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webマガジン=コラージから雑誌掲載のご案内を頂きました。

→コラージ

最近のインターネット環境を使った情報伝達システムって恐ろしいほど早く、広く、安価に広がってゆきますよね。このインターネットの情報伝達システムってすごいのです。

で、今回お世話になるのはWEBマガジンです。
ネット検索してみるとWEBマガジンでは驚くほどの件数がヒットします。本屋さんの紙面雑誌は有料ですがWEBマガジンってのは無料があたりまえ!ほんとに無料で成り立つのでしょうか。少しくらいおひねりとかお賽銭とかはしなくてもいいんでしょうか?まあ、スポンサーさんの広告料がある程度はいれば、紙面の雑誌のように印刷料、製本費、配達料、販売手数料、紙代などはまったく掛からないわけですから、やってゆけるのかも?とも思います。どちらにせよまだ実験段階で果敢に挑戦していらっしゃるんでしょうね。ライバルの少ないうちに先行した者が気がついたらとんでもないほどでかくなっている世界です。
マイクロソフトってなんだ?なんだと言ってるうちに今では世界経済のトップに立っているのですから、賢い人はどんどん挑戦しなくてはなりません。われわれが発行した松本薫さんの小説『TATARA』もネット書籍にしようかというお話も頂いています。本にするのには相当なコストがかかるのですが、WEB送信なら経費がかからずやっていけるのかな?でも今はまだなかなか売れないだろうな。なんて コンクリートのように頭の固い私は考えてしまうのでした。こんな私は間違いなく世界経済にはおいてゆかれますね(>_<。)HelpMe!!

えーーっと、なんのことでしたっけ。そうそうコラージの記事です。
ご覧になってください。前号と2月号は鳥取県特集です。!!!なんとすごいです。
たまのお休みのときなど、わが家でどこかドライブに行こうと話し合いますがいつも行き先が決まらずご破算になってしまいます。しかし、これほど近くに魅力的なところがあったとはおどろきです。それはコラージさんが魅力的に書いてくださっているのもありますが、それでも近くに住んでいながら知らないことも多いのでした。

『倉吉の紬』この記事を読んでなんだか懐かしくって私は放心状態になってしまいました。季節君は遠くの空を見上げて思い出します。そうそう、あれはもうずーーーと昔のこと。わたしがまだ鼻たれ小僧だったころ。母の里に行くと二階の屋根裏部屋といった感じの薄暗い部屋に機織機(はたおりき)が置いてありました。木組みの大きな仕掛けに糸が渡してあり、近づいただけでしかられました。おばあちゃんは私をなめるようにかわいがり、けしてしかることなどなかったのですが、このときだけは困ったように私を遠ざけました。おばあちゃんが織りかけの機織(はたおり)だったのでしょうね。今ではもうその屋敷もなく、もちろん機織もありません。大好きだったおばあちゃんも、もう居なくなっています。そんな忘れていた遠い思い出がよみがえってきました。おばあちゃんの部屋の横には馬屋があって牛が住んでいました。冬にはなぜか暖かい部屋でした。牛は子どもの私を見ると大きな声で『もオーーー』と叫びました。それが怖くて私は牛が大嫌いでした。牛がつけているツノだって大きかったです。だから怖くて嫌いでした。その頃は中学生くらいの子どもが牛を散歩に連れて行ったりしていました。今の世の中では子犬にひもをつけて散歩しますが、昔は牛にひもをつけて町中を散歩していたんですよ。しんじられます?

突然ですが 長くなるので次号に続きます

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きょうは日野町のスキー教室にでかけました。日野町スキー教室の校長先生という役柄です。もう30年ちかく続けていて私のライフワークになっています。しかし、だんだんと子供の数は減ってきてあと何年続けられるのかなって思っています。
私が子供のころには、大勢の子供が参加して1台のバスに乗り切れなったほどでした。そのころ町に在住のスキー指導員さんたちにお世話になってスキーを教えていただいたので、町への恩返しだと思って私もできる限り続けてゆこうと思っています。
さらに最近はスキーばかりでなくスノーボードをする子供もいて、指導者も両方そろえてかからねばなりません。わたしはずっとスキーばかりしてたのでスノーボードはクラブの後輩に練習せい!って押し付けてしまっています。けっこう若い人は喜んでスノボをしています。

今年は皆さんご存知のように厳しい冬になっています。スキー場はマイナス10度くらいになっていて子供も先生も大変でした。こんな寒いなかでのスキー教室は体力のない子供にあわせて無理をしないでって言うことになります。あまりの寒さに子供がかわいそうで時間短縮してスキー教室は無事終わりました。
帰りの日野町送迎バスのなかから外の大雪を眺めていたら、あらあら後輩の車が側溝に落ちています。バスを止めていただき、みんなで押し出してやりました。雪道に慣れているはずの連中も今回の大雪は勝手が違うようでした。
そして根雨に着くころ、子供たちは寝込んでしまっていました。寝顔がかわいくて私の子供たちもこんなときがあったなーって思いました。
どんどん子供が減ってゆく山間地をなんとかして守ってゆきたいと思ってあれやこれや活動を続けています。

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きょうは倉吉市で鳥取県の懇談会があり、私を管理してくれている事務方から あんたも出るようにと呼び出しがあったので私も出席してきました。
倉吉でも今年はずいぶん雪が多いです。腕のいい運転手さんを付けていただいているので大丈夫なのですが自分で運転したらかなり危ないでしょうね。はっきり言ってわたしは運転は下手です。
会場のホテルに着き2階に上がるとちらほら懐かしい顔があります。
むかし、私は鳥取県商工青年部連合会という組織で副会長をしていたことがあります。
そのとき、一緒に役員をしていた人たちが、数十年たった今では立派に成長してあちこちで要職についていました。昔を懐かしんで話し込んでいると烏取県知事もおいでになりました。
知事の最初のご挨拶を聞いていたら、たたらの取り組みをかなり評価していらっしゃる様子。大変ありがたく思いました。
後で聞いた話では鳥取県のメルマガでも取り上げていただけるようです。
そして小説TATARAが東京でも発売されるようです。東京の皆さーん。待っててくださいねー (#^.^#)
その後もわいわいがやがや。珍しいお料理を囲んでみんなでいろいろ情報交換しました。あまりに情報が多すぎて消化不良気味です。あとでゆっくりと情報分析をしなくてはなりません。

帰りの道は蒜山を通ったようですがマイナス5度くらいでした。私の運転ならたぶん、無事には帰ってこれなかったでしょうね(笑)。



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