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昨年までの事業で地域資源∞全国展開プロジェクトを行ってまいりました。
日野町日南町に眠る たたらの歴史の保存と資料調査、情報発信を行ってきました。

今年はそれを継承すべく伯耆国たたら顕彰会が発足いたしました。
まだ、立ち上がったばかりで事業計画などを作成中です。

たたらの楽校の運営や 松本薫さんに出筆いただいた長編小説 TATARA の出版などしなければならないことが沢山あります。
根雨祭りの前ですし、私個人的に仕事が手が離せない時期なんですけれどこちらも急いで準備しようと思っています。
この会では会員も募集中です。一緒に活動していただける方や、応援していただける方、たたらに興味のおありのかたは 日野町商工会までお知らせください。会費は年間1000円。会員の皆様への会報の郵送やイベント案内に使おうと思います。

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先日 日野郡のたたら製鉄の歴史を保存するための会合が開かれました。
その会員の中で たたら研究家の友人から頂いた『安綱の伝承』についてのメールを紹介いたします。

先日の会合、ありがとうございました。
そのとき、お話しました、「安綱墓」と言われる画像を送ります。

この墓は、日南町下阿毘縁(しもあびれ)の大原地内にあります。
知人から「大原安綱」の伝承があり、屋敷跡と墓があると聞き、
調査に出かけました。 

現地は山林になっていますが、屋敷があったとされる平地(ひらち)と、
その一角に安綱の墓(添付写真)とされるものがあります。
※墓はとても平安時代のものとは考え難いですが、伝承を残すため
後代の人が造り直した可能性はあります・・・。 

また、安綱屋敷跡のすぐ近くには、「山伏塚」と呼ばれることろがあります。
平安時代の山伏は技術集団であり、鉱山開発、医術、医薬、作刀技術など
その当時のハイテク集団であったようです。
現代まで続いている「刀匠月山(がっさん)」は、出羽(でわ)月山の山伏であったと、
聞いたことがあります。

頭領、「安綱」率いる「山伏集団(その家族)」が当時の大原に住んでいた可能性は、
大です。 業務を分担し、炭を焼くひと、地元の砂鉄から「印賀鋼」を造るひと、
食料を確保するひと・・・。 安綱が名刀を造り、できあがった刀を売り歩くひと、
あるいは注文をとるセールスマンもいたでしょう。

時代が下がるにつれ、作刀は山の中から町(マチ、今の都会)に移った・・・。 
しかし、材料の鋼は、まだ、山の中で小規模に造っていたでしょう。

平安末期に合戦が起こると、刀など武器の需要が高まり、製鉄規模も
次第に大きくなっていったでしょう。 刀など武器を造る集団と、原材料の
鋼・鉄を造る集団は、次第に分離されていったのでは・・・。 

今回は、ここまでです。

(参考として)
本には、安綱が活躍したとされるのは平安時代とあります。
初代は大同頃(806年)といわれ、同銘が数代が続いたとするのが、
正しいと思われます。
有名な「童子切」は、後代の安綱で平安時代の天元頃(980年)の作とする説を
個人的には信じています。

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先日、ある刀剣研究家のかたから聴いたお話です。
日本を代表する名刀 安綱 を作った大原安綱という人物についてです。
この大原安綱というのは 一人ではなく数人の作刀家集団であったそうです。つまり、初代安綱のほかに、そのお弟子さんや子供たちも安綱を名乗ったであろうということです。
さらに、童子切り安綱 には 印賀鋼が使われていた可能性が大変高いということ。
印賀鋼の産地に近い日南の大原地区には大原安綱作刀の地という伝承が残されていること。などから名刀は日南で打たれたという説があるそうです。さらに一族のお墓もあるそうですが、古くてそれを特定する根拠はないそうです。

奥日野地方には作刀の技術も多く残っており近年まで刀鍛治が刀を作っていたようです。
昭和のはじめには軍部からの要請に応じて数百本の刀が奥日野の刀鍛治によって打たれた記録があります。(幾人かのかたは現在もお元気でおいでです)

さらに刀を作る鉄についてですが、近藤家に伝承されている秘伝書などによると、純度の高い鋼に微妙に違う成分を混ぜることによって粘りを出して刃が欠けないようにしたりする技術も奥日野のたたら製鉄にはあったようです。

あながち奥日野の安綱伝説もないわけではないのかな?と思うのですがいかがでしょう。


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