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日野町根雨の町外れに日野川に架かる橋があります。
その橋を舟場橋といい、対岸の集落を舟場といいます。
なぜ舟場というかというと、ここに船着き場があったからです。
昔の日野川は水量も豊富で渡し舟や上流、下流への貨物運搬用の舟もあったようです。
この渡し舟によって松江藩は参勤交代をしたわけで、橋の袂に当時のイメージでブロンズ像が建っています。この橋を架け替えるとき、若き日の私も参加して作戦会議が開かれました。結果は、根雨の歴史的イメージを残し、後のメンテが要らないものということでこのようになりました。
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今思えば、この橋を作るときでも、リバーサイドひのを建てる時もなぜか私は委員になっていました。しかし、おばかな提案ばかりしていたようでまったく採用されませんでした。しかし今もいろいろなところで委員になっているところを見ると、まだ世の中の人には見捨てられていないようです。なぜなんだろ?とめずらしく神妙に考えてみたりもします。
ま、考えてもわからないことの多い世の中です(笑)
わたしのようなおばかな人間はさておき、どうか優秀な人、日野郡の活性化のために力をお貸しください。
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そして看板もこのようにしっかり立ています。

日野川の利用には他にも舟が行き交っていました。根雨→米子。あるいは日南→根雨便です。
このお話はまた今度。。。。

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今年の夏は暑いです。暴力的な暑さです。こんな暑い日は早めに仕事を終えて冷たく冷えたビールでも飲んで、、涼みたいものです。
また、日野郡は鮎つりの名所です。私などは夕方 ちょっと日野川に行き鮎つりで涼んだりします。

話は変わりますが、先日、この猛暑を収めるために雨乞いでもしようかというお話がありました。
聞くところによると根雨は、雨乞いの本場らしいのです。雨乞いに本場もメッカもあるものか、、という気がしましたが調べてみました。

日野町誌によると、、
元明天皇の御代、国内旱魃(かんばつと読むのね)のため五穀の苗が全部枯れてしまい国民が困り果てていたとき、この神社に(根雨神社のこと)雨を祈ったところ、たちまち神感があってこの里から甘露のような雨が降り始めて国土が潤い五穀の苗も青々と茂り、やがてよく実って国内が豊穣となった。このとき雨が草木の根を潤したというので、根潤う から転じて根雨という地名が生まれた
となっています。
へ~~根雨ってすごいのね。国土を潤してしまうのね。と感心しました。

しかし、、、ここ2日ほど夕立です。
毎年、この時期には日暮れ前に夕立が振ります。夕立3日というそうで、しばらく夕立が続きそうです。
仕事帰りに、ちょっと鮎つりにでも、と思い舟場橋の上から日野川をのぞいてみるんですが、増水してしばらく鮎釣りに行けそうもありません。

そうそう、舟場橋のたもとには舟場の名の由来を記した碑があります。根雨の名の由来のあとは、舟場の名の由来でもと思います。
そのお話はまたこんど。。。。

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根雨の高台にそびえる公会堂。これは近藤家から根雨の人々に送られたクリスマス?プレゼントだったってことは前回お話しました。
その公会堂の前庭でこんなものを見つけました。
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となりに説明看板があります。
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この石は、和鉄の製鉄工場であった たたら場の跡地から出たものです。高殿と呼ばれる工場の建物の炉の地下構造にあったものです。
炉は高温で火をたき続けるため、地下に水分があると温度が上がらず、また地下の水分が熱せられると水蒸気が噴出したりするので、地下に水分が入らないよう工夫されています
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(たたらの楽校 根雨楽舎に展示してある炉の地下構造解析図。近藤家所有)
その頃の詳しいたたら場の様子、庶民の暮らしなどは根雨のたたらの楽校に展示してあります。面白い30分の無料解説付きで土日オープンしていますからおいでください。

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