大山といえば、山陰にあってひときわ大きな山です。

そして古くから信仰の対象になった山です。

この大山開山1300年祭がおこなわれるのでいろいろイベントも企画されているようです。

このところ、伯耆国たたら顕彰会にも大山とたたらのつながりをお尋ねになることが多くあります。

しかし、資材を運搬した牛馬のつながりとか、大鉄山師からの寄進のお話とかは想像できるにしても決定的なたたらと大山とのつながりを示す資料は見つかっていません。

 

という私なりの結論をいきなり出してしまいましたが、このたび中海TVからそのあたりのことを詳しく聞きたいとのお申し出があり、取材を受けることになりました。

 

吹雪の中、たたらの楽校のお部屋には会長と事務長、近藤家御当主と季節君、それにTVスタッフ約1名という至ってむさくるしいメンバーがそろいました。

そして件の内容について談義が交わされます。

TVスタッフさんはかなり資料を集めて勉強のされたようで、公文書館や米子市美術館、刀剣研磨師の森井先生などもお尋ねになっています。

大山寺領は神聖なところなので、樹木の伐採や山を切り崩して砂鉄を採るなどの行為はされていないというのが今までの定説でした。

しかし、御机では大鍛冶場があったとされています。大鍛冶はたたらでできたケラ(鉄塊)などを精錬するところなのでどこから材料の鉄塊を持ってきたのでしょう。

たたらの遺跡を調査している事務長に尋ねると、御机の大鍛冶場跡はすでに道路工事でなくなっていたものの、本床跡は近くに発見できたとのことでした。これは今までの定説を覆す新しい発見だと思います。
大山寺領内にもたたら場があったのです。
ま、マニアックな小さな発見なのですが。

 

というような談義を近藤家御当主と季節君がインタビューにお答えする形でTV撮影は無事終了しました。

その後、スタッフさんの質問は続きます。

遺跡はどうやって見つけるのか?

ケラってどういうもの?

ハガネって?
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100年前のぎんぴかの鋼の塊を不思議そうに録画しておられるのが印象的でありました。

若い人がたたらに興味を持ってくださるのはとてもありがたいことです。

また、なにかの機会においでくださいね。