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延暦寺の入り口のこのような看板が立っています。
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看板に書いてあるように日野町には生田長江顕彰会があります

延暦寺と生田長江のつながりについて調査いたしました。
延暦寺十二世の世竺堂大典大和尚は漢学者であったため、生田長江さんはこのかたに漢学を学んだそうです。その場面は松本薫著のTATARAにも出てきます(近日発売、予約受付中)恩師 夏目漱石を酷評したため文壇から追われそうになったりしています。
それでも女性が作る文学雑誌 青鞜の名づけ親になったりしています。このことも松本薫著のTATARAに出てきます(宣伝ばっかしですいません)
どちらにしても郷土が生んだ、偉大な文学者ということには間違いありません。

延暦寺のお庭にはこのような石碑が建っています。
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季節君の石碑も誰か立ててくれないでしょうか (^.^) ムリムリ。


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延暦寺
根雨駅の向かいに延暦寺はあります。延暦寺も長谷部信連が、京の都を懐かしんで名前を付けたということは以前書きました。
今回、ブログに掲載するためにお寺から資料をいただいてきました。

やはり延暦寺の開基は長谷部信連となっており、宝仏山の御堂に安置されていた阿弥陀如来を持ってきて本尊にしたそうです。最初は根雨公会堂より東200メートルの今でも どうやしきあと と呼ばれている250㎡の広場に建てられていたようです。ここの写真を撮るためには山中に分け入らなければなりません。。。。。。。。。(-。-)フゥ
なかったことにしましょう。
ということで弱虫な季節君はあっさり写真撮影をあきらめました。

その頃は平家方の薬師寺と源氏方の大山寺が争っており、源氏の勢力が強くなった頃、薬師寺勢力の長楽寺(日野町榎)が焼き討ちにあっています。しかし、延暦寺は長谷部信連(源氏方)の庇護で守られたようです。
そして檀家さんの多くいる根雨の町の現在の場所にお寺が移されます。そして1763年と1875年に本堂は火事にあっています。当事は消防団もいなくて近所の火事から類焼が多かったようです。現在の消防団(私のことね)は火災時の類焼の防止は至上命令です。皆さんご安心ください!
現在の本堂は明治35年に建てられたようです。あと、庫裡は昭和40年代にも火事になっています

で、わたしも愛車(自転車)を根雨駅に置き延暦寺の参道を歩いて上ります。
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途中 戦没者慰霊碑がありました。こんな小さな町でも400名以上の方が亡くなっています。あらためて戦争の被害の大きさを痛感しました。 合掌

蝉時雨の中を、汗を拭き拭きお寺本堂へ。
じゃーーん!現在はこんなに立派に建っています。
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そしてあちこちに生田長江という文字が見られます。これは何かありそうです。このお話はまた続きます。

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札所(売店)のおねえさんの明るい健康的な笑顔に見送られててくてくと歩いて橋を渡ります。そして細道を歩いてゆくとその先にはこんな感じで鳥居があります。
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でっかくて派手な鳥居よりいいです。穴場的な感じでこれはご利益がありそうだなって思いました。

鳥居をくぐると、長い石段。これを登ってゆくとずんずんお金が溜まるのかな?
いけません。下心が見え見えです。
こんなんでは神様にお叱りを受けてしまいます。
心を清らかにするために、清水で手を洗い清めます。そして、、、
階段をお金持ちめがけて猛ダッシュー!!!ε=ε=ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛
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おやしろはこんな感じです。すごく沢山の絵馬が掛けられていました。多くの皆さんの願いをかなえるため神様も大変なんでしょうね。ですから、一般庶民である私は「大金持ちでなくていいです。〇〇くらいでよろしくお願いします。」と拝んできました。
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帰りには薄日も差して、お金を拾うこともなくかといってばちの当たることもなく一般庶民の私は はればれと帰路に付くことができました。めでたしめでたし。


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