなくしてはならない行事です。
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神社から帰ろうと階段を見下ろすと小市民の自転車がじっと主人の帰りを待っていました。忠犬ハチ公のようです。
でも自転車は普通、持っていかれない限りじっとそこで待ってるんですけれどね。ちなみに自転車に乗ったら、日に炙られたサドルがかなり熱くてお尻が大変でした。
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祇園の杜を対岸から眺めた様子です。
大鳥居にも近藤喜八郎の文字が彫ってありました。昔は毎年の神社の飾りつけも近藤さんが手代の皆さんを従えてやられたんだそうです。手代さんといっても御本家に10人、山内(支店工場)に50人、大阪支店に10人と居られたそうですので幹部の方がされたんでしょうね。根雨楽舎には人員配置などを描いた絵図があります。ぜひおいでください。
面白ガイド30分付いて今なら無料です。たぶん、しばらく無料です。

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根雨の町には綺麗な橋があります。古くなって痛みが激しかったのですが町の手でお化粧直しされて立派に見えます
名前を祗園橋といいます
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子供の頃は何の違和感もなかったのですが、私が成長して世間を知るようになってから不思議におもうようになりました。
そうです。祇園といえば京都の由緒正しい観光地です。綺麗な芸者のおねえさんがいたり、私たちには入れないような高級料亭があったりというイメージがあります。
でも、根雨の祗園橋の袂には灯篭があり,ちゃんと「祗園橋」の名前もあります。
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だからこっちこそ本物なんだかんな。なめんなよ。とも思います。

さっそく由緒を調べてみなした。

むかし長谷部信連というひとが京都にいました。
治承四年五月源頼政以仁王の令旨により兵を挙げて事ならず、以仁王の籠臣長谷部信連捕らえられて日野郡金持に流詰せらるる

謀反を起こそうとして失敗した罪で京都から日野に流されてしまったのです。
日野に居るあいだ、京都の町を懐かしんで町中を流れる板井原川を京の加茂川に見立てて根雨神社を祇園神社と呼び橋を祗園橋と呼んだ。さらに三谷神社を王子権現、お寺を延暦寺としたそうです。
勝手に名前をまねるくらいなら、高級料亭や芸子さんもお願いしますと私は強く言いたいです!

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根雨の鴨川はこのような清流です。川岸で宴を作り、天然鮎料理でもてなしたら京都みたいでいい感じなんでしょうね。芸子さんも、、
飲兵衛の私はすぐそういった世俗的な方向に流されてしまっていけません。

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