カテゴリ:

根雨楽舎の店番をしています。今日は朝からバスによる視察が相次ぎ、とてもお客様の出入りが多く忙しいのでした。そして昼過ぎにちょっと暇になったと思ったらなにやらお外が騒がしい。ちょっとご年配の皆さんがおいでになりました。展示より資料館の建物を気にしておいでです。この資料館の建物は出店近藤と申しまして、当時のご本家が鳥取藩筆頭大庄屋として文字通り政治経済の中心となり多忙を極めたため、手狭になった近藤ご本家は大改造をされ、弟さんもお向かいに出店近藤というお屋敷を建てられました。明治元年のことです。そのお客様に「どちらのかたですか?」とお聞きすると、「出店近藤のものです」とおっしゃいました。えっ!!と季節君は驚きました。


まちがいなく「出店近藤です」とおっしゃいました。関西方面においでだと聞いてはいたのですが驚きでした。このたび父の法事で根雨に帰って参りましたとのことでした。いろいろお話を伺うと、幼少のころの思いではあるそうです。「このお屋敷は、奥行き100メートルくらいはあったとお聞きしてますが、、、」とお聞きすると「裏には離れがございまして、雪の日には中庭で雪に足をとられた記憶がございます」とのことです。その後、離れは日野病院に買い取られ、院長官舎になったそうです。いまはビルに建て替えられ日野病院の職員宿舎になってますね。いろいろお尋ねしたいことは山ほどありましたが、電車の時間が迫っていることもあり、ご連絡先をお聞きするのが精一杯でした。出店近藤のお屋敷はこうして今でも大事につかわれております。またお帰りの際は皆さま、お立ち寄りください。


カテゴリ:

雨音に気づいて遅く起きた朝は~♪♪ユーミンの歌ですね。


そんな感じで日曜の朝はゆっくりと目を覚ましました。


はっ!!そんなにのんびりもしていられません。今日は安来市から大勢のお客様がお見えになる日でした。車に飛び乗り、 ダッシュ!≡≡≡ヘ(*--)ノ 伯耆町福岡山までお迎えに行きます。そろそろかなって思ったところで島根県ナンバーの大型バスとすれ違いました。おっとー。Uターンしてバスの後ろにつけます。


ここ福岡山は近藤家が最新の工場として建設。大正8年まで和鉄を作った主力工場です。


明治初め、軍部から大砲の弾を作るために大量の注文が入ったため、玉はがねという語源になったとも言われています。そのころに軍部への和鉄納入のため奥出雲の御三家とともに安来に出荷組合「雲伯鉄鋼組合」を作りました。


そして戦争が終わり福岡山製鉄所もその使命を終わります。一度山陰低燐製鉄(出店近藤さんと酒近藤さんが買受人になり近藤家の子会社として錬鉄の加工をしていたようです)に売却された後、日産自動車の鮎川社長により安来市に運ばれました。技術者も資本も機械も安来市に移ったらしいです。そして安来市の日立金属の山手工場というところで創業しました。これが安来ハガネになります。


そういったご縁で安来市の皆さんがおいでになったのでした。


雨の中、島根県の角田先生の説明により福岡山を見て回りますが、残念ながら現在は農地となり地形と金屋子神社に面影が残るのみで、製鉄所の遺跡とは呼べない現状でした。


交通の便がよいところ、民家があるところのたたら場は農地や宅地として造成されるため遺跡として残ることはないのでした。


そして根雨楽舎に行き、皆さんに解説をいたしましたが、皆さん流石に鋭い質問をされるためたじたじでした。私自身今回の安来市の皆さんの訪問によって文字通り付け焼刃ながら勉強させていただき、自分もちょっと賢くなりました。


カテゴリ:

いま、2年前に出された全国展開∞プロジェクトの報告書を読んでいます。


日野町、日南町の製鉄遺跡調査報告書のあとに影山先生ほかの皆さんが書かれた日野郡のたたらに関する研究資料、角田先生の都合山、砥波の調査報告書と続き、パネルディスカッションの内容報告が書かれています。


この資料ってすばらしいですね。226ページもあって私なんかにはかなり大変なボリュームなんですが、何度も読み返しながら新しい発見があります。


ちなみに、残念ながらこの本は内部向けの報告書ですし、今現在もう残りはありません。


 


パネルディスカッションのページでは、今後の奥日野の活性化策にもお話が及びます。


根雨の町は、町並みがいい雰囲気だし近藤家もある、たたらと近藤家、根雨の町並みを3点セットで売り出せばいいと書いてあります。


ほんとに先見の明があります。


今根雨の町はこの3点セットで売り出し中です。


今日もこの3点セットを見に多くの方がおいでになりました。


あすもさらに多くの方がおいでになる予定です。


 


こういった残された文書を見ると、今までにあまりに多くの方に助言、助力いただいたと感謝に耐えません。


皆さんに感謝しながらまだまだがんばりますからね。


来年は日南町の活性化をたくらんで下ごしらえを始めています。


どこまでできるか。。。。皆さん楽しみにしていてくださいね。


このページのトップヘ

見出し画像
×