地下構造の剥ぎ取り模型が到着
才之原というたたらの遺跡がありました。
それは鳥取県日野町黒坂にありました。
ありましたと言うのは、いまはもうないという意味です。
国道の工事現場に引っかかってしまって、切り崩されてしまったのです。
しかし今年の夏、学術調査は行われ現地説明会も行われました。
もちろん季節君も参加して、このブログでも報告いたしました。
その遺跡の一部が保存されていて、本日、たたらの学校に届けられることになったのです。
地中の遺跡を保存するってどういうこと?
と皆さん思われると思います。
私もそう思いましたから。
保存されたのは大舟(炉の下)と小舟(ふいごの下)を挟んだこの赤枠の部分。
地下構造の中心部分です。

それは予想だにしない方法でありました。
遺跡の断面に樹脂を貼り、それをはぎ取って保存するという力技です。
地層がうずまきろーるけーきになってるのって想像できます?

それを額縁に入れると展示用になります。
季節君は、そのような保存方法を見たこともないので、どのような出来上がりになるのかワクワクドキドキです。
教育委員会の担当者さんたちと、我々たたらの楽校のスタッフが見守る中、京都ナンバーの車が到着。
そりゃ遺跡保存といえば京都でしょ!
納得しながら待ち受けていると、若いお嬢さんがお二人。
えっ!
ここら辺から予想外の展開。
お二人でひょいひょいと持ち込まれたのは、木枠で囲った2枚のパネル。
表面には石やカナクソが飛び出していて、立体感があり迫力さえ感じます。

左のほうが上、右のほうが下になるそうです。
幅1.5m。 高さ3mの標本だそうですが、2分割されていて、イメージがわかない。
地下構造模型でいうとこの部分に当たるそうです。

ほんの一部分なのに実物はずいぶんでかく感じられます。
全体模型の実物大だったら、すごいことになりますね。(島根県にはありますが)
これから展示方法や、説明パネル。説明方法などを研究して展示に役立てましょう。
だいじな展示物が一つ増えたことですし、有効に活用したいものです。
活用できる人たち「伯耆国たたら顕彰会」や「奥日野ガイド俱楽部」のあることが、奥日野のたたらの強みです。
それは鳥取県日野町黒坂にありました。
ありましたと言うのは、いまはもうないという意味です。
国道の工事現場に引っかかってしまって、切り崩されてしまったのです。
しかし今年の夏、学術調査は行われ現地説明会も行われました。
もちろん季節君も参加して、このブログでも報告いたしました。
その遺跡の一部が保存されていて、本日、たたらの学校に届けられることになったのです。
地中の遺跡を保存するってどういうこと?
と皆さん思われると思います。
私もそう思いましたから。
保存されたのは大舟(炉の下)と小舟(ふいごの下)を挟んだこの赤枠の部分。
地下構造の中心部分です。

それは予想だにしない方法でありました。
遺跡の断面に樹脂を貼り、それをはぎ取って保存するという力技です。
地層がうずまきろーるけーきになってるのって想像できます?

それを額縁に入れると展示用になります。
季節君は、そのような保存方法を見たこともないので、どのような出来上がりになるのかワクワクドキドキです。
教育委員会の担当者さんたちと、我々たたらの楽校のスタッフが見守る中、京都ナンバーの車が到着。
そりゃ遺跡保存といえば京都でしょ!
納得しながら待ち受けていると、若いお嬢さんがお二人。
えっ!

ここら辺から予想外の展開。
お二人でひょいひょいと持ち込まれたのは、木枠で囲った2枚のパネル。
表面には石やカナクソが飛び出していて、立体感があり迫力さえ感じます。

左のほうが上、右のほうが下になるそうです。
幅1.5m。 高さ3mの標本だそうですが、2分割されていて、イメージがわかない。
地下構造模型でいうとこの部分に当たるそうです。

ほんの一部分なのに実物はずいぶんでかく感じられます。
全体模型の実物大だったら、すごいことになりますね。(島根県にはありますが)
これから展示方法や、説明パネル。説明方法などを研究して展示に役立てましょう。
だいじな展示物が一つ増えたことですし、有効に活用したいものです。
活用できる人たち「伯耆国たたら顕彰会」や「奥日野ガイド俱楽部」のあることが、奥日野のたたらの強みです。