令和のふいご祭り 2022

毎年恒例となりました、ミニたたらが今年も実施されました。

たたら場でかつて行われていたふいご祭り。
下原重仲の鉄山必要記事によると、ふいご祭りは大鍛冶でのみ行われていたそうです。
高殿でのたたらは、夏は暑すぎて非効率であったため、休む時期がありました。
しかし、大鍛冶は年中無休。そのため、大鍛冶で働く人たちを休ませる理由が必要であったようです。
大鍛冶に逃げ込んできた人をかくまったために、祭りをしたという古事にちなんで、秋のこの時期に毎年大鍛冶を休ませて、ふいご祭りを行ったようです。

私たちは年中休んでばかりいるのですが、今年も、日野町いきいきひのふれあい祭り に参加という形でふいご祭りをしました。
私たちの場合、休むのではなく逆にミニたたらをして働かされます。

早朝から炉の建設。高殿も簡易的なものになったのですがそれでも建てるのに労力が必要です。
いい歳こいた爺どもが、腰を曲げて あーだこーだ と文句を言いながら、重い荷物を運ぶのでした。
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そして9時に初種。町長さんが砂鉄を投入して操業が始まりました。

こうなると、季節君たちはもうすることがありません。ムラゲさんやお弟子さんたちの活躍を信じて待つことになります。

砂鉄投入体験で多くのかたが砂鉄を入れてくれました。みんなの力の結集で鉄は出来上がるのです。

なぜか今年は若いお嬢さんが多かったように思います。
ローカルTVの「あやカメラ」で人気のあの人も参加してくれました。
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季節君は途中、古文書整理ボランティアに参加していたので、正確なところはわかりませんが、15Kgの砂鉄を投入して、50%に近い鉄が出来上がったそうです。
今年は晴天に恵まれて、よいふいご祭りができました。

日南町印賀 下鑪の古地図発見

日野町の古文書整理ボランティアに参加していました。
最近はコロナの影響で、会が流れることが多いのですが、9月の定例会は無事開催されました。
いたってまじめな会なのですが、時々面白い文書が見つかることがあるので楽しいです。

さて今回は、大宮の古地図が見つかったという話。
日野郡日南町大宮地区はたたらが盛んだったところで、遺跡も多くあります。

もったいぶらずに公開してしまいます。
上菅しもたたら2



大正の初めの地図です。
ここには現在はダムができているのでちょっと感覚が違います。
この左端に下鑪という文字があるのがわかりますか?

聞いたことがありません。
わが伯耆国たたら顕彰会のホープ(かなり歳取ったホープですが)藤原氏の調査報告書600の遺跡の中にも下鑪というのはありません。
面白くなってきました。

で、グーグルの地図で調べたら、あっという間にわかりました。
世の中便利になりました。
「菅沢から印賀に向かって、大きなカーブを曲がって、小さなカーブを曲がったところ」
グーグル地図では吉鑪と書かれています。
まさにそこが下鑪だったのです。
この地図の作成年は大正初め。まさに吉鑪操業の真っ最中です。
間違っているはずがありません。

すると現在われわれが呼んでいる吉鑪の名称のほうが間違っていることになります。
間違っているというか、地名が変わったというか。
下鑪という旧名称を知っているか地元の人に確かめてみようと思います。

ただ、現在われわれが吉鑪といっているのは、川の対岸のようなのですがどうなっているのでしょうか?
川替えが行われたのかもしれません。
ますますおもしろい!

谷中山遺跡が文化財指定へ

先日の角田先生出版記念講演会で、日南町教育長がご挨拶されました。
その中に、谷中山を遺跡指定するけんね!というお話がありました。

天下のNHKでも「谷中山遺跡が日南町指定史跡に指定される」と発表がありました。
いよいよです。

谷中山といえば、近藤家がたたたらを始めたとき最初に取り組んだたたら場です(1779)。
そして最後に操業を止め、たたらの灯を消したのもこの地でした(1921)。
すごく保存状態がいいので、私たちもその遺跡を大切に思っていました。
私たちが伯耆国たたら顕彰会を設立したころ、谷中山を見学に行きました。
さわさわと渓流が流れる中、林は紅葉して散歩に絶好のコースです。
渓流を挟んで対岸に立派な石垣が見えます。
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小川を渡ると(その間に、長靴に水が入ること2回)立木が一本。
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これは水車の柱が残っているのでした。
そばには石組みの水路があり、再結合滓を使った橋があります。
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高殿があったところには、大きなクリの木の柱が横たわっていました。
前年はまだ立っていたそうですが、雪の重みで倒れたらしいです。
砂鉄洗い場は石垣に囲われて、当時のまま綺麗に残っています。
(森の中なのでいい写真がとれていません)
ため息が出るほど立派な遺跡だなって感心しました。
このたたら場は、絵図も残っています。
naitouharumi syozou

この遺跡が史跡に指定され後世まで残されることを大変うれしく思いました。

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