ども、皆さんご無沙汰です。

日南町でのたたら講演会(3月11日)の準備もあって、忙しいのです。
が、実はわたくし、秘かに地下に潜って調査を進めておりました。


というのは、伯耆の古鍛冶である大原鍛冶は安綱さんばかりが有名になってしまって、判官びいきの季節君としては面白くないのです。

巨人より阪神。キリンよりアサヒよりサッポロ。メルセデスより本田(買う金がないだけの事)


ということで大原真守を贔屓しようと企んでいるのでございます。
大原真守の宝刀と言えば、幾つか現物も存在していて重文などになっているのですが、なんといっても伝説の宝刀
抜丸
でござんす。

そこで抜丸についての古文書を探しておりました。
鎌倉時代の古今東西の名刀を記した「銘尽」にも安徳子 平家のぬけまる と書かれております。

平家物語の類似本のひとつである源平盛衰記を訳してみました。

猟師が一振りの剣を持って猟をしていた。ある夜、鹿を得て大木の下で泊まった。朝になってみると大木は古木の様になって枯れていた。これは神剣であろうと、木枯らしと名付けた。平忠盛はこの剣をご覧になって、この国では得難い剣だと年貢三千石で交換された。その後、忠盛は六波羅の池殿の山庄にて昼寝して前後不覚に陥っておられたが、この木枯を枕元に立てかけておかれた。大蛇が池から出て忠盛を呑もうとする。木枯は鞘から抜き出て鐔を蛇に向けた。蛇は剣を恐れて池に沈む。太刀が倒れたのは主を起こそうとしてであり、鞘から抜け出たのは主を守って大蛇を斬ろうとしたのである。平治の合戦で頼盛が熊手で掛けられたときにも、この太刀で鎖を斬っている。このように目出度い太刀なので嫡男に伝わるべきなのを頼盛に伝えられたので清盛と仲が悪かったが、よく説明して唐皮小烏は平家重代の宝なので、必ず六代に伝えなさいとおっしゃった。


平家物語の異訳本は腐るほどあります。
平治物語、源平盛衰記、太平記、覚一本、米沢本、京師本、流布本、南部本などなど。

平治物語ではこうなっています。(季節君訳)

熊手の柄を手本二尺ほどを切って落とされたので八町次郎は急に倒れて転んでしまった。。京の童がこれを見て、「立派な太刀だ。あきれてしまう。三河殿もよく切ったものだ。八町次郎もよく掛けたものだ。」と驚いた。頼盛は冑に熊手を掛けたままで、振り落としませず、振り返りもしない、三条を東へ、高倉を下り、五条を東へ、六波羅まで、からめかして落られたのは、なかなか立派に見えた。名誉の抜丸なれば、よく切れるのはもっともである。 此太刀を抜丸と呼ぶいわれは、故刑部卿忠盛、池殿にひるねしていらっしゃったところに、池より大蛇が出てきて、忠盛を呑もうとする。此太刀まくらの上に立ったが、自らするりとぬけて、蛇にかゝりければ、蛇おそれて池に沈む。太刀も鞘に帰ったならば、蛇又出て呑もうとする。太刀又ぬけて大蛇を追て、池の汀に立った。忠盛是をご覧になって、抜丸と名を付けられた。忠盛様の正室のお子であったので、頼盛是を相伝されたところ、清盛と仲が悪くなったと伝えられている。伯耆国大原の眞守が作と云々。

 



そして、ほかにもあるはずだぞと長らく地下に潜伏して調査をしていて、本日ついに違う資料を見つけてしまいました。延慶本でございます。読めば何という事はないのですが、季節君はそれなりに達成感が有りましたので、ここにご報告申し上げます。原文の現代語訳も終わりましたが、本日の報告はながくなったので教えてあげません。続きはまた明日




たたらの勉強をしていると、たまに、と言うか、結構古文書に出会う機会があります。

いま勉強中の安綱の話にしても、太平記を見ると、活字、木版、肉筆による写本などがあり、同じことが書いてあるだろうとは思いながらも、少しでも原書に近い古文書を見るとつい見入ってしまうわけです。
しかし、悲しいかな、なかなか読み切れません。

また。時々 たたらの文書が毛筆で書かれていたり、神社から出た文書に出会ったり、と言うことがあるのですが、誰も解読していないので内容がわからずじまいになったりします。
そこで季節君も一念発起。
古文書解読講座に参加することにしました。

午前10時すぎ、会場にやって来ると、駐車場はいっぱいで車を止めることも出来ません。
これはえらいことになった。 (@_@)

と思って気後れしていると、会場からぞろぞろとほかの団体さんが出てこられて、私の参加する講座の参加者は17人でした。
それでも予定していた定員はオーバーだそうです。

緊張しながら部屋で待っていると、おいでになった講師陣は季節君の良く知った方々であります。
ちょっと安心して、敷居も1メートルくらい低くなり、あっというまに講座一日目は終わりました。
今後は黒坂の中庄屋、三輪家の文書を解読することになるようです。

んでもって、舟場の水路の話とか、黒坂村の昔の地名とか出てきて、これが地元の古文書解読の魅力かもしれないって思っちゃいました。(まだ解読するのはこれからですけれど)

奥日野では庄屋も大庄屋、中庄屋、ただの庄屋があったそうです。
季節君ちも屋号が舟場元庄屋なので、舟場でただの庄屋だったのかもしれません。
私がまだどこにもいない頃の大昔、火事で財産をなくしていますし、今もって貧乏ですので間違っても上級の庄屋ではないのですが、どっかの文書に出てこないかななどと期待してしまいます。

せっかく始めた講座ですので何とかものにしたいと思いますが、先は長いのでどうなりますやら。

わが、伯耆国たたら顕彰会が誇る、奥日野のベートーベンのアトリエに出向いてみました。
ただいま彼は、電子紙芝居なるものの製作中です。

彼のアトリエは、もと病院だった建物だけに、入ると思わず診察を受けてしまいそうになります(笑)

で、現在制作中なのが、大原安綱の紙芝居。
平家物語や太平記などに出てくる伝説を解析し、刀剣研究家の意見も取り入れ、季節君も参加してストーリーを作りました。
安綱には諸説があるために、大いにストーリー造りには苦労したところではありますが、仮説の一つとして髭切、膝丸が安綱の太刀であったらと言う展開にしました。

あと、安綱は坂上田村麻呂の年代と言う説と安綱の作った童子切は西暦900年代後半の作と言う説を取り入れて、安綱銘は数代続いたとする解釈を採用しています。
なかなか苦心の作ですので公開を楽しみにしていてください。

今年の春に全国一斉ロードショー

の予定はありません。
<(_ _)>

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