たたら顕彰会が活動を始めてもうずいぶん経ちます。
発足の準備段階も入れると、15年くらいになりました。
みんな全力で走ってきたのですが、コロナの頃から少し息切れしている感じです。
役員もすこし年を取ってしまいました。
なかなか事業に興味を持ってくれる新人が見つかりません。
せっかくここまで調査し盛り上げてきたのだから、誰かに跡を継いでほしいと思っていますが、田舎はどこも人口減少と高齢化に見舞われ、なかなか活動がしずらくなっています。

そんな中、2023年は画期的な出来事がありました。
夏の暑い盛りの事、私は日野町図書館に行きました。
すると文化財担当の町職員君がいます。
「東京大学の学生さんが卒論の資料集めに来ているのですが、テーマはたたらなのだそうです」
ということでした。
お話を詳しく聞くと、たたらの建築物は古来からの寺社建築やもろもろの建築物と極端に構造を異にしているそうです。
そう高殿です。
ご質問に答える形で、都合山の高殿を調査した俵国一の事、高殿の建て方を記した鉄山必要記事のことなどをお話しました。
もうすでにかなり深いところまで理解しておられたのにはさすがだなと思いました。

それから数か月。無事に卒論は完成し、学部内で表彰されるほどの出来栄えだったそうです。
学生さんには、卒論を日野町図書館に寄贈していただけないかと頼んでみました。
優秀な学術論文は、今後たたらを研究する後続の人たちにも良い財産になると思ったのです。
どうやら良い方向に話は進んでゆきそうな気配です。

久住の切り図にたたら場発見

毎月行われている、日野町の古文書整理に参加しました。
衣装箱に4杯。400冊くらいが今回の調査です。
ほかにも日野高校黒坂校舎に2部屋保管室があったりします。(^-^;

今回見つけたもので面白そうなのは、久住村の切り図。
ページ数は50ページくらいあったと思います。
しっかりとメモしてこなかったのですが、1800年頃、江戸時代後期のものでした。
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まん中下の方に赤で「鈩場所」と書かれています。
これは杉屋鈩といわれるところで、遺跡の上に今は家が建っていると思います。
私たちは久住集落で4か所のたたら場と1か所の大鍛冶を確認しています。
杉屋鈩はそのうちの一か所なのですが、この切り図には、ほかのたたら場の記載がありません。
おそらく、この時代にはほかのたたら場は操業していなかったのでしょう。
数年前に調査した遺跡は室町時代のものでしたし、ほかにみつかった近藤家のたたら場はもっと新しい時代のたたら場でした。
それからまん中に水色で池が記載されています。
すごい急斜面に無理やり作ったような溜池です。
近くに鉄穴山という地名もあることから、この池は鉄穴流しのための池だろうと考えています。

久住や上菅などの地区は比較的多くの文書が残っています。
ほとんどが租税目的の土地台帳等ですが、今後も調べてゆこうと思います。

都合山遺跡のメンテナンス作業

鳥取県日野町に都合山という製鉄関連遺跡があります。
ここは明治に砂鉄を使ったたたら製鉄を行い、軍部などに和鉄を供給しました。
まだ八幡製鉄などは稼働しておらず、日本の主要な製鉄所の一つでした。
その都合山鉄山を当時の東京大学の俵国一先生が調査し報告書を作りました。
古来の砂鉄精錬法という本になっています。
また、都合山鉄山の創業者であった近藤家には、江戸時代からのたたら関連文書が10万冊も残っています。
そこにもこの都合山のことが詳しく書かれた文書があります。

そしてこの鉄山は閉山した後、ずっと山中に取り残されたままでした。
15年前に再調査されるまで……
発掘調査されると、いろいろなことがわかってきました。
炉の地下構造は極めて複雑にできています。
鉄を製品化するために大鍛冶が2か所ありました。
鉄を冷やす池、動力の水車小屋、鉄を割るための大銅場、砂鉄洗い場、金屋子神社、職人の暮らす長屋など、様々な建物跡があります。
周囲の山には砂鉄を掘った跡や水路が延々と続いています。
土砂を粉砕するための滝や、砂と砂鉄を分離させる選鉱場なども見つかりました。
まだ調査は続いており、全容は見えていません。

それはさておいて (どっこしょ と置いておきます)

18日に遺跡の草刈りをしました。
草ぼうぼうでは、見学者も困ります。
地元上菅自治会。日野町教育委員会。奥日野ガイドクラブ。伯耆国たたら顕彰会からの動員です。

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仮設トイレも整備され、道もかなり綺麗になっています。
遺跡の説明看板もできました。
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看板にスマホをかざすと、創業当時の動画(アニメ)も観ることができるようになっています。

日野町上菅または畑集落から20分程度山道を歩きます。
足に自信のある方はおいでになってください。

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