カテゴリ:
今日は小説TATARAの出版を祝って、仲間内で会費制の打ち上げをしました。
この出版については最初はどれくらいの予算でどれくらいの赤字を覚悟すればいいのだろうと心配しましたが、内容がすばらしいのとスタッフの懸命な売り込みの甲斐があって赤字にならなくてすみそうです。
というか、在庫が少なくなってしまって出版から1週間ですでに書店から増版出版の問い合わせまで出ているようです。
新聞などの取り扱いも好意的です。これから各誌で書評があるそうですがすでに届いた原稿もかなり熱を入れて押していただいています。
いきおい打ち上げ会でも大盛り上がり。隣の人の話し声が聞こえないくらいです。
最後に著者の松本さんに謝辞をお願いしたのですがそこでも脱線。今回の小説を書くことになった経緯から話の内容、歴史的背景まで詳しくお話いただきました。最後には身振り手振りで熱演でした。
null
今回の小説の取材のために、根雨、舟場はもとより大阪や鳥取市にも飛んで取材旅行をされたらしいです。さすがに本物の小説家は違うなーと感心しきりの季節君でした。
このお話は11月23日に根雨の文化ホールで12月2日に米子の文化ホールでフォーラムとして一般の方もお聞きになることができます。


カテゴリ:
突然、伯耆の国たたら顕彰会の先輩から季節@突撃取材班に命令が下ったのであります。
指令は「 根雨出身の漫画家ヘンリー木山と言う人物について調査し報告せよ。なお、このことによって君の身にいかなる危険が及ぼうとも当局は一切関知しない。費用が発生しても一切払ってやらないからね」というものでした。いつも唐突にこの指令が出るのは困り物です。

はて????私はこのヘンリー木山と言う人物についてまったく知りません。近所のおじさんやお姉さん、うちに悪さをする野良猫や我が家の飼い犬のハッピーに聞いてもみんな知らないと言います。
null

そこで図書館にゆき調査を開始しました。この日野町図書館は非常に優秀で私の知らないことをいろいろ教えてくれます。書士のお嬢さんに聞いてみるとすぐに鍵を取り出し、いつもの一番奥のキャビネットに案内してくれました。そうです、ここは一般人立ち入り禁止区域。貴重な書物を置いてあるところなのです。禁断の危険なにおいがします。
そこで取り出された数冊の書物!私の苦手な横文字が並んでいました。ヘンリーと言う名前からしてこういう事態が発生するんじゃないかといやな予感がしていました。
null

横文字の本は横に置いておいて、彼の履歴を記した本を見てみます。
明治18年。根雨に旅館(油屋)の長男として生まれる
明治33年県立2中(米子東高)入学 画才を認められる
明治37年サンフランシスコに伯父を頼って渡米
大正3年サンフランシスコ美術学校人体教室首席
大正4年奨学金を受ける
大正5年ニューヨーク アーツ スチューデント リーグ 入選
大正9年サンフランシスコ美術展入選
大正11年帰国 東京美術展入選
大正13年渡米 サンフランシスコに美術研究所設立
大正6年漫画「4人書生」上程
昭和12年帰国

ヘンリー木山と言う人は明治のころにすでに渡米し絵画の勉強をした人です。たびたびアメリカや日本で受賞しています。しかし、彼を一番有名にしたのは以外にも漫画でした。
日本語と英語をバイリンガルで使いながら漫画にしたのは画期的だったと思います。
この漫画がのちにサンフランシスコで再出版されました。
日本でも再出版されています(インターネットで調べたら6500円くらいしました)
米子美術館や倉吉美術館でも展示されているようです。
日野町美術館では、、、、まず美術館を建てないといけませんね。意外と知られていない地元出身で世界で活躍した人がいるのでした

カテゴリ:
皆さんは山陰邪馬台国説というのをご存知でしょうか。
邪馬台国がどこにあったのかというのはいまだに謎なのですが、それだからこそ多くのストーリーが生まれ多くのロマンを語られています。
九州説、関西説などは多くの古墳が出たり鉄製品が出たりして古くから語られてきました。
しかしここに来て、今までまったく発掘をされてこなかった山陰で道路工事やゴルフ場開発などに、いろいろな発見が相次ぎ、山陰に何かあったのであろうというのが薄々わかってきました。
今では、鉄器や青銅器が大量に出るのは山陰ですし、弥生遺跡が大量に出るのも妻木晩田や青谷上寺地など山陰なのです。関西のように巨大な墳丘墓は出ませんが逆にそれより古い四隅突出型墳丘墓が大量に出るところなどむしろ古代の山陰の繁栄を感じさせます。
 ヤマタノオロチ伝説は製鉄の歴史だという人もいますが、古代の山陰でヤマタノオロチから出たとされる天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)がなぜ天皇家の三種の神器なのでしょうか。また古代神話がなぜ山陰に集中しているのでしょうか。大和民族はやはり山陰から広がっていったのかもしれません。

そんな古代山陰の不思議について勉強するために今日は妻木晩田遺跡に行ってきました。
このところたたら顕彰会のお仕事で日曜もなく出歩いていたので罪滅ぼしの意味もあって妻を連れてのデートです。(とはいえ、やはりたたら顕彰会の下調べなのですが。)

妻木晩田は山陰道を降りてすぐわかりました。小高い岡の上に古代の建物が見えます。
弥生の里 むきばんだ(資料館)に行き、立体地図や説明ビデオを見ると内容がよくわかります。うちの資料館もこんなのができたらすごいのに、、、と思ってしまいましたがここは日本最大の弥生遺跡で国の史跡なのですから比べることはできません。
やはり展示物で興味を引かれるのは鉄製品です。この時代は朝鮮半島からの輸入鉄であったようです。
null

ようやく雨も上がってよい天気になったので外の遺跡も見てみました。これでもまだまだ発掘途中で全体像はわからないほど大きな集落のようです。今でもすでに1000件近い建物あとがあるとか。すごいぞ!妻木晩田!!
復元と発掘現場に行くとまるでタイムスリップしてしまったようです。すぐそばに弥生人がひょこっとウサギなんかを持って現れそうな感じです。
振り返ると!あっ!弥生人が。。。妻でした。これを言うとぶっ叩かれて私は亡き者にされそうですので内緒にしておいてください。

null
遺跡から降りる道すがらも多くの人とすれ違い、その人気ぶりを感じました。
ガイドしていただいたボランティアのおじさん。ありがとうございました。

このページのトップヘ

見出し画像
×