久住村土地台帳が語る村の製鉄の歴史
久住村土地台帳という明治2年頃の文書を見ています。
久住村というところは、中国山地の真っただ中。
険しい山道を登った先に急に土地が開けています。
田畑に恵まれた広大な平地。
じつはこの村の周辺にはたくさんのたたら場があります。
私が知っているだけでも5か所のたたら場と大鍛冶が1か所
そして、土地台帳に載っている地名がたたらの里であったことを裏付けています。

鈩村家の下
鈩村というのは二部谷たたら(測量調査済、室町時代のたたら場)の隣にあるようです。

大沢鈩床というのは黒坂から久住地内に入り、三差路を左に少し行ったところらしい。
まだ未発見のたたら場です。たぶん、、、
調査に向かったことはあるのですが、確認できませんでした。
笹が茂っていて、調査を断念したような記憶があります。
ほかにも、溜池、鉄穴谷、鍛冶屋前などの地名が沢山載っています。
おそらくこのあたりには大きな鉄穴場があり、沢山の砂鉄が採れたので、室町から江戸、明治と数百年にわたってたたらを続けたのでしょうね。
そしてその結果として、流土によって谷が埋まり広い田畑が出来たのでしょう。
この村は繁栄したらしく、絵地図や建物控、土地台帳などの書面が多く残っています。
久住村というところは、中国山地の真っただ中。
険しい山道を登った先に急に土地が開けています。
田畑に恵まれた広大な平地。
じつはこの村の周辺にはたくさんのたたら場があります。
私が知っているだけでも5か所のたたら場と大鍛冶が1か所
そして、土地台帳に載っている地名がたたらの里であったことを裏付けています。

鈩村家の下
鈩村というのは二部谷たたら(測量調査済、室町時代のたたら場)の隣にあるようです。

大沢鈩床というのは黒坂から久住地内に入り、三差路を左に少し行ったところらしい。
まだ未発見のたたら場です。たぶん、、、
調査に向かったことはあるのですが、確認できませんでした。
笹が茂っていて、調査を断念したような記憶があります。
ほかにも、溜池、鉄穴谷、鍛冶屋前などの地名が沢山載っています。
おそらくこのあたりには大きな鉄穴場があり、沢山の砂鉄が採れたので、室町から江戸、明治と数百年にわたってたたらを続けたのでしょうね。
そしてその結果として、流土によって谷が埋まり広い田畑が出来たのでしょう。
この村は繁栄したらしく、絵地図や建物控、土地台帳などの書面が多く残っています。