平成3年ふいご祭り

毎年恒例のふいご祭りが開催されます。

砂鉄から和鉄を取り出すという技術を伝承するため。
教育的見地。
にぎやかし。
物見草。
その他なんやかんや。

を目的として、開催されます。

ふいご祭りというのは、もともとたたら場で休むことのできない鍛冶職人たちに、休養を与えるためにささやかに行われた行事です。
それを地域の活性化に役立てることはできないかと、イベントとして復活させました。

開催場所 鳥取県日野町役場前
日時 令和3年10月24日

8:50に火入れをして、その後、砂鉄投入体験(無料)
12:00頃から順次ノロだし。(溶けた不純物や銑鉄が真っ赤になって流れ出します)
鍛冶体験(有料)
などをして、14時ころに鉄を取り出します。
雨天決行ですので皆さんおいでください。

fuigo

才之原タタラ見学会

以前書いた才之原タタラの側面発掘が終わったので、見学会が開かれました。
このところ、日野町ではたたらの学術的な要素についても注目され、取り上げられるようになっています。

今回も、5回に分けてバスで現地まで送ってくれます。
私は午後の部に参加しました。
10人ほどの人がバスに同乗されました。
今までの見学会に比べて、少しづつ参加者が増えているのが、たたらに対する関心の高さを感じさせます。
午前の部は米子からの人が多かったそうです。

前回見せていただいた時は上からの発掘で、よくある視点でしたが、それでも才之原は複数のたたら跡が重なっていてわかりにくかったです。
今回は側面からで、なおわかりにくくなっていますのでご期待ください。
というのも、よくある地下構造の輪切りではなく、道路に沿って縦に切り取った部分が露出しているのでわかりにくいのです。
なるたけわかりやすいように今回も画像を使って説明します。
上空から見た才之原たたらは、このようになっています。
赤い線が切り取り線です。
見取り図才之原
この断面は写真で見るとこうなります。

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古い方は300年前を想定しておられます。
ここからは陶器が出ているので、それが手掛かりになっています。

新しい方は200年前。
日野町文化審議委員さんから指摘していただいた黒坂の古文書に「藪津付近の冬の雪かきを緒方のたたら場にいる人夫に頼んだ」というのがあるそうです。

このたたらの場所が藪津なので、大鉄山師「緒方家」がやっていたたたら場であろうと想定し、200年前と推測しています。

IMG_1346
古い大舟の地下には坊主石があり、その下にも大量の石が埋められていました。

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その上に鉄滓や粘土で地層を作って防湿しています。
大舟はかなり深いところから炭を敷き詰めています。

大舟の後ろに柱らしき跡があります(ここからは見えません)。

近世の高殿とは少し柱の位置が違います。


続いて新しいほうの地下構造を拡大してみます。
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(左から)小舟の内壁面があり、空洞部分があって、大舟との境の壁面(石垣状)。その右に大舟の内面が露出した状態です。
大舟の壁面には炭が焼しめられていた跡が見えます。

この新しい大舟の地下も鉄滓と粘土で層を作ってありますが、その上に花崗岩の粒と粘土を突き固めた層があり蓋をした格好になっています。

大舟は古い方に比べてみると、かなり浅くなっているのがわかります。

つまり、古いものは地下の層が浅くて大舟を深くしている。
新しいほうは、地下層を厚くして、大舟を浅くしている。
構造が違っています。



ふたたび右の古いほうの拡大図です。
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本床土居というのは、本床のまわりに作ってあった敷居のことです。
それがしっかりとコンクリートのように突き固められて残っていました。

小舟の天井部分も残っていて、破片を見せていただきましたが、やはり粘土と花崗岩粒を混ぜてしっかりと固めてあるものでした。

こうして詳しく説明しても、なかなかわかりづらいだろうと思います。
説明しようとする私にも分かりづらいんですから。

なお、この遺跡の一部分を樹脂で固めて残してあります。
この遺跡は道路拡張のため撤去されなくなりますが、一部は保存されることになりました。
今後日野町で公開展示する予定です。


古文書の保存整理作業をしました。

 

たたらについて勉強するようになって、古文書と触れ合う機会が増えました。

そこには、いったい何が書かれているのか、気になります。

ぜひ知りたい、絶対知りたい。

しかし、あのミミズの這ったようなものがなぜ読めるのかがわかりません。

 

これは、いわゆる、虎穴に入らずんば虎子を得ず。

というやつだなと思いました。

(ちょっと違うかもしれない)

多少は無理をしないと望みをかなえることはできません。

そこで、思い切って古文書教室に通うことにしたのです。

 

あれから3年。

そう、石の上にも3年です。

 

少しずつではありますが、ミミズの気持ちが読めるようになってきました。

 

今は、福田家文書というのを読んでいます。

鳥取県日野郡を支配した、福田家という家の伝承を記したものです。

きちんと祐筆が書いているので、文字もきちんと崩してあります。

膨大な文書ですが、いつかはこの文書を全文、現代語訳してやろうかと思っています。

 

話は変わりますが、日野町では昔から伝わる公文書が保存されています。

日野町に初めての学芸員が採用されたこと、少しずつ古文書の扱える人が育ってきたこと。

などを勘案し、古文書をきちんと整理しようという話になりました。

 

もちろん私も、その末席で参加しています。

まずは、掃除をしてから、表題を解読し、リストを作ります。

 

今日は表題の解読作業をしました。

 

私が担当したのは享保14年の土地租税について書かれたものです。

どうやらこの年は、水害が発生したようで、その文書がありました。

荒地、新開地について、井出川について、租税免除について記載されています。

内海さんという役人さんから、土地の庄屋、百姓に対して、年貢を減免することなどが巻紙に書かれていました。

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武士が書いたものは読みやすいのですが、村役から庄屋に差し出された報告書は、崩し方がいい加減で、とても私には読めません。

先生方の手を煩わせながら、四苦八苦しておりました。

当時の人はこれを読んでいたのでしょうねえ。

今日は、やっと15冊ほど整理できたでしょうか。

それでも、5人でやれば75冊を整理できたことになります。

整理しなければならない古文書は、あちこちの部屋に分散して山のように積み上げてあるとのこと。

気の長い作業になりそうです。

そのうちに、たたらに関する文書もきっと出てくるだろうと思います。

下原重仲の「鉄山要口訳」の時のように、とんでもないものが出てくるかもしれません。

 

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