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私たち伯耆国たたら顕彰会がこうして活動を始めて2年目です。


たたら資料館の運営やイベントの開催、ガイドの養成、出版物の発行、情報発信などを行い伯耆の国の貴重な歴史であるたたら製鉄の歴史を守ってゆこうと活動しています。


 しかしながら民間組織の悲しいところでございまして、資金難から運営が難しくなっております。というか、最初っから難しかったんですけれどね (笑)。


多くの皆様に顕彰会の出版物の購入や会費の負担をしていただきいままでやってこれたことを感謝いたします。


そして先日の公文書館巡回講座でも新たに会員になっていただいた方が数名、出版物も数冊販売することができました。


今後も四苦八苦しながらですがやっていきますので、応援をよろしくお願いいたします。


会員になっていただける方、昨年は会員だったけれど今年はまだ会費を払ってないよとおっしゃる方、日野町商工会内に伯耆国たたら顕彰会事務局(電話 0859-72-0249)を設置しておりますので連絡をお願いいたします。またたたらの楽校でも受付をしております。


ちなみに個人会費様は1口1000円以上でございます。法人会員様は1口5000円以上でございます。


よろしくお願いいたします。


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2日目は朝10時から開演されます。それまでに根雨の町を散策された先生方は側溝に大きなハンザキ(オオサンショウウオ)や尺山女魚がいるのにびっくりしておられました。


側溝に錦鯉がいるのはよく観光地で見られますが、ハンザキや山女魚が泳いでいたほうが意外性がありおもしろいのかもしれません。見栄えはしませんが。。。 


10時からの講演はやはりほぼ満席。葛西先生の花崗岩の出来方や、それが風化してまさ土になること。マサを流して砂鉄をとることをかんな流しということ。マサ土の中から砂鉄を採るわけですが結果的にはマサ土の中には0.5%程度の鉄の含有量しかない計算になり効率が悪いこと。


さらに地主との鉄山林(樹木)の売買や、砂鉄採取時の地主とかんな師の取り分比率の解説。大地主になりこの原材料費を抑えることができた近藤家が結果的に永らえたことなどをお話いただきました。


さらに地元の方のフィールドワークの報告を頂き2日目は無事終了。2日間で述べ100人を超える方がおいでになりました。


 


やれやれと根雨楽舎に帰って、昨日の戦いの片づけをしていると、お客様がおいでになりました。


はい!いらっしゃいま、、、、せ~~」 (@_@;) いきなり空気が緊張します。公文書館の研究員さんと岡山の著名な先生のご来館でありました。この先生が都合山や砺波の研究書(後半の資料部分)を出筆されたご本人であります。あわてて近藤家さんに電話したところ、近藤さんもご講演いただいた葛西先生と接客中だとのこと。せっかくのチャンスだから何とかK先生と有意義な話をしようと思うたび頓珍漢な話ばっかりする季節君。。この夢のような時間を無駄にする大ばか者の季節君でありました。 Il||li _| ̄|○ il||li


その後、近藤さんや葛西先生もおいでになり、顕彰会の事務局や副会長もおいでになりいろいろと情報交換をさせていただきました。今回は、山形、東京、岡山、島根などで研究をしておられる普段はとても私たちはお会いできない著名な先生方とお話させていただき大変ありがたかったです。


こんどお会いするときは ばーべQの席を準備して名産の鮎を食べていただきたいと思いましたね。


 


貴重な場を作ってくれた伊藤先生、ありがとう。そして皆さんお疲れ様でした


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9月10日11日の両日、日野町山村開発センターで第5回鳥取県立公文書館の巡回講座が開かれました。わたしたち伯耆国たたら顕彰会も後援団体として協力させていただきました。これにはいろいろいきさつがありまして。。。公文書館の統括専門員は私の古い友人でありまして頼まれると断ることが出来ないと申しましょうか、、、弱みを握られているわけではないのですが、まぁ、協力しましょうということになってしまいました。


ほんとは今回の講座の内容がたたら関連の講座 ましてや近藤家の古文書(こもんじょと読む)なのでわれわれも勉強させていただこうというスケベ心でございます。


10日のお昼前に根雨楽舎に行き、備品を持って開発センターに入りました。すでに机を出したりいすを並べたりと着々と準備が進んでいます。


最初60席ほど用意したのですが、おいでになるお客様が予想外に多いので少しずつ椅子席を増やしてゆきました。結局60人を超える方がおいでになり、席はおっぱい  いや いっぱい(おやじギャグですいません)、熱気でクーラーの利きが悪いくらいでした。内容は近藤家の古文書の説明。古文書と言うものは状態が良いうちに保存しておかないと朽ちてしまってからでは取り返しがつかないよというお話に始まって、県内各地に残るたたらの文書の解説。近藤家文書の分類などで初日は終わりました。


そして根雨の町歴史散策。1時間かけてゆっくりガイドのお話に耳を傾けながら出雲街道根雨宿の歴史を聞き、さらにたたらの楽舎の資料を見学します。根雨の町は出雲街道の歴史が色濃く残っていることなどを改めて知りました。この歴史ガイドは今静かなブームを呼んでいまして先週も別の団体がおいでになりましたし、この秋にはツアーも何回か企画されています。(そのお話は後日改めて)


その後、根雨楽舎に移動してせっかくおいでになった先生方と懇親会を設けました。


雑談だからこそ出来る苦労話や裏話ってありますものね。


鋼(はがね)は文書の中では明治5年から作られていることになっています。と言うおはなし。ハガネは平安の昔から作られていたと聞いていたので、これにはびっくりしましたが、実はそれまではいろいろ違う呼び方がされていて、伯耆地方でハガネと呼ぶようになったのは明治になってからのようです。島根県ではもう少しだけ時期が下がるようです。それまでの近藤家では折地と呼んでいたのかな?という感じでありました(まだ研究中なのでこれは後日詳しく顕彰が必要です)。


そんなこんなで盛り上がっているうちにいつのまにか夜はふけてゆき2日目を迎えます。  つづく


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