この時期は毎年恒例のたたら通信の追い込みです。
私も編集長から記事の依頼を受け、パソコンに向かっています。
フォーラムの説明をせよとの指令で、2016と2017年の2回分を合わせて書いています。
1500字を目安に、2回分書いています。

今年のたたら顕彰会総会が6月にあるのでそれまでに間に合わせようと思っています。

私はほぼ書き終わったので、ほかの担当者の皆さんも頑張って書いてくださいね。

そしていよいよ、パネルディスカッション。

一問一答で
先生方のご意見も伺いながら、調整した大まかな進行に合わせてことが進みます。

時間も気にしながら、内容も把握しながら、矛盾のないように。。。。

 

棚田のこと。=自然にできたのではなく、鉄穴流しの技術を利用して意図的に棚田を作ったらしいこと。


たたら場で使われる砂鉄にもいろいろ種類があり、産地によって10種類以上の砂鉄を村下が使い分けたこと。

落盤事故のこと。

土砂を流すことにより川床は上昇しましたが皮肉にもそれによって出雲平野、米子平野、安来平野、弓ヶ浜など平野が形成拡大しました。

斐伊川では川違えで平野を造成したこと

下流被害とたたら産業振興との間で揺れる行政の対応。


砂鉄の買い上げ方法=地域によって価格が決まっていたり、洗い方によって価格が変わったりしたようです。


聞きたいことが多くて話は尽きません。

 

それでも先生方が上手に説明をしてくださって無事にパネルディスカッションを終えることができました。

思ったより熱が入って、終了時間をちょっとだけ過ぎてしまいました。

 

やれやれ、

ステージを降りるとどっと疲れが出ました。

お客様が面白かったよと(お世辞もかねて)ねぎらっていただき、ほっとした季節君でありました。

 

私たち伯耆国たたら顕彰会では、毎年『たたらフォーラム』を開催してきました。

この奥日野地域でかつて盛んであったたたらの歴史というものは、今では地元に知られなくなっていました。

では、たたらとはどういうものであったのか。

いい加減な知識ではなく、たたらの研究をしておられる著名な先生方に真実を教えていただこう。という思いから講演会を開催してきました。

 

今年は、たたらの原材料となった砂鉄採取について学んでみようと思います。

砂鉄採取の方法は鉄穴流(かんなながし)といって、土砂を川に流して砂鉄だけを採る方法があったそうです。

他にも、川に自然に流れる『川砂鉄』海岸にたまる『海砂鉄』があるのですが、今回は鉄穴流しのお勉強です。

日曜の午後、日野町文化センターに集まりました。

会場は早くもいっぱいの車!!

(^O^)/

と思ったら、確定申告の相談窓口もあったのでした。

 

ホールに行くと、元山形大学の葛西先生の姿が見えました。さっそく大物発見です。

お久しぶりなのでご挨拶をし、今後のご協力もお願いしておきました。

 

控室に行くと、加地先生、林先生、徳安先生がおいでです。

挨拶して、鉄穴流し談義をしていると角田先生もおいでになりました。

さっそく、パネルディスカッション担当の季節君はレジュメを引っ張り出し、先生方と相談です。
(というわけで、今回は緊張のあまり写真を撮っていません)

こんなこと聞いてもいいですか?

これについてはどう思われますか?

とあらかじめ想定問題を話し合いました。

ある程度の時間や問答を想定しておかないと、本番で失敗したら困ります。

季節君は心配性なのです。

打ち合わせが終わってからお弁当をいただきましたが、今年は季節君は、役目が重大なのでお弁当の味も分からないくらいでした。
しっかり完食しましたけれどね。

(^^♪

 

そして開会セレモニーが始まり、徳安先生のご講演。

鉄穴流しには、流し樋型の前身として露天に縦穴を掘り土砂を取り上げて川に流すという重労働な初期型の鉄穴流しもあったそうです。

だから砂鉄採取の後には穴が掘られ鉄穴と呼ばれるようになったそうです。

 

さらに、鉄穴流しの結果として棚田ができるとの説に、詳細な説明もありました。

鉄穴流しの廃土を流して田を作ると選鉱場より上流に棚田ができるのが説明できないこと。

真砂で作った田では米が育たないこと。

などから鉄穴流しの技術を使って、肥沃な土壌を流して意図的に棚田を作ったのだそうです。

 

次のご講演は角田先生。

考古学的にたたらを研究される私の好きな先生です。
(いや、そういう意味ではなくって)

 

先日発掘調査された、砺波上鉄穴の調査報告をされました。

 

そうしていよいよ季節君のパネルディスカッションとなります。

💓 ドキドキ (@_@)

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