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今日は私の誕生日なのですが、午前中には会議でした。
先日発足したばかりの『伯耆国たたら顕彰会』の運営会議です。
皆さん立派なかたばかりで、すばらしいご意見が沢山でました。
ここには書ききれないほどの内容ですが、とりあえずは会の発足を広報すること。
TATARAの本を出版することを当面の活動方向とします。

そして午前中一杯の会議を終え、午後に たたらの楽校に出かけてみました。
近藤御本家がおいででしたのでいろいろお話を伺いました。
近藤家に保存してある根雨の町の昔の録画 昭和3年頃のを見せていただいたり、昭和45年頃の録画には私の家も映っていました。

そして帰り際に『うちによって行く?』といっていただき、近藤御本家に入れていただきました。
梁には大人でも抱えきれないであろう大きな木が何本も渡してありすごいなーって見上げていました。
廊下をあちこち移動して迷子になりかけた頃、お庭に出ました。映画で見たそのまんまのお庭でした。昔の近藤家のすごさを改めて知る思いでした。なんか今日はとても充実した1日でした。
めでたしめでたし。

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昨年までの事業で地域資源∞全国展開プロジェクトを行ってまいりました。
日野町日南町に眠る たたらの歴史の保存と資料調査、情報発信を行ってきました。

今年はそれを継承すべく伯耆国たたら顕彰会が発足いたしました。
まだ、立ち上がったばかりで事業計画などを作成中です。

たたらの楽校の運営や 松本薫さんに出筆いただいた長編小説 TATARA の出版などしなければならないことが沢山あります。
根雨祭りの前ですし、私個人的に仕事が手が離せない時期なんですけれどこちらも急いで準備しようと思っています。
この会では会員も募集中です。一緒に活動していただける方や、応援していただける方、たたらに興味のおありのかたは 日野町商工会までお知らせください。会費は年間1000円。会員の皆様への会報の郵送やイベント案内に使おうと思います。

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先日 日野郡のたたら製鉄の歴史を保存するための会合が開かれました。
その会員の中で たたら研究家の友人から頂いた『安綱の伝承』についてのメールを紹介いたします。

先日の会合、ありがとうございました。
そのとき、お話しました、「安綱墓」と言われる画像を送ります。

この墓は、日南町下阿毘縁(しもあびれ)の大原地内にあります。
知人から「大原安綱」の伝承があり、屋敷跡と墓があると聞き、
調査に出かけました。 

現地は山林になっていますが、屋敷があったとされる平地(ひらち)と、
その一角に安綱の墓(添付写真)とされるものがあります。
※墓はとても平安時代のものとは考え難いですが、伝承を残すため
後代の人が造り直した可能性はあります・・・。 

また、安綱屋敷跡のすぐ近くには、「山伏塚」と呼ばれることろがあります。
平安時代の山伏は技術集団であり、鉱山開発、医術、医薬、作刀技術など
その当時のハイテク集団であったようです。
現代まで続いている「刀匠月山(がっさん)」は、出羽(でわ)月山の山伏であったと、
聞いたことがあります。

頭領、「安綱」率いる「山伏集団(その家族)」が当時の大原に住んでいた可能性は、
大です。 業務を分担し、炭を焼くひと、地元の砂鉄から「印賀鋼」を造るひと、
食料を確保するひと・・・。 安綱が名刀を造り、できあがった刀を売り歩くひと、
あるいは注文をとるセールスマンもいたでしょう。

時代が下がるにつれ、作刀は山の中から町(マチ、今の都会)に移った・・・。 
しかし、材料の鋼は、まだ、山の中で小規模に造っていたでしょう。

平安末期に合戦が起こると、刀など武器の需要が高まり、製鉄規模も
次第に大きくなっていったでしょう。 刀など武器を造る集団と、原材料の
鋼・鉄を造る集団は、次第に分離されていったのでは・・・。 

今回は、ここまでです。

(参考として)
本には、安綱が活躍したとされるのは平安時代とあります。
初代は大同頃(806年)といわれ、同銘が数代が続いたとするのが、
正しいと思われます。
有名な「童子切」は、後代の安綱で平安時代の天元頃(980年)の作とする説を
個人的には信じています。

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