才之原たたら遺跡調査

道路工事により、日野町黒坂の才之原たたら遺跡が調査対象になりました。
そこで、現在発掘途中の遺跡を、ご無理を言って見学させていただくことになりました。
3つの地下構造が見つかったため、トレンチ(調査用の堀)は、30メートルほどあります。
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左側は国道であり、以前に道路を付けるために掘削されて、本床(本体部分)がなくなっています。


いつも発掘中の遺跡を見るのは、わくわくしますが、今回は残念ながらいいところがなくなっています。
映画の録画を見ようとしたら、前半部分が録画できていなくて、がっかりした。
そんなかんじであります。

根雨に近い方から、床吊り(防湿のための地下構造)の痕跡を見てみましょう。
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右側の石積みは一番古い小舟(通気用の煙突が横に走っている感じ)の炉壁です。
そして、中央が小舟部分(中は土で埋められています)。

この小舟部分は16世紀以前、時代で言うと中世を想定しています(室町ころってことね)。
炭を使った年代測定をするそうですが、室町より以前だったらもっとすごいですね。

そしてその小舟は左の石垣の下に潜り込んでいます。

つまり、左の石垣は古いたたらの上に作られていることになります。
左のたたらが、3個の中で一番新しいものです。
17世紀を想定しておられます(江戸のはじめ頃)。


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先程のV字の石積みが右端に少し見えています。
そして、あらたな粘土の壁が足元に広がります。
写真中央から右の足元に向かって伸びるのが新しい小舟の壁です。
粘土を焼きしめて石のようにして作っています。
写真左端にある石のような四角いものは、壊れた小舟の側面です。
やはり焼しめた粘土で出来ています。
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そして、大舟の焚口へと続きます。
ここで数年に一度火を焚いて、本床(炉があるところね)の湿気を飛ばしたのでしょう。

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焚口に続いて土井が見えます。写真で言うと下の方に三角に突き出しています。
これと、それに連なる石組が3個目(中間期)の床吊りの端っこに当たるそうです。
右端に見える大きな丸い石は、道路工事で入れた石なので、無視してください。

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壁面には何層にも粘土を入れて、地面を固めています。
この付近から、キセルの頭が出たそうです。年代は江戸時代初期のものです。

こうして切れ切れに写真を見て行くと、何がなんだかさっぱりわかりません。
3個のたたらが折り重なっており、しかも、半分は切り取られてしまっているのですから、さっぱりです。

見学したときにはわかっていたつもりだったのですが……

全体図を書いてみないとわからないですかね。

どちらにせよ、ここは江戸時代以前の遺跡には間違いないようなので、日野郡で発掘されたものでは古い方になります。
もっと古い遺跡を調べて、どこまで歴史を遡れるか、知りたいもんです。



巷では鬼滅の刃で炭次郎が斬った大岩というのが話題になっています。
似たような岩は全国にあります。 
とある取材の折、私は新聞記者君に「鳥取県でも丹次郎が斬った岩に似た大岩があるよ」と話しました。
そして、当ブログにも書きました。
それをご覧になった鳥取県の観光課さんから「見てみたいのでご案内願えますか」と丁寧な連絡がまいりました。
というわけで、即席の見学ツアーに出発です。

出発地点は、鳥取県日野町根雨。車で人向山に向かいます。
人向山というのは、刀の材料になる鋼=はがね(昔は刃金と書いた)などの鉄を作った場所、いわゆるたたら場といわれるところです。
たたらというのは、砂鉄を焼いて鉄を取り出す日本古来の方法。
1400度までの低温で、燃料に木炭を使って鉄を作るので、洋式製鉄の石炭を使うのと違ってリンや硫黄などの不純物が少なくなります。
不純物が少ないと、刃物の焼き入れをするときに、ひびが入ったりしない。刀にしたときに折れたりしない。
つまり、日本刀とたたらは切っても切れない関係にあるのです。

現地に向かう途中、たくさんの人が作業をしておられるところに遭遇しました。

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知り合いもいます。
才之原遺跡の発掘現場です。
ここも鋼を生産していた、たたらの遺跡なのです。
この地域には、大小合わせて600ちかい製鉄の遺跡が残っています。
人も歩けば、遺跡に当たるというくらい多い。

そして、上菅駅に寄り道します。
ここの地名は「大原」といいます。
駅のうしろ、山のふもとに、小さな祠が2つ並んで立っていました。

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これが誰あろう、大原安綱の祠だといわれています。もう一つは奥さんの花御前。
前回も書きましたが、大原安綱とは、鬼切丸とか童子切という、鬼切り伝説のある刀を作った刀鍛冶です。
流石に、鬼滅隊が使っていた日輪刀というのは作品一覧に載っていません。
この祠に祀られているのが、本当に安綱本人であったのか、ここで本当に鬼切丸が作られたのかは、誰も知る由がありません。
城のように大きな屋敷に住んでいたと言い伝えられています。
奥さんは優しく美人だったといいます。よくある話です。
この周辺は製鉄地帯で、特に刀づくりで有名な印賀鋼の名産地でもありました。

その先を車で急ぐと、1Kmほどのところで、国道から左に入る小道があります。
小道は途中でこんなことになっていました。

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『前途多難』という四文字熟語が頭に浮かびます。
まだ『絶体絶命』ではないだけましですよね。

車を放棄して、ここからは歩きます。
雪の深い道を一歩ずつ。
雪の上には多くの足跡がありました。
爪痕から判断するのに、イノシシでしょう。
そういえば、彼は鬼滅の刃にも嘴平伊之助って名で出てました。

イノシシに導かれるように小川に沿って歩いてゆきます。
小川の中には、鉄のかすが溜まってできた、再結合滓なる岩盤があります。

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昔、あまりに沢山の鋼を作ったので、その不純物が川底にたまって岩盤を形成したのです。
それが今でも残っているのは驚きです。

ひたすら歩き続けて、そろそろ遭難するのではないかと思い始めたころ……
時間にして、歩き始めて10分くらい。

自慢ぢゃないけど軟弱です。

息が切れてきたころに、人向山と書かれた小さな看板が、ポツンと店番をしていました。
昔は沢山の人がいて、鋼を作っていたところなのですが、今は誰もいなくて看板が寂しそうでした。
そして、炭次郎が斬ったとか、斬っていないとかいう件の大岩は道から10メートルほど入ったところ。

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やはり大岩も、ポツンと一人ぼっちでありました。
半分土に埋もれているけれど、きちんと掃除すればそれなりに見栄えはしそうだねって、みんなで話しました。
岩だけなら、もっときれいなところはたくさんあるだろうと思います。
でも、刀鍛冶の安綱のことや、鋼の遺跡群などもセットで見てほしいねって話し合いました。

鋼を作った人向山遺跡には、材料となった砂鉄を洗うところが残っています。
多くの人の菩提を弔った石碑。

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砂鉄をとった山(鉄穴山)。

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砂鉄を流した水路(井出)。
斜面には鉄滓(製鉄した後に出る廃棄物)や焼けた炉のかけらが沢山捨てられています。
この山の上に炉があるはずなのですが、藪が茂って今は何もわからなくなくなっていました。
兵どもの夢の跡です。
ここで作られた鋼は、たくさんの刃物になったのだろうと思います。
今は寂しく、そして静かに雪に埋もれていました。
もちろん、炭次郎も伊之助もいませんでした。

実在した「鬼滅の刃」


 

只今、鬼滅の刃ブームの真っ最中です。

竈門炭次郎が鬼を倒すアニメのお話は、皆さんのほうがずっと詳しく知っておいででしょう。

ところで鬼滅の太刀が本当に、リアルに、実写版的かつ現実的に、実在していたことを、皆さんはご存じでしょうか。

時は平安時代。アニメ「鬼滅の刃」の設定した大正時代よりずっとずっと、星のかなたくらい古いお話です。

 

この実在した太刀が鬼を切った言い伝えは、古文書に書き残されています。

たとえば、太平記にはこう書かれています。

「頼光くだんの太刀を抜きて、牛鬼の頭をかけず切て落す。その頭中に飛揚がり、太刀の峰を五寸喰い切りて口に含み乍、半時許跳び上がり〇〇唸りけるが、遂には地に落ちて死にけり」

これは有名な、一条戻り橋での鬼の襲来と返り撃ちのお話です。

平家物語でも同じ題材が書き留められています。
但し平家物語では、渡辺綱が斬ったと書かれています。

この時使われた太刀のことを、太平記では「之に依りその名を鬼切と伝ふなり」と書いています。

さらに、この太刀の作者は「伯耆の国相見郡に大原五郎太夫安綱と伝鍛冶」と伝わります。

ではこの鬼切という太刀は、その後どうなったのでしょう。

歴史の上でも、この安綱が作った鬼切丸という刀が、たびたび出てきます。

北条氏にあったのを新田義貞がとったとか、さらに斯波氏が奪ったとか、足利尊氏が強請ったとか書かれています。
有名人ばかりです。

 

最後に現れたのが、2019年12月28日。

場所は奈良県春日大社。

重要文化財 太刀 銘安綱 (号 鬼切丸 髭切)
京都府北野天満宮所蔵

 

 

また、鬼滅伝説のある刀がもう一振。

室町御伽草子の中に出てきます。

それは、童子切のお話です。

大江山に住む酒呑童子という鬼の親分を、源頼光が斬ったというお話。

この太刀も春日大社の刀剣展に出ていました。

 

国宝 太刀 銘 安綱(号 童子切)

東京国立博物館所蔵

 

あたしは、この春日大社に行って、実物を見てきました。

もし見逃した方がございましたら、地団駄踏んで悔しがってください。

黒い地肌に強い腰ぞり、板目や波紋のことはよくわかりませんが、一応知ったふりをしてみていました。

周りの人たち(多くは若い女の子)も、ふんふんと頷いていましたが、きっとわかっていないだろうとにらんでいます。

しかし、太刀はこれが鉄かと思えるほど美しい。

思わず触ってみたくなるのは私だけではないでしょう。

触れば、おそらく血まみれになってしまうのですが……

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 (写真はレプリカ)

鬼切丸と童子切

どちらも門外不出になっていますので、この特別展を見逃したら、もう二度とこの兄弟太刀が並ぶところを見ることはできないでしょう。

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なお、伯耆の国には刀鍛冶である安綱伝説の場所が、5か所ほどあります。

安綱には多くの弟子がいたので、あちこちに弟子が展開していたのではないでしょうか。

また伯耆には、当然のことながら、良質の鋼の産地がたくさんあります。

昔から、武家の棟梁が奪い合って持っていた太刀だから、相当高価だったのだろうな。

お宝鑑定団に持っていったらどうなるんだろう?

 

私が夢のようにそんなことを考えていたら、鳥取県観光課から「炭次郎が斬った岩を見に来たいのだけれど」とオファーがありました。

そう、真っ二つになった巨石が、伯耆のど真ん中にあるのです。

これはまた、つぎのお話です。

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