第11回令和のふいご祭り その2

10月27日当日
朝7時に集合です。
そして、トラックから荷物おろし。
組長の指示のもと、基礎を組み立て鉄パイプを建てます。
それに耐熱シートを貼り、あっという間に完成。
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指揮官が優秀なのと、組み立てることに皆さん慣れてきたのでしょう。

村下さん(技術長)は縦型炉を組み立てていました。
我々が脚立などの工具類を片付けて営業準備が整った頃、村下さんはトーチで炭に着火。
この小さな火が、やがて炉全体を熱し、砂鉄を溶かす炎となるのです。

まずは初種。
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緊張気味に砂鉄を投入し、炭を追加します。
これから、延々と(といっても夕方には終わります)砂鉄と炭の投入を繰り返し、それがやがて鉄の塊となるのです。
砂鉄15Kgを予定しています。

お昼過ぎには一度、ノロを抜いてやります。
砂鉄は酸化鉄とケイ素でできているので、砂鉄を加熱して溶かすことによって酸化鉄とケイ素が分離します。その上澄みとなっているケイ素を適度に抜いてやるのです。

ここまで見届けて季節君は会場を後にします。
今日はたたらの楽校で無料ガイドをすることになっています。
久しぶりのガイド活動に『はて?上手くできるかしら?』と適当に不安になる季節君でした。
まあ、これくらいの緊張感をもって事にあたったほうが失敗がなくてよろしい。
歴史マニアの方たちが10人ほどお集りの中、なんとか1時間でお話を終わりました。この1時間というのが微妙なのです。
ちょっと深く突っ込むと2時間や3時間はかかってしまいます。
全部話してしまうのではなく、あと少しというところで話をおわる。この微妙な匙加減が大変に難しい。
なんとか1時間で話をまとめ、今日は近藤本家さんが屋敷の中を見せてくださるというのでそちらに移動しました。
屋敷は鳥取県指定文化財に指定されていますが、中までは普段見ることができないのです。

ガイドが終わって、会場に戻ると、炉は解体されすでにけら(鉄の塊)が出ていました。
今年は7Kgほどの鉄ができたそうです。
うちのムラゲは、驚くほどの鉄を絞り出します。
砂鉄15Kgからだとするとほとんどロスがなく鉄になっている計算です。
こうして作られた鉄塊はすでに11個になっている計算です。
そろそろこの鉄塊を使って何か作ってみたいところです。
しかし、この鉄は均一でないので、鍛錬してやらないとどうにもなりません。
さて、どうしたものかと思案のしどころ
誰かアドバイスをくださいと、沈みゆく西日に向かって叫ぶ季節君でありました。

10月26日は根雨神社の例大祭。
たたら顕彰会のメンバーも何人か御幸行列に参加していました。
季節君も神榊をもって歩きました。
神榊には天之叢雲之剣や 八咫鏡、八尺瓊勾玉がぶら下げてあって、結構重かったです。
あめのむらくものつるぎ といえば、船通山で八岐大蛇が持っていたとされる剣です。大蛇が酒に酔いつぶれたり若い娘をかどわかしたり、剣を持っていたりするのはどう考えてもおかしい。それに剣があるからにはそれを作った人もいるだろうと思います。
これが船通山に鉄づくりをする集団が居たとする説です。
船通山にはおろち神社と伝わる祠があるそうです。
そこには鉄滓が残り、黒雲母鉄鋼の鉱脈があるという。
ある研究者が、その黒雲母鉄鉱石から縦型炉でたたらを吹いたところ鋼を抽出できたとのこと。
そしてその鋼を使って刀鍛冶が日本刀を作ったそうです。
この経緯はすでにたたら研究会で論文になっています。

たかが秋祭りの飾りでここまで語れる季節君はすでに変人の域に達しています。
根雨の町はこんなにも広いのかと驚くほど歩き、くたくたになった頃に祭りは終わりました。

さてこれからが、ふいご祭りの準備です。
自転車に跨り、たたらの楽校根雨学舎に向かいます。
既に7人の侍たちが2台のトラックに備品を積み込んでいました。
おおお!頼もしい限りです。

第11回ふいご祭り

10月27日に日野町役場にて令和のふいご祭りを開催いたします。
ふいご祭りとは、大鍛冶で一年に一度仕事を休んで日頃のストレスを発散した故事にちなんでいます。

今年はミニたたらのワークショップと、たたらの楽校無料ガイドをします。

ミニたたらでは、熱により砂鉄を溶かし不純物と酸化鉄を分離します。さらに酸化鉄に対して一酸化炭素ガスを通過させ、脱酸素を行って金属鉄にするという化学反応を起こさせます。
朝9時ころに火入れを開始し、午後には溶けた不純物が真っ赤に熱せられて炉から流れ出すというノロ出しが見られます。

午後1時にたたらの楽校においでになると、無料でガイドを受けられます。
申し込みは必要ありません。
皆さんお誘いあわせの上おいでください。

tatara

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