大原安綱

大原安綱はご存知、日本刀の刀鍛冶としてはトップスターだと思います。

今、先輩に勧められて平清盛をお勉強中ですが、童子切ではなく鬼切のほうが出てきます。源氏の宝刀で、友きりとか髭切とかニックネームがあったそうです。
鬼切のほうが古くからあったみたいで源氏ではこちらのほうを大事にしたみたい。

そして童子切については、太平記や源平盛衰記などに書かれていますが、書物によって素性が変わっています。
しかし、息子の真守の刀に、「伯耆国大原真守」と銘があるので安綱も伯耆の刀鍛冶なのは間違いないようです。
年代も大同年間から、源満仲時代の刀、源頼光時代の刀とさまざまな伝承があります。

あまりにややこしくて書ききれませんが、伯耆には大原鍛冶の伝説があちこちにあります。
(一部の鑑定本に島根県とありますが伯耆は鳥取県ですのでよろしくお願いします)

日南町には大原山に反りのある日本刀を初めて作った山伏伝説とお墓があります。
日野町大原には奥さんのお墓があります。
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伯耆町の大原には石碑があります(真守という伝説もあるようです)
米子市日下にも安綱伝説があります。
そして倉吉市にも大原伝説があり、このたびパンフレットになりました。
http://www.city.kurayoshi.lg.jp/gyousei/pressrelease/p908/a705/
伯耆が産んだスーパースターです。
1000年を超えてみんなで大事にしましょう。




金屋子神由来記

季節君は地元の文化財審議員もしているのでありますが、文化財審議委員会で面白い話を聞きました。

たたら最古のノウハウ本である鉄山必要記事を書いた江戸時代の鉄山師、下原重仲という人がいます。
下原は日野町に住む次男の森家で晩年を過ごしました。

鉄山必要記事は原本はないものの、写本が東大と筑波大学にあると聞いています。

ここからが肝心な地元に伝わるお話し~
下原が晩年を過ごした森家から、葛籠が発見され、中は古文書が多く入っていたそうです。
その中の一冊は「鉄山要口訳」と言い、日野町の金庫に眠っています。
実はそのほかにも見つかった文書があったらしいのです。

多くは、ネズミが齧っていたので、しかたねーな  (。ノ_・。) と廃棄したそうなのですが、(←もったいない ) 程度の良いものが残されていました。
それがこのほど明らかになったわけです。
森家のご厚意により日野町が管理しています。

絶対見せられないほど貴重なものなのですが、そこを何とかとお願いして、表紙の写真だけ撮らせていただきました。
これからは保存のため部外には公開せず、研究機関と相談して調査研究されるようです。
まずは1冊目
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不明のたたら場写真

たたらの楽校にお客様がありました。
ご先祖様が、たたら場のお支配人をしておいでだったとの家伝があります。

そしてアルバムを持ってきてくださいました。
ちょうど、当日がたたら顕彰会の会合だったこともあり、たたら顕彰会の研究スタッフに全員集合が掛かります。

加地先生が作られた手代の名簿一覧にいよりますと、このかたは呼子山の手代であった可能性があります。
しかし、写真は本当に呼子山鉄山なのか。
呼子山は工事により地形も変わっていますし、現存するものが少ないので確定できません。

そこで、資料をあさり、呼子山の地図を比べることにしました。
呼子山?


建物の陰になっていますが高殿の屋根が見えます。
大胴場の屋根も見えます。
手前のしっかりした建物が本小屋かな。
配置からすると、手前側から右に向かって山内集落かと思われます。

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山の位置関係からみると、こうなりそうですが、なんだか配置が違う感じもします。
呼子山の支配人ではないのかな。
ではどこ?
謎が深まります。

このほかにも最近、新しい資料がどんどん入ってきていて、どこまで公開できるのか悩ましいところです。

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