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会議が終了して帰る道。鳥取県教育委員会からおいでの方が本陣の門あたりをうろうろしておいでです。ここぞとばかりに私が本陣の門についての薀蓄を語っていますと、、、なんか違うみたい?
お役人の方はその隣の祠(ほこら)を見ておいでです。
それは??と思っているとさらに奥の倉庫を熱心に見ておられます。
わたしなんか????はてなマークの大行進です。どうしたんでしょ。
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すると、「ここをご覧なさい。ふつうの飾りと違うでしょ?象の彫り物なんかがあるし。」
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そう、なんでこんなところにこんな彫刻があるんでしょう?まるで天竺の飾りみたいじゃありませんか。

そうなんです。
じつはこの倉庫はその昔、根雨神社の本社(ほんやしろ)だったのです。
そして、現在の社に建て替えられるとき、解体してここに移築したのだそうです。
「おそらく、鳥取県内で現存する最も古いくらいのおやしろであろうと思っています」。とのことでした。また詳しい資料をお送りしますとのことでした。(後日の資料で、おおちだに稲荷についで2番目に古いことがわかりました)
ひえ~、そ、そんなにすごいものが勝手に建っていていいのか。さっそく地元の皆さんにお知らせしなくては、とおもう季節君@突撃取材班でした。
それにしても、さすが鳥取県教育委員会歴史遺産室長!どうか私を弟子にしてください m(__)m

この方に突撃取材すれば、いろんな面白いお話が出てきそうですね。

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本日午後2時から4時まで、伯耆の国のたたら製鉄にかかる意見交換会を たたらの楽校根雨で開きました。
おいでいただいた方は地元の会議としては豪華です。日野町、日南町の町長さんや教育長さん、地元選出の県会議員さん、鳥取県教育委員会のかた、鳥取県日野総合事務所の所長さんや日野県民局長さん、たたらの歴史研究家の先生など、私が今までに出席したことのないほど立派なかたにお声かけをさせていただきました。

そしてこれからたたらの資料や遺構などををどう保存と利用してゆきましょうかというお話をしました。2時間じっくり皆さんのお話を伺いました。
ひとつには地元でこういう活動が始まりましたということを正確にご理解いただきたかったということ。そしてみなさんのお気持ち、お考えを伺いながらわれわれの活動のヒントを探そうというものでした。そして私個人的にはちょっと疲れかけている私のモチベーションをもう一度高めておきたい気持ちもありました。

いろいろ、うかがいながらヒントになるものが多くありました。ここではもったいなくて書けません(笑)。
まだまだクリアーしなければならない問題もありますし。
とりあえず、根雨樂舎の庭そうじをしてお庭を皆さんに見ていただけるようにします。根雨の町を散策においでになる方に休憩場所としてお庭を提供できるようにしようと思っています。これで根雨の町には休憩できるところがないとか、トイレがないとか言うお話をクリアーできます。しかし、あの大きな手水鉢(ちょうずばちと読む)はちょっと一人では動かせませんな~。皆さん手伝ってくださいね。
そうそう、タペストリーも作りたいのです。なかなか実現しませんが、いつか、きっと、開館時がよくわかるように、楽舎の存在が町の人にもよくわかるようにタペストリーを作りたいんですけれどね。

そして会議が終わって根雨の町を愛車(じてんしゃと読む)で走っているときにすごいものを発見しました!発見したというより教えていただいたというほうが正解です。根雨の町でこの歴史的事実を知ってる人は。。。。いないかも?
このお話はまたこんど。

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このところ取材がおおいです。
たたらのお話ばかりではなく、地震10年のお話も多いのです。
今日は朝日新聞のかたがおいでになりました。
もちろん地震のお話です。
なぜか口の軽い季節君のところにお話がきます。ああ、、口が軽いから来るのか(笑)

鳥取県西部地震で特徴的だったのが、住宅再建のための支援を行政が行ったということです。これは画期的であった半面、個人の財産である住宅の再建に行政が支援を行った効果がどうかということです。このために日野町は財政難となっています。
モンダイなのは、中山間地で人口の流出に歯止めをかけるために住宅再建を支援した、その効果があったかどうかです。
何のたくわえもなく突然家を失った人は途方に暮れたでしょう。住むところをなくした人はまちがいなく親戚をたよって、子どもを頼って出て行かれただろうと思います。阪神淡路震災のときはそういう人が多かったそうです。今になって住民票に残っている100歳を超えるお年寄りの所在がわからなくなっている原因のひとつに、地震後の移動を把握できていないことがあるとか。少なくとも日野町では住処を追われての移動はなかったと思います。
また、自宅再建の支援を頂いても限度額があり、それだけで家が修復できるものではありません。自宅再建のためにはさらに数百万円の自己負担が必要です。そのための支出をするときに住民はこの地で生きることの覚悟を決めたのです。当事はその覚悟を決める呼び水になったのは間違いなく支援制度でした。
地震後も残念ながら人口減少は続いています。それは自然減だと見るのが大方の見方です。地震の影響がなかったとしても人口減少は起こっていたでしょう。ということで、私は個人的に日野町の住宅再建支援制度は効果があったと支持します。

がらにもなく、ちょっとお話が重くなっちゃったですね。
こういう難しいお話は専門家の方にお任せして、今後の日野町をどうするかというお話が私には大事なのでした。ですから朝日新聞のお話を聞いてくださった方にも、これからの日野をにぎやかにするために、たたら顕彰会を作りました。楽舎においでください。もれなく30分のオモシロ解説付きです。ついでにTATARAという本もできましたからよろしくお願いしますと宣伝しておきました。一生懸命アピールしたつもりです。
西部地震よりたたらの楽校を取材してくれないかな。。。そのほうがずっと面白いんだけれどな!と思う季節君でした。

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