10月26日は根雨神社の例大祭。
たたら顕彰会のメンバーも何人か御幸行列に参加していました。
季節君も神榊をもって歩きました。
神榊には天之叢雲之剣や 八咫鏡、八尺瓊勾玉がぶら下げてあって、結構重かったです。
あめのむらくものつるぎ といえば、船通山で八岐大蛇が持っていたとされる剣です。大蛇が酒に酔いつぶれたり若い娘をかどわかしたり、剣を持っていたりするのはどう考えてもおかしい。それに剣があるからにはそれを作った人もいるだろうと思います。
これが船通山に鉄づくりをする集団が居たとする説です。
船通山にはおろち神社と伝わる祠があるそうです。
そこには鉄滓が残り、黒雲母鉄鋼の鉱脈があるという。
ある研究者が、その黒雲母鉄鉱石から縦型炉でたたらを吹いたところ鋼を抽出できたとのこと。
そしてその鋼を使って刀鍛冶が日本刀を作ったそうです。
この経緯はすでにたたら研究会で論文になっています。

たかが秋祭りの飾りでここまで語れる季節君はすでに変人の域に達しています。
根雨の町はこんなにも広いのかと驚くほど歩き、くたくたになった頃に祭りは終わりました。

さてこれからが、ふいご祭りの準備です。
自転車に跨り、たたらの楽校根雨学舎に向かいます。
既に7人の侍たちが2台のトラックに備品を積み込んでいました。
おおお!頼もしい限りです。

第11回ふいご祭り

10月27日に日野町役場にて令和のふいご祭りを開催いたします。
ふいご祭りとは、大鍛冶で一年に一度仕事を休んで日頃のストレスを発散した故事にちなんでいます。

今年はミニたたらのワークショップと、たたらの楽校無料ガイドをします。

ミニたたらでは、熱により砂鉄を溶かし不純物と酸化鉄を分離します。さらに酸化鉄に対して一酸化炭素ガスを通過させ、脱酸素を行って金属鉄にするという化学反応を起こさせます。
朝9時ころに火入れを開始し、午後には溶けた不純物が真っ赤に熱せられて炉から流れ出すというノロ出しが見られます。

午後1時にたたらの楽校においでになると、無料でガイドを受けられます。
申し込みは必要ありません。
皆さんお誘いあわせの上おいでください。

tatara

日南町阿毘縁川平山遺跡に思う

これは季節君の勝手な妄想です。
おもしろい遺跡を見せていただいた興奮に浸りながら、一晩じっくり想像を巡らせました。
この感想については一切の責任は負えませんので、あしからず。

今回発見された遺跡は、私が今まで見てきた中で一番小さい遺跡だと思います。
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写真のとおり、山の斜面を削り取ってごく小さい平面を作っています。
古い時代は、道具も少なく大きな平面を作ることができません。
湿度を防ぐ手段もないので、水の来ない乾燥した高台で製鉄をします。
今回の炉は、小舟がなく防湿構造が未熟です。
炉の周囲に小さい穴を掘って小舟がないか確認されたそうなので、たぶん小舟は存在しないと思われます。
大舟にあたる部分も55cmほどの溝状に掘り下げただけ。
おそらく炉底を叩きしめて、炭を入れていたのだろうと推測されます。
鉄を取り出した際に、炉底も浚えてあるため、詳しいことはわかりません。
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そして、地形的には切り開かれた山の斜面から炉までの距離が非常に短いのです。
山際すぐそばに炉があります。
そこには近世ならふいご座があるはず。
これでは炉の横に大きな設備は作ることができません。
そして炉底にも石を詰めたりはされていないようです。
ちょっとだけ炉底に傾斜があり、ノロを排出するためかなと思ったりします。
確か大山の平安時代の遺跡にも似たような構造があったはず。


このようなことを考えていると、中世とはいえごく早い時期ではないかと思えるのです。
日南町大笹奥新田遺跡の場合は中世末期なので大掛かりな地下構造がありました。

そう考えると、ここは中世の早い時期ではないでしょうか。
もし、1000年頃の平安時代なら、大原安綱の時代になります。
奇しくも、大原安綱の伝承のある山伏塚からはほんの眼と鼻の距離。
ここで作られた鋼で安綱が童子切を作ったらなんてことが頭をよぎります。
その可能性が出れば、日南町に町有力な観光スポットが誕生しますね。
現代の非破壊検査を以て安綱の刀を分析する。。。。なんてことは絶対無理なんでしょうけれど




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