カテゴリ:
小豆島の田浦に行きました。
賢明な皆さんはお分かりだと思いますが、坪井栄の小説『二十四の瞳』の舞台になった岬の分教場があったところです。
ここに私が描く町おこしのモデルがあるのです。
戦前は小さな小さな今にも消えてしまいそうな?(ごめんなさい)漁村のあったところで、子どもが少なく分教場しかなかったところなのですが、坪井栄の1つの小説が村を変えました。
いまでは、資料館や土産物屋さんが沢山並んで、交通渋滞をおこしていました。
そうなのです。文学というのはこれだけの影響力が有るのです。
時間を超え空間を超えその影響は日本中、そして現代まで多くの人を集めているのです。

上手だと思ったのは、映画に使われたセットを壊さず上手に観光施設に作り変えていることでした。さらに、セットを土産物屋にしたり池に鯛を飼っていたり、長屋風のソフトクリーム屋さんの前には長蛇の列ができていました。
これなら経済効果も十分、費用対効果も抜群。地元の人の働く場も提供しています。
しかし、どこでもできることではありません。
坪井栄の小説(二十四の瞳)があったからなのです。

null

さらに、境港の鬼太郎ロードのように、そのストーリーを大事に醸造する地元の人の時間をかけたたゆまぬ努力も必要です。
今回の視察を通していろいろ考えさせられるとともに、やっぱり私たちが日野谷の歴史を小説化した『TATARA』に大ヒットして欲しいと思う季節君でした。すくなことも、ミニ田浦ぐらいにはできるのに。。。。みなさん、ぜひ『TATARA』を読んでくださいね。図書館でもいいし、本屋さんでの立ち読み、、、はできないように長編小説になっています。
米子今井書店系列で販売しています。また、私たちの事務所に連絡していただけたら、お送りいたします。詳細は↓ここをクリック!!

『TATRAのご案内』
映画になったら田中祐子さん、主演してください。お願いします。

カテゴリ:
小説TATARAの出版事業は予想以上に順調に進んでいます。
今日は小説の舞台になった舟場山たたら跡を探しに行きました。
車で山道を走っているとととととt? 何かいます。ヤマンバ!!違います、3つに分かれました。いのししです。私の車の横をすり抜け山道を下って行きました。こんなのはじめてです。熊でなくてよかったです。いきなり珍しいものを見ることが出来てテンションがあがります。
null

で、山頂近くから本線を外れて小道に入ってゆきます。私の車は黒なので草が茂っている細道は車に傷がつきそうで心配です。ゆっくり進んでゆくとところどころで秋の紅葉がきれいです。
そして、先輩に教えられたとおり大きな石組みの杉林に出ました。これから山道をずんずん進んでゆくと石垣が延々と続いています。このあたりいったいが山内と呼ばれるたたら製鉄の工業地帯だったのでしょうね。小川もあちこちにあり水も豊富だったようです。もし発掘したら炉の遺跡や建物の跡なんかも出るんでしょうね。
null

ちなみにこの舟場山が実際に操業していたのは1870年代だそうです。数百人の人がここで働いて長屋を建てて生活していたんでしょうね。多くの人々の声が聞こえてきそうです。小説を読んでからここにやってくると感慨がひとしおでした。

カテゴリ:
今日は小説TATARAの出版を祝って、仲間内で会費制の打ち上げをしました。
この出版については最初はどれくらいの予算でどれくらいの赤字を覚悟すればいいのだろうと心配しましたが、内容がすばらしいのとスタッフの懸命な売り込みの甲斐があって赤字にならなくてすみそうです。
というか、在庫が少なくなってしまって出版から1週間ですでに書店から増版出版の問い合わせまで出ているようです。
新聞などの取り扱いも好意的です。これから各誌で書評があるそうですがすでに届いた原稿もかなり熱を入れて押していただいています。
いきおい打ち上げ会でも大盛り上がり。隣の人の話し声が聞こえないくらいです。
最後に著者の松本さんに謝辞をお願いしたのですがそこでも脱線。今回の小説を書くことになった経緯から話の内容、歴史的背景まで詳しくお話いただきました。最後には身振り手振りで熱演でした。
null
今回の小説の取材のために、根雨、舟場はもとより大阪や鳥取市にも飛んで取材旅行をされたらしいです。さすがに本物の小説家は違うなーと感心しきりの季節君でした。
このお話は11月23日に根雨の文化ホールで12月2日に米子の文化ホールでフォーラムとして一般の方もお聞きになることができます。


このページのトップヘ

見出し画像
×