都合山たたらにベンチを作ろう!


昨年実施しようとしていたイベントですが、大雨で橋が流され、道が流され、スケジュールが流され……という大変な事態になりました。
そしてもう一度仕切り直しでございます。
皆さんご参加ください。
ベンチ作りイベント


開催日/3月23日(土)  雨天の場合は翌24日(日)
集合場所と時間/日野町上菅「小さな蔵美術館」
   
スケジュール
朝8時30分 上菅「小さな蔵美術館」前に集合
  都合山までウォーキング(約30分)
9時頃から作業開始~計10基の材料の運搬、
  組み立て、設置~11時30分頃まで
10基の内3基は、帰り道途中、街道に設置します。
12時過ぎから軽~く打ち上げ(参加費/300円)
14時頃終了~解散

(参加要領)
※山行きの服装で、できれば長靴着用、軍手持参でお願いします。
※その他の準備品などは不要、手ぶらでお越しください。
※打ち上げでアルコールをご所望の方は、電車をご利用いただくか、
 お仲間のクルマに相乗りでお越しください。

参加申込・問合せ/Tel/0859-72-1350  (奥日野ガイド倶楽部・佐々木)
またはメールですぎはらまで。  sugihara@chiikimirai.jp

つづいて池本先生のご講演。

池本先生は古文書を調査され、緻密にその資料を積み上げ、体系的にひとつのストーリーを浮かび上がらせるといったご講演がお上手だと思っています。

今回は、幕末の九州各地、鳥取藩や近藤家の文書から伯耆の技術者の移動、その果たした役割について解明されました。

まずは、薩摩。

島津斉彬が集成館を作り、反射炉を作り、偉業を成し遂げたのは有名です。

その薩摩藩から鳥取藩江戸屋敷に「鉄を作る技術者を貸してくれ」と書状が届きます。

「でも、薩摩で鉄が作れるようになったら、伯耆の鉄が売れなくなるじゃん」

とか、薩摩から奥日野の数名の技術者が名指しされたときには

「薩摩から密偵が入っているのではないか。ただちに調べよ!」

とか言った文書が発行されています。(季節君がいくら威張っても、これを調べられたのは池本先生です)

そして名指しされた技術者たちは

「わしゃ、歳だからよう行かん」

とか

「家族の生活費に200万円。俺の給料に800万。それに顎足代も欲しいな」

とか言った生々しい文書もあります。
こういったやり取りは、現在の私たちの生活と何ら変わるところがないのです。

最終的には、二人の技術者が薩摩に行き、みごと鋼を作れるようになったため、二振りの記念刀が作られたらしいです。そして二人は日野に帰ってきて、薩摩藩主からも、ごほうびに金1500疋(50万円くらいでしょうか)もらったとか。

 

さらに加賀藩、土佐藩にも伯耆の技術者が活躍した文書があるようです。

 ヤッルゥ!o(*><*)o

 

最後の講演者は、われらが伯耆国たたら顕彰会の事務局長。

現在558か所の遺跡を踏査しているとか、いないとか。

いや、いるんだけれどね。

 

今回はその中でも、根雨手嶋家(松田家)が操業していたと確認された遺跡について、20か所ほど案内していただきました。

中には季節君も一緒に探した遺跡もあります。

舟場投げ谷やひや谷たたら、川平山などは私も探しました。

ひや谷は舟場にあり「舟場山鉄山内代々精霊之墓」と書かれた石塔のあった場所です。

 

今回の講演はとても面白かったです。

そして最後に、

「それでは締めのご挨拶を季節君にお願いします」

と言われ、途端に引きつってしまいました。

ドキッ∑( ̄Д ̄ll)

じつは、今日のパンフレットにもそうご案内が掛かれていたそうなのですが、季節君はお弁当を食べることに専念していたため、自分の役目を見逃していたのでありました。

 

そんな事もありながらなんとか無事に終了した今回のフォーラムであります。

おいでになった皆様方。岡山の先生や島根の著名な先生、新見の庄からもおいででした。皆さんありがとうございます。


たたらフォーラム2019 虎の巻

たたらフォーラム2019

平成31年2月24日。平成最後のたたらフォーラムです。

今までは資料の多く残っている近藤家のたたらを中心にフォーラムを開催してきましたが、文化庁からのアドバイスもあって、これからは近藤家以外の鉄山師についても調べて行こうということになりました。

昨年は阿毘縁木下家について発表頂きましたので、今年はさらに先生方にご無理を申し上げ、近藤家と木下家以外の鉄山師という縛りにてフォーラム開始です。

 

その前にロビーでは、新しくできた装備類の展示。

米子でたたらを行った折に、わかりにくいとのご指摘を受け、グッズを開発しました。

現地で展示する看板やパネル。砂鉄投入用の助走路などです()
roby

 

お昼に講師の先生方がおいでになりました。

いつものように控室でお弁当を頂きながらの打ち合わせ開始。

ところが、控室は暖まっていないし、お弁当は冷えて固まっています。お茶を飲んだ季節君まで寒さで固まってしまいした。

先生方には寒い思いをさせてしまって大変申し訳ございませんでした。

<(_ _)>

 

フォーラム開会の後、こういった会でのお決まり通りに、まずは主催者あいさつ。そして地元日野町や鳥取県からのご挨拶がありました。

 president

さて講演です。

一番バッターはイチロー 伯耆国たたら顕彰会の会長が平成30年に行った事業の報告をなさいました。

そして坂本先生の「江戸期、鳥取藩の鉄山師たち」のご講演

坂本先生は鳥取藩の資料を誰よりもたくさん読みこんでおられます。

まずは大庄屋の変遷から見た奥日野の鉄山師。

奥日野は江戸時代には比較的珍しく、年貢を貨幣で納めています。それだけ鉄の流通を通して貨幣経済が浸透しているという事のようです。それを取り仕切る大庄屋は鉄山師なので。その変遷を見れば、時代ごとの成功している鉄山師を辿ることができるのです。

さらに掘り下げると、文化二年の文書には鉄山師17名の名が出ていますし、天保4年には22人の鉄山師の名前が出ます。

その鉄山師はどのように鉄を捌いていたのか、というのが今回の主要なテーマでした。

答え。~時代によって変遷している。

すごく細かい調査に驚きながらも聞き入っていました。

鉄を売りさばき、代金を融通し、中には倒産して鉄山を取り上げられたり、販売先も大阪から江戸に移り、地元での販売もあったり、鴻池が後ろ盾に成ったり、そんな中で大宮段塚が重要な役目を果たしたり……ここではとても書ききれないほど内容の濃いお話でした。
今回、こういった研究発表が出来たのは、大宮段塚家の文書が発見されたからです。
大宮は阿毘縁や山上の鉄を集積する立地であり、それを大宮段塚家が鉄問屋として境融通会所と同様の役を担って金融、運搬などを仕切っていたということがわかりました。
今更のように、こんなことがわかってくるのが奥日野の恐ろしい 素晴らしいところです。


あまりに集中しすぎて、普段使わない季節君の脳みそがけいれんしはじめました。

つづく……


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