毎月の月末頃にたたらの楽校の打ち合わせ会を開きます。

そこで、運営上の問題点や、今後のスケジュールの確認などを行うのです。

きょうは、6月分の当番の割り振りを行いました。

いつもお料理上手の奥様が、お菓子を作ってきてくださって、これが季節君の楽しみになっているのです。

きょうはくずもち。中には漉し餡が入っており、ブルーベリーのジャムがかけてあります。冷たいくずもちとブルーベリーの香り。

とても美味しくいただきました。


楽校の当番も決まり、今年もどこか視察に行きたいねとか話していました。

夏に開催される、米子や倉吉の刀剣展とか、大山寺に行くとか。

長船記念館や千草なんかも行ってみたいのです。


ワイワイと話しているとあっという間にお昼時。

今日はお昼も奥様方に御馳走していただけることになっています。
鯛を混ぜ込んだご飯に、コロッケ。大根の煮物。いろいろ頂いてしまいました。
初夏のさわやかな陽気に、庭の緑も映えます。
日本家屋に吹き抜ける涼しい風。
とっても幸せな気分でした。

たたらの楽校の当番もこういった事が有るから止められないのでした。

たたらの楽校では、スタッフを大募集しています。
現在、9人いますが、私もやってみたいという方。参加してください。
ガイドは別にいますので、知識は必要ありません。
詳しくはたたらの楽校根雨楽舎まで。

旧山陰合同銀行根雨支店

新聞等の報道でご存知の方も多いと思いますが、旧山陰合同銀行根雨支店の建物をどうするかと言う委員会が開かれました。
この建物は、近藤喜八郎氏が明治30年に設立した根雨銀行tと雲陽実業銀行の合併により建てられたもので昭和4年の建築らしいんです。モダンな洋風建築を以って当時の根雨のハイカラな様子を残す貴重な建築物です。
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この建物を山陰合同銀行から日野町に寄贈いただき、利活用しようではないかと官民から委員を募って今回の委員会が開かれました。
本来は、高い天井の吹き抜けだったものを、現在では天井を張って使っておられました。
噂では聞いていたのですが、実際に目にしてみるとお宝発見と言った感じがして季節君もおったまげ~でした。 ∑( ̄Д ̄ll)

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この明かり窓は、ステンドグラスのような浮かし模様がしっかり残っており、ぜひ復元させたいものであります。

大方の意見は、復元保存に傾いておりますが、お金も絡むこともあり、慎重に審議が続けられることとなりました。
問題は、誰が管理運用するかですね。もう日野町のボランティア団体は皆手いっぱいだと思いますから。

それから、この隣にある、根雨神社の横屋さんも貴重な建物であることを皆さんご存知でしょうか。
屋敷は江戸時代初めで、根雨で一番古い建物らしいです。
その前にあるのは、本陣の門。
その横にあるのは、旧根雨神社本社です。1650年ころの建築で、鳥取県で最も古い部類の神社だそうです。小汚い小屋ですが、バクや象の彫刻も見ることができます。わずかに朱塗りが残っているそうですが、私にはそれがわかりません。どうぞ神様、私に罰をあてないでくださいね。
m(_ _)m

原田道寛著「日本刀大全」を読んでいます。
日本刀というものは本当に奥の深いもんだなと思います。
で、季節君はもちろん、日本刀の鑑定などと言う大それたことを学ぶつもりはないのですが、鉄と日本刀については気になります。

以前から読んでいた色々な刀剣解説書でも、もともとは日本刀は銑鉄を使っていたと書かれています。
この本では応永年間以前は銑を使って、刀工が苦心惨憺して刀を作っていたが、応永になってたまたま出羽の鋼鉄千草鋼が発見され、次いで各地の鉄山にて立派な鉄を売りだすようになったとされています。
しかし、どうもこの文章は出羽鋼と千草鋼を混同しているように思えます。

さらに今谷明先生の「琵琶湖と淀の水系」によれば、たたらは平安に完成され鋼が発見された。これにより日本の刀剣は著しく進化する。となっています。私としてみれば、平安期の製鉄遺跡にはすでに完成期に近い製鉄炉が出来ていたようですので、平安期には鋼が発見されていたのであろうと思うのです。

もっとも原田道寛氏はたたらがご専門ではないですし、ずいぶん古い書物(昭和初期)なので、この辺りは致し方ないのでしょう。

問題は、安綱が銑鉄を使ったか鋼を使ったかであります。時期的にはどちらがあっても頷けるのですが、どうなんでしょう。やはりこの辺りがご専門の先生方はちゃんとご存じなのでしょうね。

江戸時代の虎徹と言う人がいます。兜職人だった人が五十を過ぎてから刀鍛冶に変身されました。兜の古い物などを鋳つぶして刀にされたそうですし、山本兼一著「一心虎徹」では桜井家の銑鉄を使ったくだりがあり、桜井家にも取材に行かれたそうなので全くのフィクションではない。

昭和になって鋼が手にはいらなくなった刀工は金床を潰して刀にしたという書物もあるので、いろいろな鉄の炭素量を調節して鋼の代用にしたのでしょう。
南蛮鉄を使って作られた日本刀もありますし、刀鍛冶は鉄の性質をよく知っていて、縦横無尽に使い分けたのでしょうね。

先日の刀剣展を見に行ってから、鉄と刀についていろいろと考える季節君でした。

※ (後日談)この記事については、やはり先輩からご指摘を受けました。銑鉄で刀を作るという表現は適当ではなく、銑を卸した卸金を使って刀を作るというべきだそうです。なお、印賀で採れた砂鉄でたたらを吹いた場合、なかなか溶銑は取れず、大方が鋼を含んだ鉧になるそうです。それでも、銑鉄にしたい場合は赤目砂鉄を混ぜると銑鉄になるそうです。

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