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我が家のご先祖様の供養に舟場にある菩提寺に行きました。



そして、ご住職や当家親族の古老たちにお話を伺いました。


やはり小説にあるように舟場にはかなり大きなたたら場があり、実際にそこで暮らしていた人たちの鉄山墓もありました。旧道の大きな堰堤の上の山際、平らな場所がたたら場だったそうです。


またお寺のすぐそばを流れる小川からもカナクソ(たたら製鉄のときに出る不純物)が出るそうですので、そこにもたたら場があったようです。


ここは、舟場出身のご老人からも昔にたたらの遺構らしきものをみたことがあるとお手紙を頂いたことがありますので、時代によってたたら場はあちこちにあったようです。


当家は昔は舟場の庄屋をさせていただいていて、今の屋号の「元庄屋」というのもそこから来ているそうです。たたら場との出入りもあったようだと聞きました。そして明治の中ごろに『おりん』という女性がいたそうです。当家のお墓参りをしてみるとやはりありました。小説TATARAの主人公『おりんさん』と同じ時期、同じ名前です。



小説はあくまで小説。偶然の一致なんですけれど、ご先祖様が応援していてくれてるようで、よりいっそう小説TATARAが身近なものに感じられてしまいました。


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根雨の近藤家周辺はたたらで繁栄した昔の面影を残す貴重な町並みであるんだなこれが。ということで 鳥取県から生活百景のモデル地区としての指定を受けました。


今後この町並みを保存しながら活用しようと言う取り組みが始まります。たぶん。。。


昨年はこの準備委員会が2回開かれ「季節君も来なさい」と言われるままにこの委員会の末席に加えていただきました。


話し合われたのは、町並みだけではなくこの町で活躍しているさまざまな団体と一緒に町の保存と活性化に取り組むのはいかがでしょうというお話でした。


そこで今回、根雨の町でこの取り組みに興味のある方に集まっていただいての説明会が開かれました。


かんかんがくがくのお話が出ましたが、こういった話し合いがもたれるようになったこと自体が大きな前進だと思いました。


そして私に印象的だったのは、歴史研究家の方から、やはりこの町にはあちこちに見所があり、町外からおいでになった方はこの町並みで落ち着いた風情を発見し楽しんでいらっしゃるようだと言うこと。そして、春になったら町の探索の会を開きたいと思っているとのことでした。私もこの町で生まれ育ちながら知らないことや、当たり前だと思っていても実は当たり前ではないことなどを教えていただきたいと思います。


 


さて、この冬は準備不足のためお休みをした「たたらの楽校 根雨楽舎」ですが、いよいよ4月2日より開館することになりました。土曜、日曜、祝日の午前10時から午後4時までの開館です。このところ鳥取県や日野町といった行政も応援をしてくれています。島根県側ではたたらの遺跡を世界遺産にしようと盛り上がっています。多くの人が集まり今年はよりパワーアップして活動できそうですので皆さんお楽しみに。((o(^-^)o))わくわく


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地元日野町出身で成功した人に八谷さんがいます。


http://www.nnn.co.jp/tokusyu/kenjinkai/101016.html


この出版社の創業者です。専門誌を多く出している会社でその方面では有名、私も何冊か買っています。


この八谷さんの紹介で小説TATARAをお読みになった東京のコンサルタント会社社長さんがおいでになりました


小説がとても気に入り、この小説の舞台になったところはどんなところだろうかと興味を持たれ、わざわざおいでになったのでした。


わがたたら顕彰会のコーディネーターにして、こちらもコンサルタント会社社長のS氏がたたらの楽校を案内されます。私も仕事を早めに切り上げ、合流します。


な、な、なんと。。近藤ご本家の事務所でお茶を召し上がっておられました。近藤さんとSさん、私とでお話をします。この社長さんは日本中を歩いておられるようでとても見識が深く教えていただくことが多かったです。


金鉱山などではばくちをしたり荒れた生活をする人が多かったようですが、この鉄山ではそういったことが慎まれていたこと。長く栄えた銘家は慎み深いところが多かったこと。


商売は引き際が難しいことなど、他地域のことと照らし合わせながら学ぶことができました。


さらに近藤家の子供に対する教育で深い教えだなって思ったのは『贅沢はさせない。でも、不自由もさせない』という慎み深い生活だったことです。


これから我が家の家訓にしようかな。でも、我が家では真っ先に私が挫折してしまいそうです。ヾ(・・;)ォィォィ


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